北海道上陸歴のページ


  • 上陸時と使用交通機関(本州〜北海道間)
    時期(期間)交通機関(往路)交通機関(復路)
    1984年8月19日
    〜28日(10日間)
    青函連絡船
    (大雪丸)
    青函連絡船
    (大雪丸)
    1986年3月28日
    〜4月7日(11日間)
    青函連絡船
    (大雪丸)
    青函連絡船
    (八甲田丸)
    1988年3月8日
    〜18日(11日間)
    青函連絡船
    (摩周丸)
    特急はつかり
    (青函トンネル)
    1990年9月25日
    〜10月5日(11日間)
    新日本海フェリー
    (舞鶴〜小樽:フェリーらいらっく)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    1991年10月2日
    〜8日(7日間)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    特急北斗星6号
    (青函トンネル)
    1992年12月19日
    〜28日(10日間)
    特急北斗星5号
    (青函トンネル)
    特急北斗星6号
    (青函トンネル)
    1993年7月10日
    (2時間)
    東日本海フェリー
    (大間〜函館:ばあゆ?)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    1994年4月30日
    〜5月6日(8日間)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    ブルーハイウェイライン
    (苫小牧〜東京FT:さんふらわあえりも)
    1995年10月9日
    〜10月15日(7日間)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    急行はまなす
    (青函トンネル)
    101996年3月23日
    〜3月27日(5日間)
    特急はつかり
    (青函トンネル)
    特急北斗星4号
    (青函トンネル)
    111996年9月19日
    〜9月24日(5日間)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    全日空70便
    (新千歳〜羽田)
    121997年4月30日
    〜5月7日(8日間)
    新日本海フェリー
    (新潟〜小樽:ニューはまなす)
    近海郵船
    (十勝〜東京FT:ブルーゼファー)
    131998年8月12日
    〜8月18日(7日間)
    新日本海フェリー
    (新潟〜小樽:フェリーしらかば)
    新日本海フェリー
    (小樽〜新潟:ニューしらゆり)
    141999年2月11日
    〜2月15日(5日間)
    全日空411便
    (羽田〜女満別)
    全日空876便
    (旭川〜羽田)
    151999年4月30日
    〜5月9日(10日間)
    近海郵船
    (東京FT〜釧路:ブルーゼファー)
    ブルーハイウェイライン
    (苫小牧〜大洗:さんふらわあえりも)
    161999年11月19日
    〜11月23日(4.5日間)
    特急トワイライトエクスプレス
    (青函トンネル)
    全日空72便
    (新千歳〜羽田)
    172000年1月29日
    〜1月31日(3日間)
    日航529便
    (羽田〜新千歳)
    日航524便
    (新千歳〜羽田)
    182000年9月9日
    〜9月17日(9日間)
    新日本海フェリー
    (新潟〜苫小牧東:ニューはまなす)
    新日本海フェリー
    (苫小牧東〜新潟:ニューしらゆり)
    192000年11月3日
    〜11月6日(4日間)
    快速海峡
    (青函トンネル)
    全日空864便
    (函館〜羽田)
    202001年1月3日
    〜1月8日(6日間)
    特急トワイライトエクスプレス
    (青函トンネル)
    全日空968便
    (新千歳〜羽田)
    212001年5月2日
    〜5月8日(7日間)
    エアニッポン837便
    (羽田〜根室中標津)
    全日空572便
    (稚内〜羽田)
    222001年7月6日
    〜7月8日(3日間)
    エアニッポン839便
    (羽田〜根室中標津)
    全日空742便
    (釧路〜羽田)


  • 放浪の概要
    1回目(1984年夏)
     初めて出かけたのは、中学3年の夏休みのこと。北海道にはまったきっかけは図
    書室にある鉄道の書籍・雑誌に掲載されている北海道のローカル線の写真が全て。
    しかも実はそのほとんどのローカル線が赤字のため廃止対象(第1次/第2次特定
    地方交通線)のものばかり。消えるのならば、あるうちに乗っておきたいという欲
    望を抑えられず、計画に半年もかけてようやく実現した。
    
     当時(以下3回目まで)は、兵庫に在住していた上に、北海道までの交通機関は
    国鉄(JR)のみなので、北海道に着くまでが大変だった。このときは、東海道線をひ
    たすら東進し、上野から『ゆうづる1号』に乗車。金銭・時間面を考慮すると、大
    阪から『白鳥』『日本海』でもよかったのだが、前者では津軽海峡を夜中横断する
    ことになりつまらないので却下。後者では道内の行程が立たないので却下した。
    
