志免炭鉱福岡県糟屋郡志免町



竪坑櫓跡とボタ山

志免炭鉱は明治21年に海軍主導で石炭採掘を始める。戦後も国の所有で、閉山まで国鉄が経営していた。
昭和39年に閉山。
閉山からかなりの年月が経つが、いまだに巨大な竪坑櫓跡といまでは少なくなった原形をとどめるボタ山が残る。
しかし残った竪坑櫓なども近く取り壊されると聞く。産業遺産として保存を望むが老朽化による維持費などが馬鹿にならないかもしれない。

2001年12月末の志免炭鉱












福岡市の郊外の普通の住宅街の中に炭鉱跡がある。
九州自動車道からは貝の形をしたボタ山がよく見える。











子供の頃に南九州に遊びに行った時よく横を通ったが
当時は『ボタ山という変な山がある』という知識しか持っていなかった。
すでに15年以上前の話。











竪坑櫓遠景。
高さ52.5m、竪坑は深さ430m。











三池炭鉱四山坑の竪坑櫓が平成8年9月に爆破、解体されてからは唯一残るコンクリート製櫓。











その大きさと高さには圧倒される











福岡空港のすぐ近くということで上空を飛行機がひっきりなしに飛んでいた。











広い志免炭鉱跡の荒野の隅にY字型をした斜坑が残っていた。
換気用坑口で入気と排気のために二股になっているらしい。











この斜坑跡は発掘作業中だった。
炭鉱跡はすでに遺跡と化している。











排気斜坑前にある鉱山施設の1つと思われる堅牢な建物。
中は空だった。











一方の坑口には用途不明の鉄製で円形の溝があった。
後でわかったことだが、換気のための扇風機が備え付けられていた場所だそうだ。
この遺構も測量中。
この斜坑跡のちょうど上を道路が建設されるということで、近いうちに取り壊されるらしい・・・








そして1年後・・・



二股の換気斜坑と倉庫は跡形もなく撤去されて、その上には道路が建設されていました・・・











斜坑のあったその場所にはバス停が出来ていた
炭鉱跡には広大な空地があるにもかかわらず、わざわざ撤去して真上に作る必要があったのかはかなり疑問です

2001. 1. 8 作成
2001. 3.16 コメント修正
2002. 1. 6 その後の志免炭鉱を追加

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