戦況は混乱していた。高度捜索システムは相互の妨害行動によってまともな情報を取り込むことが困難になりつつあり、より低レベルの光学視認すら、爆発やアステロイド、そして破壊された艦船や艦載機の破片によって遮られるといった状況が続いていた。そのような状態に戦いを誘導していったのはSLU軍の方だったのだが、かえって自軍の方が不利な状況に置かれていた。
「……なんてことだ」
フランツ・ビューロー中将は戦況スクリーンに映る情報を眺めていた。
司令室に入ってくる情報は連邦軍の勢力増大を示すものばかりだった。本来なら来るはずのない増援は、作戦計画をまったく台なしにしてしまっている。
回廊と呼ばれるこの宙域にはかつて太陽系が存在していたのだが、原因不明のカタストロフにより崩壊、大量のアステロイドが帯状に分布する危険地帯となっていた。SLU軍はここに小惑星改造の要塞や自動迎撃システムによる防衛ラインを引いており、長年にわたって連邦軍を引き留めてきたのだが、今回のような圧倒的な戦力差は、それらの努力を全く無価値の物にしてしまっていた。
「情報部の連中め、見当外れもいいとこだな。残存予備は?」
単なる確認の為だけにフランツは尋ねた。
「我が艦と巡洋艦2、護衛艦4だけです。他は全て交戦中」
作戦参謀が答える。
「そうか。いよいよ我々も義務を果たすべきときが来たというわけだな」
「撤退ですか?」
そう聞く参謀を、フランツは幽霊でも見たかのように見つめた。
「何処へだね?我々の任務は時間稼ぎをすることだ。撤退を支援することはあっても逃げることはありえん。戦隊の各艦に発進命令。現隊形を維持、方位0-4-0、最大戦速」
「了解」
それを聞いた艦長は矢継ぎ早に命令を発した。
「両舷全速。左砲雷撃戦用意」
フランツは全身の血が沸き立つような思いでその声を聞いていた。
いかんな、これでは。指揮官陣頭とは言うが、いくらなんでもこいつを突撃させるわけにはいかん。
「全軍に現戦線の破棄を通達。既定の方針に従い、後退せよ」
最後の命令を下しつつ、フランツは思った。
遅すぎたのかもしれんな。どうも俺は任務に忠実すぎるようだ。
「敵予備艦隊、左舷方向より侵入しつつあり。距離42000」
オペレーターの報告に、連邦軍の総司令官エルヴィン・シュワンツ大将はほくそえんだ。
「これで最後だな?よろしい。そちらはファラ艦隊の管轄だったな?阻止攻撃に向かわせろ」
指示を終えた彼は、回廊地帯を表示している戦況スクリーンを見上げた。
連邦軍は戦隊レベルで散開しつつ、SLU軍を圧倒している。複数の戦隊が協同して攻撃参加しているために、常に優位に戦いを進めることができた。戦隊間の距離が離れすぎている以外は、特に問題は見当たらない。SLU軍の増援が望めない今となっては、連邦軍の勝利は明かだった。そしてそれは、ある政治集団の崩壊を意味している。
そして私は……栄光に包まれて、本星に帰還する事になるだろう!
エルヴィンは予言者めいた台詞で小さく呟くと、予備部隊との戦闘に見入った。
敵右側面を突き上げる攻撃は、狙い通り敵を引きつけて味方部隊の撤退を支援できたものの、ほとんどの艦が損傷を負っていた。既に助かる可能性は皆無に等しい。
「味方艦隊の動きは?」
フランツが問いただす。
「第3次防衛ラインまで撤退完了。ジャンプ・インまであと12分」
作戦参謀は冷静な口調で答える。
「そうか。なんとかなりそうだな」
妙に悟ったような表情でフランツは肯くと、最後の命令を下した。
「これより我が戦隊も撤退する。護衛艦から順次後退せよ。本艦はこれを支援せんとす。発信!」
オペレータが復唱する。
「いよいよですか」
作戦参謀は言った。
「すまんな。もうちょっと付き合ってもらうよ」
「はあ、確かにもうちょっと、ですな」
被弾の衝撃で艦全体が振動している。戦闘能力を失うのも時間の問題だ。
「でも、これで終わりだと思うとすっきりしますよ」
「えらい言い方するな。この期に及んで君は……」
その時、オペレーターの叫び声が聞こえた。
「艦隊直上、距離53000にジャンプアウト反応確認!!」
「なに?!直上だと?」
思わずフランツは天井を見上げた。
その時連邦軍の攻撃が一時的に弱まった。そこですかさず艦長は後退命令を発する。
「空間歪曲確認!ジャンプアウトは4分後と推定」
「連邦軍、引きます!」
オペレーター二人の報告に、フランツは瞬時に判断を下す。
「後方退避艦に待機命令!ジャンプイン待て!ジャンプアウト質量推測、急げ!」
「戦艦クラスと思われる反応複数探知。中小艦船反応無数。これは……TFA艦隊の反応です!」
オペレーターの報告に、フランツは愕然となった。
なぜ奴等がこんな所に来るんだ!まさか……壊滅だと?