     『ゆうづる1号』は青森に早朝5時過ぎに到着するので、青函連絡船は日の出を
    愛でながらの北海道入りであった。北海道入りをしてからは、道内の夜行急行『利
    尻』『大雪5・6号』『まりも3・4号』の自由席車を宿(夏休みってこともあっ
    て夜行列車は1時間半前からホームに並ぶほどの混み様)に、道内のローカル線を
    分刻みの行程で片っ端から乗り潰していく。
    
    乗ったローカル線で5年後に廃止されているものは、
      胆振線・士幌線・広尾線・羽幌線・湧網線・標茶線・名寄本線・天北線・
      幌内線・歌志内線
    
    とまあ、これだけでも総キロ数1,000kmになる。ほとんど車内にいて、観光らし
    い観光って、納沙布岬と札幌市内程度。(もっとも、台風の影響もあって天候には
    まったく恵まもしなかったのだけど、、、) とにかく駆け足行程であった。
    
     他に印象に残っていることといえば、私と同じ目的で北海道にきて、かつ夜行を
    宿に旅行している人が何人もいて、そういう人達と知り合いになったことかな。あ
    る日、ひょんなところで再会することもあって、北海道ならではの楽しみかと思っ
    た次第です。

    2回目(1986年冬)
     夏の北海道の次は冬の北海道も見ておきたいってことで、高1の春休みにまた出か
    けることにした。
    
     またまた、東海道線を東上し、上野からは急行『津軽』で弘前まで北上する。夜が
    明けてから広がるのは雪景色だけ。。。北海道上陸前に五能線で寄り道をしてから、
    深夜便の連絡船で北海道入り(グリーン船室なのだ)。駆け足で『北斗1号』に乗り
    換えるものの次の森で下車、旧客にひかれて札幌までは鈍行で札幌入りとした。
    
     あとは、1回目と似た行程をとり、ローカル線を乗り歩く。このときの大収穫は、

        流氷に初めて出会った!

    ってことです。確か4/1のこと、遠軽(4:00a.m.頃)から中湧別経由で湧網線に
    入り、凍りついたサロマ湖を過ぎて、行き違いで10分程度停車した常呂駅でのこと。
    ホーム裏手の土手を駈け上がると、なんとビッシリ詰まった流氷が目の前に、、! 
    朝日の影響もあって、空の青と流氷の白のコントラストが鮮やかであった。
    
     このときは、流氷当たり年(解氷期が遅れていた年)の様で、後に納沙布岬や根室
    標津等でも見ることができた。知床半島の南側で見ることができるのだから、相当の
    もんだったのでしょう。
    
     あと、このときは最後に宗谷岬にも足を運んだ。この時、岬で知り合った人(女性)
    と、丸二日間、なんと直江津まで一緒の行程がなんて収穫もあったりしました。
    3回目(1988年冬)
     1988年3月13日に青函連絡船廃止、翌日青函トンネル開通、しかもわしは受験が終
    わってとりあえず暇。ってことで、青函連絡船と青函トンネルの為に上陸した。おか
    げで、道内では高校の友人にとあるところで出会うことなんてよくあったりした。
    
     青森までは、前回とほとんど同じ行程。そして、最後の連絡船は『摩周丸』、深夜
    便にも関わらず、1時間程度しか寝ていなかったかな。
    
     上陸してからは、ローカル線も乗りつぶした上、士幌線・広尾線等一部ははもう廃
    線されたので、名寄線・釧網線のオホーツク海が見える無人駅で、海(流氷はなかっ
    た、、、)眺めていたり、浜頓別のクッチャロ湖で、湖上スキーをしたりと、フラフ
    ラしていた。
    
     青函トンネルは、『はつかり』で初乗り。『いなほ』〜『きたぐに』で帰宅につく。
    伊丹(関西)からの北海道はこれが最後。
    
     実は、今回は目玉企画に利尻島に上陸を挑んだが、船がしけの為欠航で断念。欠航
    を知ったのを境に運気も下がるのを何となく感じ、気付けば浪人も決まっていた。
    (だからあまり思い出したくない、、、)
    
    
    4回目(1990年秋)
     大学に進学のため上京し、しかも自動車の免許取得後初めての北海道行き。たった
    2年のブランクなのに20年振りくらいに行くような気分であった。
    
