2000/12/16

武松政策研究会

月例勉強会「教育のベースにあるもの」

 

今日は、政治とか行政の話から少し離れてしまいますが、ソフトな話をしたいと思います。

テーマは「教育のベースにあるもの」となっていますが、教育を受ける子供にとって教育を受ける以前に育っていなければならない受け皿となるものについての話です。

一言で言えば情緒の安定ということかと思います。

教育や教師、保育などはどうあったらよいかを考えるひとつの参考にしていただけたらと思います。

 

講師自己紹介

保健婦という職業である企業の健康管理室で健康相談をしていました。子供が生まれてからは、市の乳児検診や育児相談のお手伝いを何年かしていました。会社での相談の中には、体の病気のことだけでなくそこに隠れている心の問題(精神病とは限らない)も扱います。東大や早稲田、慶応出の人はたくさんいて、でもそのような人が、不適応をおこしたりするのを見てきました。

心の未発達な部分や、子供の頃の不安が、会社での人間関係で再現されるようなケースもあり、教育を自分のものとして身に付け、人がその人も持つ力を充分に発揮して生き生きと社会生活を送るには、今更ながら健全な心身の発達とか精神の安定が必要だと実感させられました。大人になる以前のもっと初期の発達を大切にする必要があると思いここでお話しようと思います。

保健婦であって、心理を専門に扱う仕事ではないので、至らない部分があるかと思いますが、不足する部分は各自で勉強して下さい。

 

まず事例から報告させていただきます。

 

事例

ひとつの子供を理解する例として

小学校1年生の男の子。クラスで落ち着きがなくいろいろ問題を起こす子。

 ある時、教室に高いロッカーがあって、その上に立ち、飛び降りようとすることを繰り返しするようになった。本人もまわりも危ないので、「やめなさい」と女の先生が注意するとけれど言うことを聞かない。仕方なく抱き下ろすことを繰り返していた。

 

 皆さんが先生だったらどうしますか?なぜそのようなことをやめずにするのかと思いますか?

 

 手におえないということでカウンセリングに連れてきました。お母さんに赤ちゃんの頃の話を聞いてみると、この母親はミルクをあげるけれど、抱っこした事がありませんでした。この子は抱かれて安心するという経験をしていなかったのです。それが一度抱き下ろしてもらった時の感覚が無意識のうちに快い体験となりました。それでこれも無意識に何度も高いところに登っては、抱き下ろしてもらうことを繰り返していたのです。

(無意識に抱っこしてもらいたくて繰り返しやっていた。)

 このような無意識の要求、無かったものを埋めようとするような要求の場合、良く話も聞かずに、注意したり罪を与えたりすることでは変わらないのです。おさまったように見えても別のことでまた問題を繰り返し「手におえない子」「ダメな子」とされてしまいます。

 これは、やめさせるものではなくて、どうしてそういうことをするのか理解しようとする態度の例です。

 問題行動や身体の病気・症状を訴える背景には、心の(病でなく)訴えが隠れていることもあることをわかっていただけたらと思います。もちろん親の理解も大切ですが、保育士や先生の資質としても非常に大切な部分でです。

 

 

次に人間が精神的に健康に、中でも社会的な存在として安定した生き方をするために、それぞれの発達段階に乗り越えなければならない「発達課題」というものがあって、その段階を経ないと、次の危機的問題(課題)を乗り越えられないと言われています。

(これは、知的能力や運動能力だけではどうにもならないもの)

 

まず幼児期の心の発達についてお話します。

 

1.木の見える部分と見えない部分を人間にたとえると

 大きな木を思い浮かべて下さい。見えるのは、葉・枝・幹です。その形は人それぞれだと思います。葉も光合成をして木の生命を支えているのですが、その木が嵐にも耐えて、大木に成長していけるかは、どれだけしっかりと(目に見えない大地の中で)根を張っているかによります。この根こそ木を支えているものです。