「どうしますか?」
抑揚のない声で作戦参謀が問いかける。
「決まっている。……撤退を支援する。後方部隊と合流するぞ」
「了解」
エルヴィンは最初、その艦隊が今やかりそめの同盟を組むTFA艦隊だと思っていた。SLU軍の主力と交戦中であるはずその艦隊は、戦闘に勝利した後(それは確定事項だった)連邦軍と合流する事になっていた。それが早まったのだと、彼は思った。
まあ、彩り程度にはなるな。
ジャンプアウトを待つ間、後退するSLU軍は無視されていた。どのみちジャンプインには間に合わない。その前にTFA軍が現れる。
だが、もう一つのジャンプアウト反応が彼を困惑させた。
「もう一つ現れただと?」
「はい。同じく直上方向。規模は……先の七割程度です。更に三分後にジャンプアウトと推測」
「なに?数が多すぎるぞ。連中の投入した戦力の倍近く……」
「TFA艦隊、ジャンプアウトします!」
オペレータの報告がエルヴィンの思考を遮った。
ジャンプアウトした艦隊は、護衛艦を先頭にした突撃隊形を作って連邦軍の方に向かっていた。その後方には巡洋艦、そして戦艦が続いていた。彼女たちは広く散開しながら、連邦軍を包み込むようにして接近してくる。
エルヴィンは言い知れぬ恐怖に駆られた。
なんだこれは?まるで俺たちを攻撃しようとしているみたいじゃないか!?
その疑惑はたちどころに解明された。
TFAの戦艦が主砲を放ったのだ。彼の艦隊に目がけて。
閃光がアステロイドを浮かび上がらせた。一つや二つではない。数キロに及ぶ範囲の空間がいくつも光で満たされた。戦隊がまるごと破壊されているのだ。青白い光球が艦体を包んだかと思うと、その中心に引きずり込まれるようにしてひしゃげ、そして別種の光を放って消えた。そんな光景が連鎖反応的に起こっているのだ。
フランツは顔をひきつらせながら、その光景に見入っていた。艦橋にいた全員も信じ難い光景に、ある者は歓喜に打ち震え、ある者はそこに自らの運命を見いだして恐怖した。
「なんてことだ……」
作戦参謀が呆然と呟く声をフランツは聞いた。
「しかし、我々も……」
「つ、通信です!!TFA軍から平文で!」
通信オペレータの慌てた声が艦橋に響いた。
「読め」
「はっ!……問題は解決された、クレーテンシュヴァンツは全てをつなぐ、です!」
それを聞いたフランツは意地の悪い笑みを浮かべた。
「どうやら向こうではえらいことをやったようだな」
その言葉を証明するかのように、後を追ってジャンプアウトしてきたSLUの主力艦隊が更なる攻撃をくわえた。TFA軍と交戦していたはずの艦隊が、共に同じ敵を攻撃するなど、前代未聞だった。
「……これで、帰れますな」
作戦参謀の言葉に、フランツは大きくうなずいていった。
「凱旋というわけにはいかんがな。……残存部隊と合流する!」
「了解」
こうして連邦軍は壊滅した。侵攻艦隊の半数以上を撃沈破された彼らは、後退する以外なかった。一方のTFA軍とSLU軍は回廊の支配権を回復したものの被った被害は甚大であり、連邦軍を追撃する力は残されていなかった。特にSLU軍はTFA軍の半数程度の戦力しか残されていなかったが、本来なら敵対しているはずの両軍は、何のトラブルも無く本星宙域へと撤退を開始した。
こうして戦いは終わった。互いに、これが最後の戦いだとは思っていなかったが。
戦時標準輸送船I型"エルフ17"は、その番号の示すとおりの老嬢だった。本来ならスピードの要求されるこのような作戦には不向きな彼女も、慢性的な輸送力不足に悩むTFA軍にとって、高速航行可能な最初のクラスであるという事実が、この危険な戦域で活動することを求めていた。