     しかし、今回の出発点も関西であった。というのも、大阪の花博を見てからの出発
    なのだ。東京から関西経由で効率良く北海道にいくために、(いいのかどうかはさておき)
    東京〜京都〜舞鶴〜小樽という往路設定の、北海道ニューワイド周遊券を作った。
    
     花博見物後、京都から急行で舞鶴まで出て、新日本海フェリーに乗船して、北海道
    を目指す。3日(31時間)の長い長い船旅であった(もちろん個人最長記録)が、穏やか
    天気のおかげで、24時間洋上にいた2日目なんて、海以外眺めるものがないという贅沢
    な退屈感を満喫できた。
    
     北海道に上陸後は、まず何といっても、
    

         北海道初ドライブ!!!

    斜里駅をスタート地点に根北峠を超えて、根室標津経由で羅臼に入り、知床峠を
    南から超えて、ウトロに入り知床五湖に寄ってから再び斜里に戻る行程だった。知床峠
    の南側は大雨で、1300 ccのCivic(MT車)は峠超えに一苦労!(2速でないと登れないし
    視界10mもない状況) やっとの思いで辿り着いた峠のてっぺんでは、『なんでこんな
    無謀なことを、、、』と後悔した。ところが、北側は快晴で最高ってもんじゃなかった。
    よくよく考えたら知床五湖しか立ち寄っていないわけだけど、初めて走る広い道に、6年
    前に初めて上陸したときと同じ位の感動を受けた。ちなみに走行距離は210キロ。
    
     ドライブに限らず、この時からは、線路を離れた所を訪問することが多かった。知床
    以外にも、上富良野を散歩して十勝岳温泉に足を運んだり、温根湯温泉に向かったりで、
    北海道に求めているものが少しずつ変化していることを感じた。最大の理由は廃線対象
    のローカル線の決着がつきほとんど廃線されたからだけど、たぶんそれだけじゃない
    はずだ、と思っている。
    
     そして2年前果たせなかった、利尻島・礼文島の上陸も行ってきた。礼文島は数時間
    しか滞在できなかった(自転車でぶらぶらしていたが風がきついのなんのって、、、)が、
    利尻島は宿のひとに車を借りて島内1周をして、前回の借りを返すことができた。し
    かも、礼文島行きのフェリーで、ほぼ同じ行程をとる女性と知り合って(そもそものき
    っかけは、フェリーが揺れて揺れて仕方無いので、喋り仲間を探していただけなんだけ
    どね)、帰りの稚内からの行程は、サロベツ原野経由で豊富駅まで車に載せてもらった
    りしました^^;。
    
     豊富駅からは、急行『礼文』〜特急『オホーツク』〜快速『ミッドナイト』〜(函館
    散策)〜快速『海峡』(竜飛海底見学つき)〜急行『?(臨時:忘れた)』で上野まで
    駆け足(でもないか、、、)で帰京。
    
    
    5回目(1991年秋)
     大学は秋休み。しかもバイトもお休み。東京にいても毎日曇天。そんな状況なんで
    周遊券が冬季割引になる10/1を待って北海道に出ていった。
    
     急行『八甲田』〜『海峡』で北海道入り。列車にゆられて風蓮湖付近の酪農地帯を
    散歩したり霧多布岬でウミネコと戯れたり、ニセコで露天風呂に浸かったりしていた
    り、美瑛を自転車で走っていたりしたのだが、いかんせんどこに行っていたのか記憶
    が何故かはっきりしてない。
    
     唯一、記憶にはっきり残っているのは、またまた斜里でのレンタカーの半日ツアー。
    斜里出発後、東藻琴〜美幌峠〜屈斜路湖〜摩周湖〜裏摩周を通って斜里へ戻る行程。
    天気に恵まれて景色は上の上。そして、このあたりから、周遊券を片手に北海道に
    向い、夜行を宿に放浪するのはある種の限界があるのかもしれないと感じたのも、
    この運転のころからであった。
    
     帰京は、初めての『北斗星(6号)』。どうやら津軽線で貨物列車の踏切事故のあお
    りを食らって、2時間の遅れを出してしまっての上野到着。特急料金3,090円が戻っ
    てきてちょっと得した気分ではあった。
     
    
    6回目(1992年冬)
     実はこれって、大学の研究室のスキー旅行でニセコに行ったついでなんです。
    スキーそのものは23日まで、そのあと4日ほど放浪していたのです。
    