 人間を木に例えると、見える部分というのは、容姿や職業、学歴など。見えにくい根の部分というのは、正確とか人格といわれる部分。その人がどれだけ社会的な存在として安定して生きていけるかは、この心の根がどれだけしっかりしているかによるのです。

 

小さな苗木と同じで、この根の一番大事な部分は、幼児期につくられます。感じ方や考え方の基礎が形づくられる時期なのです。そして子供と親は、根と土の関係と同じです。

2.良い根の条件

 @太い根であること

    これは子供の心が安定していることにあたります。そのためには、まず0〜1才までに基本的な信頼を持つことが必要です。

  A活発な吸収力と排泄力を持っていること。

    これは、子供の心が、生き生きと外の刺激を受け、体験をして動いていることと、遊んだり食べたり排泄するなどの生活の必要に合わせた自立の能力をもつことにあたります。

    これを「自立性」と言いますが、1才から3才頃までに心の中に芽生えてくるものです。これがないと自分で自分に合った生き方を見つけ出すことが困難となります。

 B長くてたくさん枝分かれしている根であること。

    子供の心が、未知の世界に関心を示し、自分の世界を広げようとしていること。言い換えると「自発性」があることです。これは、3才頃から育っていきます。

    後で説明しますが、この「基本的信頼」「自立性」「自発性」は、幼児期に形成されて、その後の生き方の原型となります。「三つ子の魂百までも」というのは、このことです。

3.思春期

    嵐にあたるのが、思春期の心身の変化です。それまでの心の根がしっかり張っていないと、不登校、非行、家庭内暴力などとなってあらわれやすいといわれています。

4.土にあたる親について

    根を「無条件」に包むこと。

根の吸収と排泄を受入れること「受容」

根が一人前に伸びようとすることを認めること「承認」

この3つが大切であると言われています。

小さな苗を何度も植え替えてしまったり、肥料を与えすぎてしまったり、穴のあいていない鉢に植えてしまったりすると、苗は枯れてしまいます。それと同じ事です。

次にこの木の根の話を発達段階に戻します。ここでは、エリクソンの理論をもとにお話しします。


人間発達の8段階

図1.人間性の発達段階とライフ・タスクおよび人間の強さ

この図は、エリクソンの著作をもとにして視覚的理解が可能なように工夫してつくったものである。人間の強さや倫理性を中心にすえ、左右にポジティブな課題とネガティブな課題を配置し、しかも等しい長さにしなかったのは、重みの違いを表したものである。

 

■第T段階(0〜15ヶ月頃)

 基本的信頼

 この時期は、身体的生存のためにも、情緒的安定のためにも親(又は代わりとなる人)を必要とし、完全に依存している状態。

   お母さんが、泣くと来て、空腹を満たしてくれる。オムツを換えてくれる。抱っこしてくれる。あやしてくれるなどの経験を積み重ね、不快を訴えると快い状態に変化するという確信が芽生えてくる。そしてお母さんの存在と、自分の要求に気づいていきます。快い体験を繰り返すことで、生きることへの安心感、さらには、自分や人を信頼することができるようになっていきます。これがこの時期の発達的課題である「基本的信頼」の確立です。

 基本的不信

   BaByの要求が無視され、満たされないことが繰り返されると、自分自身の存在の危機感、恐ろしい不安として深い無意識の部分に染み付いてしまい不信となります。

 見捨てられる不安

   自分をしっかり包み込んでくれる世界を得られないと「見捨てられる不安」につながっていきます。

  この時期の快い体験で、お母さんも子供も心が満たされるという母子関係の確立が、心の根源的な安定感と、その後の人間に対する信頼感を生み出す基礎となっています。

(やがては、友人や先生をとおして人を信頼することを学んでいく)

母子関係の大切さは、ここにあります。

 

■第U段階(15ヶ月〜3才頃)

  言葉や運動の能力が発達してくる時期。トイレットトレーニングに代表されるように、しつけによって葛藤を体験する時期。その中で、協調性とわがままや、自制心と自己主張のバランスを体験的に身に付けていく。