艦の中甲板にある兵員室には、彼女が無事本星まで送り届けなければならない、経験という名の宝石達であふれかえっていた。惑星降下作戦や、時には敵艦内への突入を図る勇者たちの群れ。しかし、彼らは野ざらしにされた野良犬の姿以下で、その身を床に横たえていた。
その壁際に、寄りかかるように座り込み、身体を休める者がいた。ぼろぼろになった野戦服は退却戦の凄まじさを示している。金色の髪はぼさぼさになっていて、伸びるに任されていた。うつむきかげんのその顔には、野戦迷彩の跡も残っている。しかし、顔のどことなく丸みを帯びた輪郭や、野戦服を内側から押し上げるしなやかな身体のラインは、その人物が女性であることを物語っていた。
彼女は壁しかない空間にエメラルドグリーンの瞳を向けていた。疲れきった身体からは想像できないほどの鋭い視線を向けるその先に、一体何があるというのか?
「……小隊長。早く休まれた方がいいですよ」
と、そばで横になっていた兵士が彼女に声をかけた。ちらっと横目でその姿をみた彼女は、再び視線を元の壁に向けた。
軍曹の階級章(といっても擦り切れているが)をぶら下げたその兵士は、眉を顰めると、更に大きな声で言った。
「中尉!寝不足は美容に悪いんじゃ無かったんですか!」
「……うるさいわよ、クリス」
不機嫌そうな声で彼女は応じる。
「まだ戦いは終わってないのよ」
クリスは首を振ると、じゃあお好きに、と毛布をかぶって横になってしまった。
取り残された彼女は、依然として壁を見つめたきりだった。
……壁。私とあの星とを隔てるものは、この鋼鉄の壁の他は、プラズマに満ちあふれた空間だけなのに……何故こうも遠く感じるんだろう?
彼女の目許に、不意に光るものが浮かんだ。それに気づかないのか、彼女はそれをぬぐおうとはせずに、洩らすように呟いて言った。
「カイツェル……いつかきっと……あの星へ……」
その言葉は最後まで続かずに、彼女のまぶたは閉じ、崩れ落ちるように床に身を横たえた……。
エルフ17の左舷方向には、幾多の血肉を喰らった惑星が青い光を放っていた。
その星の名はシュリンク。現在は連邦軍の支配下にある。
経営というものは、天秤ばかりで左右のバランスを常に取り続けるようなものだ。左の皿には不定期に乗せられるものが増減し(減ることの方が多い)、右の皿は常に重たくなり続けようとする。人ができること言えば、左の皿が軽くならないように、どこか別の天秤から乗せるものを失敬してくることぐらいしかない。しかし自分の持つ天秤も、失敬される対象になり得るのだ。
国家経営では、そのやり取りされる物や手段は、たとえば税金だったり貿易だったり、人の命そのものであったりする。特に後者はもっとも単純で効果的な手法だと考えられている。
「……連邦軍は撤退を開始したそうだな」
TFA首相は暗い表情で言った。
「そうだ。先程国防省から報告があった。それに……我が艦隊も本星空域に到着したそうだ。ここにやってくるのも時間の問題だな」
国防大臣がもの憂げに言う。
「我が艦隊か……なんとも虚しい言葉だな」
「元はといえば、あなたの責任なんですぞ、首相」
「左様……あなたがあの男を信用したばっかりに、この有り様だ!」
「連邦軍は回廊地帯で撃破された!もはや彼らを当てにはできん!」
「SLUは回廊防衛艦隊が壊滅的ダメージを受けた以外は、主力艦隊は全くの無傷だそうだ。これでは我々の優位性すら保てないぞ」
「いや、そうとは限らないのでは?少なくとも膠着状態には持ち込める。経済力では依然としてこちらが……」
「だが、どのみち我々には関係ない話だろう!こんなところで話をしていたって、何の役にも立たん!」
「ではどうしろというのだ!?ここから逃げだしたところで、外に出た瞬間に民衆に捕まってしまうのがおちだぞ!」
「……我々は、見放されてしまったのだ。何者からも」
