番外編フィンランド旅行記

20001年1月24日から31日までフィンランド・ラップランド地方およびスェーデン・ストックホルムへ、
オーロラ観測とラップランドならではのアクティビティ体験に行って来ました。
鉄道とは全く関係がないのですが、これはこれで有意義な体験だったので、日本ではあまりなじみのない北欧について
あれこれ書いてみようかと思います。
第一日目(1月24日)
第二日目(1月25日)
第三日目(1月26日)
第四日目(1月27日)
第五日目(1月28日)
第六日目(1月29日)
第七日目(1月30日)
第八日目(1月31日)
第一日目(1月24日(水))

今回はいつもと違い、某旅行代理店の主催するパッケージツアーへの参加なので、
日程表とツアーコンダクターの指示に従っていればいいという非常に気楽な旅です。
実は今回の旅行は母親が「初めての海外旅行なので、不安だから付いてきてくれ。」ということで、
成田到着後、チェックイン・出国審査などの手順を説明しながら、搭乗口へと向かいました。
  成田発11:55のフィンランド航空AY074便で日本を出国、ヘルシンキ着15:40。
飛行時間が短いですが、これは7時間の時差があるためで、つまり乗ってる時間は約10時間というこ とになります。
ヘルシンキ到着後、すぐに国内線へ乗り換えロバニエミというところに付いたのが、午後17:30頃でした。
ここは北極圏よりほんの少し南に位置しています。
ロバニエミ空港に降りたって最初に気が付いたのは、客待ちのタクシーがVOLVOだったこと。さすが北欧という感じです。
空港からはバスで市内へ。この街は第二次世界大戦中に戦渦により完全に破壊されてしまったそうで、
今では、整ってはいるけれどこれといって個性のない、東京のような街並みに感じられました。
ロバニエミで是非行ってみたかったのが、マクドナルド。
ここは世界中のマクドナルドのチェーン店の中で、最北端に位置しているそうです。
ホテルに荷物をおいて早速行ってみましたが、特に最北端を示す案内のようなものはありませんでした。

第二日目(1月25日(木))

午前中は、ロバニエミ郊外にあるサンタクロース村訪問です。
このサンタクロース村は北極圏境ラインの上にあり、入村の儀式を済ませると、北極圏到達証明書がもらえます。
また、村内にある郵便局からは、クリスマスに届くよう手紙を出すことができます。
トナカイのシチューの昼食の後、バスでいよいよオーロラ観光名所、ユッラス山の麓にあるアカスロンポロ村へ向かいました。
この村は、周りに高い山や明るい町がなく、オーロラ観測には非常に適しているとのことです。
もっとも、西洋ではオーロラというのは不吉な言い伝えが多く、わざわざ見物にくる物好きは、日本人とドイツ人くらいだそうで、
我々が行ったときも、いくつもの日本人の団体が集まってきていました。
アカスロンポロ村一日目の今日は天気も悪く(曇り空で全く星が見えない)、翌日以降に期待ということでさっさと寝てしまいました。

第三日目(1月26日(金))

今日はトントゥ(サンタクロースのお手伝い役)の勉強をするために、サンタクロース学校に一日入学です。
まず、クリスマスツリーにする「トウヒ」の木を探すため、スノーモビルを運転して山の中へ入ります。
スノーモビル運転のインストラクターは「ミカ」さんと「トミ」さん。さすがフィンランド、とても速そうな名前です。
(といっても、モータースポーツに興味のない方には、なぜ速そうな名前かわからないと思いますので、
「ミカ」は1998年F1ワールドチャンピオンの「ハッキネン」の名前、「トミ」は世界ラリー選手権で1996年から
99年まで前人未踏の4年連続ワールドチャンピオンになった「マキネン」の名前です。もちろん上記のお二人とは別人ですが)
片道約6qを30分かけて森の入り口へ行き、そこからかんじきを履いてツリー探しです。
よいクリスマスツリーの条件は、枝振りがいいこと、食べておいしいことです。
ちょうどいい木を持ち帰り、クリスマス料理で昼食です。
この地方のクリスマスの風習なのですが、デザートのミルク粥の鍋にアーモンドが一粒だけ入っており、それを食べた人は
来年のクリスマスまでいいことがある、という言い伝えがあるそうです。
しかし、このときは誰もアーモンドに当たった人間がおらず、鍋にも残ってなかったので、
「気が付かずに食べてしまったのは誰だろう?」と謎を残すことになりました。
午後からはクリスマスツリーの飾り付けで、ジンジャークッキー・藁で作るヒンメリ・毛糸のトントゥなどを作ってツリーを飾ります。
その後、サンタクロースの奥さんより、クリスマスとサンタクロースのお話について聞きました。
クリスマスツリーは12月24日に森に取りに行き、クリスマスは家族が一同にそろって収穫に感謝する日であること、
サンタクロースは東の方の「耳の山」というところに住んでいて、トントゥを通じて子供たちがいい子か悪い子かをいつも見ていること。
など、あれこれの話に関する試験があって、サンタクロースより、無事サンタクロース学校の卒業証書をもらうことができました。
さて、この時点で夕方になり、北の空が雲が切れて星がのぞき始めました。
オーロラは大気圏最外層で発生するので、雲があるとたとえ発生していても地上からは見えないのです。
20:00過ぎに村はずれの高台にある博物館へオーロラ観測へ出かけました。
ところが、いつのまにか空一面の雲となってしまい、天候回復の兆しも見えず、オーロラ観測を断念してホテルに戻りました。
結局この日も一晩中空が晴れず、オーロラは見えませんでした。