     で、北海道には友人含めて3人で『北斗星5号』に乗車。ガラガラのロビーカー
    で酒盛りをして、翌朝、長万部で乗り換えニセコ入り。
    
     ニセコ(ヒラフ)では、まだスキーがうまくなかったせいもあった上に、国体コース
    で大転倒して靭帯を伸ばしたり(これが機会でコブ斜が好きになったって話もある)、
    メガネが壊れたりで散々だっりした。
    
      ニセコの後は札幌が実家の友人と札幌で遊んでから、『オホーツク7号』で網走
    へ向い、サロマ湖で日食を眺めにいった。(天気は曇り) で、すぐに層雲峡に戻って 、
    クリスマス・イブの24日は利用客わしだけという民宿 『銀泉』で一泊。
    
     翌日は、送迎バスで一旦札幌まで戻って、またまた『オホーツク7号』で網走(美
    幌)に向かう。なんとも効率の悪い移動を繰り返す。
    
     美幌からは、阿寒湖に向かった。実は、今回は目玉であった。昼前には、民宿『い
    こい』に到着し、湖の回りを散策していた。天気もいいし、雄阿寒岳もばっちりで気
    分も最高のはずだった。
    
     しかし、不運というのは続くものらしく、この散策中に財布を落としてしまった。
    もうそこからは、一気に気分が降下する一方。その晩は、寝る以外にすることがなか
    った。 結局、帰りの旅費を宿の人からお借りして(宿代は前金で納入済みで切符は
    無事だったのが不幸中の幸い)、東京に戻ることになった。帰路は、阿寒湖から定期
    観光バスに乗って(これが一番安上がりなの!)、摩周湖(また晴れ)経由で、川湯
    温泉駅に向かい釧路へ出る。釧路からは『おおぞら8号』〜『北斗星5号』で帰京。
    
     なお、落とした財布は、阿寒湖畔のホテルに届けられていたらしく、帰った翌日に
    実家に郵送されていた。(中にあった献血手帳で身元がわかったらしい。)
    
    7回目(1993年夏)
     これを回数に入れるにはどうかと思ったが、これをカウントしないと90年から
    毎年出かけているということにならないので入れた。
    
     このときは、下北半島を野辺地から大湊線〜下北交通(鉄道・バスで)を使って
    ずっと北上して、本州最北端の大間からフェリーで函館港に向かった。函館港から
    はバスで駅まで向かい、すぐに快速海峡号で青森にとんぼ帰りした。これだけ。
    
     青森に戻ってからは、市内で一泊し十和田湖に寄ってから青荷温泉に泊まり、翌
    日 (93/7/12)に川崎に戻ったのだが、東京に戻ったころに北海道南西沖地震が発
    生したという話のほうが印象に残っている。
    
    8回目(1994年春)
     恥ずかしい話、この時からいわゆる『とほ宿』の存在を知った。(しかも収集
    源はるるぶだから、、、)
    
     朝7時に東京を発ち、盛岡からは鈍行(もちろん客車)で青森へ。夕方に函館に
    到着。これも恥ずかしい話、この日初めて函館の夜景というものを見た。神戸・大
    阪に比べると迫力ないなぁってのが正直な感想。(ちなみにロープウェイは大混雑
    で往復共にバスの利用)
    
     次の日には、『スーパー北斗』初乗りを果たし苫小牧まで。苫小牧からは日高本
    線(これまた初乗り)とバスと乗り継いで襟裳岬へ(もちろん初めて)。着いたの
    はいいのだが、乗ったバスが休校日の関係で広尾方面最終バスだったので、結局、
    岬は素通り。その日は幸福駅跡地に寄って、帯広に泊まる。
    
     翌朝、セナの事故死のショックで意識朦朧のなか釧路へ向かう。(車内ではゴミ
    のスポーツ新聞をひたすら探していた。)釧路からは、レンタカーを借りて道東を
    廻る。どこ行ったかはよく覚えていないが、釧路湿原〜900牧場〜摩周湖〜野付半
    島〜別海温泉【泊】〜風蓮湖〜霧多布岬〜釧路だったと思う。パイロットファーム
    では農道と国道の区別がつかない道を走っていたせいで、方向感覚と距離感覚を失
    っていたのだけはよく覚えている。ちなみにレンタル時間の24時間での走行距離は
    470km。
    
     で、『とほ宿』に初めて泊まったのは別海温泉に泊まった次の日のこと。池田か
    らちほく高原鉄道で小利別に向かい『夢舎』に。GWってこともあってとにかく人
    が多かった多かった、、、
    