暗い表情で首相がそう宣言すると、一同は静まり返った。
そのときドアが開かれ、そこから統合軍の制服を着た男が入ってきた。その後には、彼の副官と覚しき女性士官と、数名の憲兵隊員が続く。
男は入ってくるなり中を見渡すと、大きな声で話し出した。
「いやあ、お久しぶりですな、皆さん」
陽気な笑みを浮かべるその男の名は、コーシー・シュヴァルツシルトという。年は39才ながら、統合軍大将の地位にあった。
「なにを浮かない顔をしているのです?連邦軍は撃退されたんですよ?そして、叛乱分子と呼んだかつての友人たちと、再び手を結ぶ道が開かれようとしているのに、なにが不満だというのですか?」
「貴様……貴様が今の地位にいるのは誰のおかげと思ってるんだ、この恩知らずめ!」
国防相が顔を震わせながら叫ぶ。しかし、コーシーはどこ吹く風と受け流した。
「まあ、何と言うか……実力という奴でしょうな」
「い、い、い、いうに事欠いて……貴様は……貴様は……」
「よしたまえ」
どもる国防相を、首相が抑えた。
「我々に何も言う資格はないよ。だが……一つ言わせて頂ければ……」
首相……ブライアン・ソーンは、コーシーの顔をにらみつけるようにして言った。
「国民を苦しませるような真似だけはするなよ」
「わかってますよ、伯父さん……。ささ、皆さんお連れしてくれ」
コーシーが憲兵たちに指示を出すと、彼らは丁重に元首脳陣を部屋の外へと連れ出していった。
残されたコーシーとその女性副官は、空になった同盟本部ビル最上階の最高会議室を見回した。細長い部屋に、楕円形のテーブルが中央に、豪華な革張りの椅子がその周りを囲っていた。
コーシーはそのひとつ、先程まで首相が座っていた椅子にどっかと身を下ろした。
「どうですか、座り心地は?」
エリザ・スヴェンセン大尉は、まるで訊問でもするかのような口調で尋ねた。
「まあ、悪くないね。世界を握っているという感じがするな」
「半分だけ、ですけれど」
「いやあ、四分の一以下と言った所だろう」
「まあ、全部手に入れるおつもりですか?」
「それはわがままというものだよ、さすがに。そこまで要求するつもりかね?」
「……」
エリザは無言でコーシーを見つめた。その瞳はまるで氷のように冷ややかだった。
「ふう……さてと」
コーシーは椅子から立ち上がると、エリザに近づいた。
「これで少しは満足して頂けたかな?」
彼のおどけるような口調に、エリザはあくまで冷静に答える。
「いいえ。まだ始まりと言ったところですね。これからに期待しておりますわ」
「まったく……君は傍観者のつもりらしいが、いくら何でも虫がよすぎるとは思わないのかね?」
「私は元々戦史研究科です。当然の行為と思いますが……?」
「まったく……これなら素直に伯父貴に従っていればよかったよ!」
コーシーは呆れ顔で肩をすくめると、出口の方に向かって歩き出した。
「さて、我らが同志を迎えにいくかね?もう一人の不幸な人間をさ」
「確かに、一番不幸せな方かもしれませんね」
「……君に言われると彼も心外だろうが……まあ、最後まで付き合ってもらうさ。もちろん、君にもだが」
「もちろんですわ。そのために、私はここにいるのですから」
そういって彼女は微笑んだ。天使のような無邪気な微笑み……だが、コーシーにとって悪魔のそれに等しかった。
「やれやれ……君はこういうときだけそういう表情をするな。ま、そこが魅力的な所なんだが……」
「……行かれないのですか?」
コーシーの呟きを聞いたのか聞かないのか、彼女が彼に問いかける。
「ああ、そうそう、そうだったな……行くか」
「はい」
そうして二人は部屋を後にした。
主なき部屋は、暗闇の底に沈み、当分の間使用されることは無かった。