第四日目(1月27日(土))

今日は1日フリータイムなので、午前中は道具を借りてクロスカントリーをすることにしました。
ゲレンデスキーはベテランですが、クロスカントリーの板を履くのは初めてで、ついついストックを体より前に刺しすぎてしまい、
何度も後ろへひっくり返ってしまいました。
慣れてくると気持ちよく滑れるようになりましたが、ターンなどでついついエッジングをしては、バランスを崩してしまいます。
(クロスカントリーの板にはエッジがない)
午前中いっぱい滑った後、午後はトナカイそりに乗ることにしました。
しかし、残念なことに今年は雪が少なく、普段のコースの半分くらいの距離しか乗れないそうです。
トナカイそりを経験した後、コタ(ラップランド地方先住民族の代表的な小屋)の中で、トナカイに関するあれこれを聞きました。
それによると、この地方のトナカイはみな放し飼いで、耳に切り込みを入れて誰のトナカイかを区別しているそうです。
トナカイが妊娠するのが9月、子供が生まれるのが5月なので、年に2回この時期にすべてのトナカイを集め、9月には
食用となるトナカイの選別、5月には子供のトナカイの持ち主判定(この時期ではまだ母トナカイにくっついているので、
親の持ち主のものになるそうです)が行われます。
トナカイは一夫多妻で、強い雄が十数頭の雌を独占して子作りをするそうなのですが、それが終わるとやせ衰えてしまって
食用にはならないので、結局雌に相手にされなかった雄が食用にされてしまうという、踏んだり蹴ったりの悲しい運命が
待ち受けているそうです。
また、そりを引くためのトナカイは必ず去勢した雄でなければならないそうなのですが、去勢の方法が、以前は飼い主が
喰い千切るというすさまじい方法だったそうです。今は法律でその方法が使えなくなってしまったので、ペンチで引っこ抜いている
そうですが、どちらにしてもトナカイにとってはかわいそうなことです。
夜は湖畔にあるカイヴォフォネ(井戸端という意味らしい)というレストランへ食事に行きました。
ここで驚いたのは付け合わせのてんこ盛りのフライドポテト。
あとで聞いたところによると、こちらではポテトは付け合わせではなく主食なので、とにかくよく食べるとのことでした。
さて、北極圏で過ごす夜も今夜までなのですが、きょうは一段と空は厚い雲に覆われ、星が覗く気配もありません。
それでも夜中まで待ってみたのですが、結局空は晴れずオーロラも見えませんでした。

第五日目(1月28日(日))

今日は早朝から移動です。本当はもっと余裕のある日程だったのですが、予定の飛行機が満席で乗れず、
初日に泊まったロバニエミまで戻って、空路ヘルシンキ到着となりました。
怪我の功名というか、本来の予定では15:00頃ヘルシンキ到着の予定が、
午前中にヘルシンキに着いてしまったので、思いがけずヘルシンキ市内観光の時間がとれました。
バスの中から公共サウナ、オペラ劇場、国会議事堂、市庁舎などを見物したり、バスから降りてシベリウス公園、
テンペリアウキオ教会、元老員広場(大聖堂)など、ヘルシンキの代表的な名所を見物することができました。
この大聖堂はロシア正教様式の壮大なもので、ロシア王朝時代の映画を撮影するのにソビエト政府の許可が下りなかった時代には
ここで代用されたこともあったそうです。
また、ヘルシンキの町は市電が縦横に走っており、交差点での複雑なポイント制御は運転台から運転士がリモコンで行って
いるとのことでした。
元老員広場ではおみやげ店にも寄ったのですが、やはり外国人(特に日本人)向けというと、ラップランド先住民族の民族衣装、
ムーミングッズ、キシリトールガムなどが目に付きました。
フィンランド製のもう一つの最近の大ブーム製品、元祖LINUX(コンピュータ用OS)はさすがにおみやげ店にはおいてありませんでした。
さて、市内を駆け足で回ったあと、港へと向かいます。
今日はこれから船でストックホルムへと向かうのです。
シリアラインという豪華客船で、夕方ヘルシンキを出港して、翌朝ストックホルムに到着します。
船の中での夕食後、デッキへもでてみたのですが、暗くて周りの景色も見えず、早々に船室に戻ってしまいました。、

第六日目(1月29日(月))