      結局、夢舎では朝飯抜きで、ちほく高原鉄道の一番列車に乗り込んだ。この日は
    雨だったので岩尾別温泉までずるずる移動して温泉に浸かり、一日無駄使い。また
    また、釧路に戻って夜行で札幌に一旦よってから苫小牧へ出て、フェリーで帰途に
    ついた。天候最悪で太平洋上では揺れる揺れる、、(東京湾に入るまで食欲なし)
    
      伊勢原に戻ってからは、もちろんサンマリノGP (のビデオ)。
    
    9回目(1995年秋)
     自分は、常々晴れ男だと勝手に思い込んでいるが、この時は、上陸した間
    だけが晴天続きという素晴しいものであった。
    
     出発は、上野駅から臨時『はくつる』で出発。久々に583系(電車寝台)に乗車
    する。(もはや『津軽』・『八甲田』といった定期夜行急行はなかった。)
    
     青森からは、いつも通り『海峡』で北海道へ。トンネルにはいると暇になるので
    その間に行程を立て、函館到着と同時に予約関連の電話を一気に行う。これ以来、
    海峡を越える間にプランを立てるというパターンが定着してしまった。
    
     上陸したその日は、JR北海道での未乗区間を乗潰して札幌で一泊。
    
     翌日は、帯広に移動しそこからレンタカーで、然別湖・オンネトーを廻り、『か
    ぶとむし』で一泊した。十勝地方を廻るのが久々だったので、あちこちの農場でフ
    ォットストップを行っていた。
    
     帯広に再び戻ってからは、夜行の関係で、一旦釧路まで出て、川湯温泉・硫黄山
    で紅葉見物をしてから札幌にとんぼ帰り。紅葉シーズンなのに然別湖・オンネトー
    も含めて、どうも色合いがぱっとしない。(夏の天候不純のせい?) 紅葉よりは、
    列車待ちで1時間以上いた川湯温泉駅(無人駅)で眺めた満点の星空の方が印象が
    強かった。
    
     札幌からは、廃線後の深名線をバスで巡ってから(ここの紅葉が一番よかったか)、
    美瑛の『おかせん里』にお世話になる。
    
     道内最終日は、一日中、自転車で美瑛を駆けずり回って、調子に乗って白銀温泉ま
    で行く。若い娘が良く訪れるって理由を抜きにしても、美瑛はいいなあとつくづく実
    感した。夕方に美馬牛駅を離れ、あとは、『スーパーホワイトアロー』〜『はまなす』
    〜『白鳥』〜『あさひ』で駆け足帰京。雨は一滴たりとも降らず、毎日晴れ!で無事
    戻ってきた。
    
     唯一残念だったのは、200枚近く撮った写真が、某カメラ店の手違いで、全部パー
    になったこと。店ではいつでも撮りにいけるからいいですよなんて言っていたがやは
    り悔しい...
    
     
    10回目(1996年冬)
     流氷見るぞ!と言って、わずか4日半の強行プランを立てて、5日間有効の
    北海道フリー切符(名前は自信なし)を持って出発した。
    
     初日は、東京から旭川まで『やまびこ』〜『はつかり』〜『スーパー北斗』〜
    『スーパーホワイトアロー』を乗り継いでの14時間の超駆け足乗り継ぎを敢行。
    途中、函館・札幌で一休みをしたもののとにかく体調が悪く、札幌では途中下車
    して薬局に直行し、ドリンク剤を買い込む程だった。
    
     2日日は急行『礼文』で、久々に稚内へ。稚内からレンタカーで宗谷岬をまわり、
    オホーツク海沿いに浜頓別に向かう。流氷は、、、?と探したが陸地から海への
    強風のため、オホーツク海は果てしなく寒い青一色であった。結局その日は、
    『トシカの宿』に泊まる。
    
     3日目は、北海道では初めて雪道を走破して(いや〜怖かった、、)、豊富温泉で
    一休みしてから、稚内に戻り急行『サロベツ』で札幌へもどり、今度は、夜行特急
    『オホーツク』で網走へ。
    
     網走からは釧網線の景色を堪能し釧路へ。その後、帯広の六花亭本店によって、
    夕方には、『北斗星4号』の乗客になっていた。やはり、4日じゃ短すぎる。
    
     翌日は、そのまま会社に出社。
    11回目(1996年秋)
     前回(10回目)が、わずか3,4日程度しか道内にいなかったので、北海道'96後半
    戦と銘打って、北海道ニューワイド周遊券を片手に出発。
    