  外からの要求を自分の要求に折り合いをつけて、自分の体を自分の意志で動かすことができるという体験から「自立性」が発達していきます。この自立性が育つと自尊心が育っていき、逆に育たないと恥による劣等感、自分の価値に対する疑惑が深まってしまいます。

この時期子供は、「イヤ」「自分で」を連発します。「私が王様よ」という状態です。

これは、主体性を持ったひとりの人間としての自己主張であり、自我が芽生えてきた現われです。

ここで子供のペースを認めて、やろうとしていることを見守ってあげると、「自分の感情や考えに基づいて行動している」という自分への自信が出てきます。そこから、お母さんから離れて子供同士の集団に溶け込もうという気持ちにつながり、その後自分らしく主体的に生きていくための土台となります。

逆に、親のペースを押し付けることが多いと子供は、「イヤ」と言いたいけれど、お母さんの愛情を失ってしまうのも怖いというジレンマに陥って自己不信感を持ったまま大きくなってしまうことがおきます。

・分離不安 お母さんの存在を確認することで心のエネルギーを補給

・この時期の環境の大きな変化 根こぎと同じ

 

■第V段階(3才〜6才頃)

 親の価値観を無批判にそのまま自分のものにとり入れていく時期

 母子からお父さんとの関係、友達との関係に入っていく時期。子供同士の遊びの中で、自分を主張し、相手を受けとめる交流を体験して、対等な人間関係をつくる能力を発達させていきます。「子供同士の遊び」の世界がどうしても必要となります。

 自発的な行動(目的をもって自分からこれをやろうと思ってやり始めたこと)の成功も失敗も体験させます。(これが主体性(積極性)と罪悪感のバランス)その積み重ねから、正確な判断力や行動力というものが生まれてくる。

 この時に、「過剰な期待」があると、自分で何をしたいのかという気持ちがなくなり、他の人からの指示でしか行動できなくなってしまいます。自分の判断基準が育たないため、自発性・主体性が育たなくなってしまいます。

 そうすると、このような自分のない子は、仲間の中に入っていけなくなり、後に引きこもりや不登校、拒食症、家庭内暴力といった問題を起こすことになります。

 

■第W段階(5、6才〜思春期の始まる頃まで)

 個性がはっきりとしてくる。自分を個人としてみるようになり、親をより現実的に見るようになる時期で、子供同士の世界で自己主張しながら社会的な適応の基礎を身につけていく段階。(自然にできる秩序に従う。)

 この段階の発達課題は、「勤勉」感情の獲得と劣等感情の克服ですが、ここでいう勤勉というのは、知識・技能を身に付けることと社会に適応することの方法を学ぶ努力をすることです。自分は駄目だ。できない。という劣等感を克服することで自分はこれでいいんだ。やっていけるんだという感覚を身に付けていきます。

 学業の不振児などの問題もこれまでの発達課題が未解決のままにされてきてしまったことによる場合が多いと言われています。

 

  このようなことを意識しなくても通常は、人間の体(心も体も)は、必ず自然に治るとか良くなる。成長・発達するというようにできている。それを逆らったり妨げないようにその力を信じて「待つ」ことも大切です。

  妨げになるものには、育てる人のペース(親の都合)に合わせようとさせたり、親の安心のために何かをさせるといったこともあてはまる。

  今は妨げになる(教育と称して)要因が多いのではないかと思います。17才・キレる・不登校などもう一度乳幼児から学童期を大切に育てることが見直されるべきではと思います。

  以上のようなことから、家庭での子育てだけでなく17才の問題、保育施設や保護者の資質などついてもう一度考えていただけたらと思います。

 

 

育てるものの態度・姿勢(親だけでなく)

 ・まず受容

 ・そして承認

肯定的に認めてあげること。人間にとって一番つらいのは、存在を否定されたり、無視されること。芽生えつつあるものをつぶさない。認めて欲しいがために問題を起こすこともある。

 ・共感

  これらがあると人は(大人も子供も)安定してくる。

  会社で不適応をおこす人も同様で、安定すると次へ進める。自分がどうしたいのか?

  どうすべきか考えられる。