船の中での朝食後、デッキへと上がってみました。
船はすでにストックホルムへと向かうバルト海最深部を航行しており、航路の両脇には小島がいくつも浮かんでいます。
これらの島は、別荘地として売り出されているそうで、どの島もしゃれた家が建っていますが、中には水位があと5メートルも
あがったら、水没してしまいそうな島もあります。
9:35にストックホルム港到着、さっそくバスで市内観光へと向かいます。
大使館通り、ノーベル公園、北欧博物館、王立劇場、メーラレン湖などを車窓から見物した後、
ストックホルム市庁舎へと向かいました。
この市庁舎は、年に一度ノーベル賞の授賞記念パーティが行われるところです。
壮麗な市庁舎の中を見学した後、再びバスの車窓より市内見学し、王宮前より徒歩で昼食場所のレストランへと向かいました。
王宮の衛兵は陸海空軍が交代で行っているらしく、今日は海軍の水平服姿の兵隊が衛兵勤務に就いていました。
ミートボールの昼食後、再び市内を通って、ホテルへと向かいます。
今日の午後は自由行動なので、ホテルに荷物をおいた後、買い物と食事をかねて街へでてみることにしました。
ホテルを出て、NKデパートへ向かった後、PUBデパートへ向かいました。
このPUBというデパートは、その昔グレタガルボが売り子をしていたところだそうで、地下にそのパネル展示がありました。
PUBをでた後は、ドロットニングガータン(ガータンは通りの意味)を通ってガムラスタン(旧市街)へと向かいます。
スエーデンは、スイスとともに戦時に於ける厳正中立を標榜しており、第二次大戦にも参加しなかったため、
ストックホルムの街も、古いドイツ風の建物が建ち並ぶ様を残している美しい街です。
街路はほぼ碁盤の目状で、人がやっとすれ違えるくらいの細い路地も多く残っており、また、景観を損ねる看板類もほとんどないので、
おとぎ話の中の街に入り込んだような感じがします。
ガムラスタンからホテルまでは地下鉄で戻ったのですが、ストックホルムの街は市電がない代わりに地下鉄とバスが発達していて、
移動に不自由はないのですが、初めて乗る人間にとっては、どのバスに乗ればいいのかなどはちょっとわかりづらい感じがします。

第七日目(1月30日(火))

朝食後、出発の時間まで間があったので、朝の街を歩いてみました。
清掃車がゴミを集めている風景は日本と変わらないのですが、その清掃車を見て思わず、
「おおっ!VOLVOの清掃車だ!」と叫んでしまいました。
考えてみれば当たり前の話なんですが(VOLVOはスェーデンの自動車メーカー)、
日本ではVOLVOは高級車のイメージがあるので、「VOLVOの清掃車使ってるなんて なんて贅沢な国なんだ!」と勘違いしていまいました。
それから、その辺の車を見ていて気が付いたのですが、どの車もみなヘッドライトワイパーかウォッシャーが
付いています。
これは高級車ばかりではなく、日本からの輸入車(日本ではオプションですらそんなものはつかない)にも例外なしに
付いています。
こちら(北欧)では、1年中24時間ヘッドライト点灯が法律で義務づけられています。
また、日本と違い冬用タイヤはみなスタッドタイヤなので、粉塵で車はみな汚れています。
そんなところから、ヘッドライトウォッシャーもこちらでは必需品なのかもしれません。
さて、バスでストックホルム空港へ行き、ヘルシンキ乗り継ぎでいよいよ帰国の途に付くことになりました。
ところが、ストックホルム空港でもヘルシンキ空港でも出国審査がありません。
昨日の船の中でもスェーデンの入国審査もなかったし、どうも北欧というところは非常におおらかなようです。
ヘルシンキ行きの飛行機は定刻より遅れましたが、それでも無事成田行きに乗り継ぐことができました。

第八日目(1月31日(水))

夜中に機内からオーロラが見えるという騒ぎがあったのですが、オーロラだか雲の反射だかはっきりせず、
どうも希望的観測からくる見間違いではないかという話になりました。
日本上空にさしかかると、佐渡島、富士山、筑波山などが機上からはっきり見えるいい天気で、
定刻よりわずかに遅れて、10:00に無事成田空港に到着しました。
再び、入国審査、手荷物受け取り、税関の手続きなどを説明しながら、空港を後にしました。
この間、手荷物受け取り場所で、今回のツアーの全行程をツアーコンダクターのIHさんとお別れです。
ビジネスライクにあくまで引率&諸手続代行に徹する添乗員さんもいるなかで、Iさんは終始参加者が
心から旅行を楽しめるように、気を配ってすばらしい想い出を作る手助けをしてくれました。
オーロラ観測ツアーに参加しながら、肝心のオーロラがみれなくて、残念ではあってもそれほどがっかりしないのは、
Iさんがオーロラ以上の楽しさを演出してくれたからだと思います。
KIITOS! Iさん。
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