     会社から上野駅へ直行し『はくつる』で北上開始。会社帰りに夜行で一気に
    旅立つのは、「現実逃避をするぞぉ〜!」って感覚があって非常にたまらない。
    
     上陸後(9/20)、札幌までは久しぶり函館本線(倶知安)経由で行く。さびれたと
    は聞いていたが、あまりの凋落ぶりに唖然とする。小樽で夕飯と銭湯で途中下車
    してから、札幌に向かい、夜行『おおぞら』で釧路へ。
    
     9/21は、釧路(道東)に出たのはいいのだけど、この日は一日中雨なので、温泉
    ツアーを行う、川湯温泉と屈斜路湖の池の湯に入り、さらに摩周湖で時間潰し。
    見えない摩周湖を初めて見る:-)。その日の晩は『ひとつぶの麦』
    
     翌日(9/22)は天気予報通りの晴れ。朝飯抜きで斜里に向かい車を借りて(これ
    で3度目)、裏摩周〜からまつの温(計根別)〜開陽台を経由して、知床半島南
    側へ入り相泊温泉で締め。羅臼に戻って民宿『とおまわり』で一泊。魚料理のす
    ごさは量質共に噂通りであったが、この日は、家族連れに占拠されたせいもあっ
    て、退屈になってさっさと寝る。
    
     9/23は台風接近のため大雨。峠を閉鎖されては大変と速攻で峠を超える。知床
    峠はまた雨だった。岩尾別温泉に浸かってから斜里に戻る。斜里からは釧網線で
    釧路に出て(途中、カモシカを跳ねる現場に遭遇した)、『おおぞら』で新得に
    向かう。すでに太平洋側は台風一過で青空が見えていた。
    
     新得では、『ロッジ・アルプ』で一泊(宿泊客わしだけ!)。翌日どうしよう
    かと主人と話していたところ、たまたまヘルパさん(女性)が大雪の高原温泉方面に、
    紅葉を見るというから、ついて行くことにした。
    
     で、9/24は新得から然別湖経由で国道273号線を北上し三国峠を超える。10年
    前ダート道だったなんて想像もできない位、立派な道になっていた。(呆然、、、)
    三国峠をこえれば高原温泉はすぐ。紅葉見物は泥道を行く結構ハードな散策。紅葉
    はいま一つだったが早めに出かけたことが大正解で混雑する前に散策を楽しめた。
    帰りに、幌別温泉に寄ってから新得まで戻る。ガソリン代+謝礼で2,000円と超お
    得であった。
     
     新得からは、『スーパーとかち』に乗り込み新千歳空港に向かう。初めての飛行
    機の利用。チェックインを1時間半前に済ませからは、あまりにもあっけなく寂し
    くて、一旦、札幌に名店街で土産を買いに出かけた。やはり、飛行機はつまらない
    と実感し、使わねばならない自分が少し悲しかった。
    12回目(1997年春)
    初めて車で北海道を走った90年秋以来、抱えていた夢“自らの車を担いで渡道する”
    がようやく実現した。ディジタルカメラ持参だったのでこちらを参照してください。
    13回目(1998年夏)
    今回も車にて渡道。今回もデジカメ持参だったのでこちらを参照してください。
    14回目(1999年冬)
    今回初めて往復とも飛行機利用。流氷を追いかけました。こちらを参照してください。
    15回目(1999年春)
    近海郵船乗り納めツアーとなりました。こちらを参照してください。
    16回目(1999年秋)
    僅か4.5日の強行軍の中、初めて11月(晩秋)に上陸しました。こちらを参照してください。
    17回目(2000年冬)
    会社の仲間とスキーで渡道。最終日は札幌を散策してました。こちらを参照してください。
    18回目(2000年秋)
    車担いで行きましたが、色々大変でした。こちらを参照してください。
    19回目(2000年秋)
    前回の僅か2ヶ月後に道南を中心に旅しました。こちらを参照してください。
    20回目(2001年初春)
    21世紀早々に出かけました。こちらを参照してください。
    21回目(2001年春)
    ANA のマイル放出でG.W.にでかけました。こちらを参照してください。
    22回目(2001年夏)
    ちょっとした所用で、ANAの超割を使ってでかけてきました。強いてみたものと挙げると、
    津別峠からの屈斜路湖だけかな。(なので、今回は記録は省略)

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