第4回山河屯SL運転記

2001年9月20日から25日まで再び中国黒龍江省山河屯での森林鉄道の体験運転と、
鉄法炭坑鉄道での上游型蒸気機関車の体験運転に行って来ました。
ここにその体験記を紹介します。これから中国旅行など考えている方、
あるいは蒸気機関車を運転してみたいという方の参考になれば幸いです。
第一日目(9月20日)
第二日目(9月21日)
第三日目(9月22日)
第四日目(9月23日)
第五日目(9月24日)
第六日目(9月25日)
第一日目(9月20日(木))

前夜から降り続いた雨が残り、台風の接近も心配される中、
成田空港で今回の同行者であるO氏と合流、1年ぶりの中国蒸気機関車運転ツアーへと出発しました。
アメリカでのテロ事件の影響で、手荷物検査等はかなり厳しく時間がかかると聞いていたのですが、
それほどのこともなく出国手続きを終えることが出来ました。
今回は10時45分発全日空905便北京行きで出国、1日目の宿泊地、ハルビンへと向かいます。
北京空港到着後、乗り継ぎの時間が2時間半くらいあったのですが、
道路渋滞を考えると北京市内まで行くわけにもいかず、
空港内の休憩所で お茶 を飲みながら時間をつぶすことにしました。
北京空港で国内線に乗り換えて約1時間半、19時前にほぼ定刻通りハルビン空港に到着しました。
ここで、今年も我々のために、忙しい時間を割いて全行程同行してくれる長春市海外旅游公司の
車作寛副社長の出迎えを受け、いよいよ運転気分が盛り上がってきました。
空港から2台のタクシーに分乗してハルビン市内にあるホテルへと向かいます。
1台は30分ほどで何事もなく到着したのですが、もう1台は渋滞に巻き込まれ1時間近くもかかってしまい、
夕食に予定していたロシア料理店に着いたときには、灯りが消えて店が閉まっていました。
仕方がないので、同じ 中央大街 にある別のロシア料理店に入り、
これからの旅行の安全と成功を祈って、差入れの茅台酒で乾杯しました。

第二日目(9月21日(金))

松花江近くのグロリアインというホテルで朝食後、いよいよ山河屯へ向かいます。
山河屯方面への列車に指定席がないため早めに駅に行ったのですが、
すでにかなりの行列でこのままでは座れるかどうか分かりません。
しかし、我々が優先して列車に乗れるよう車さんが駅員に交渉した結果、
早朝からならんでる人たちには申し訳ないと思いながらも、
先に改札を通らせてもらい車中に席を取ることが出来ました。
ところで、我々が乗った列車は山河屯の2つ手前の五常という駅止まりで、
そこから先は午後にならないと列車の便がないので、五常駅からタクシーで山河屯に向かいました。
ここでチャーターしたタクシーは軽のワンボックスバンタイプで、日本ではあまり見られないですが、
中国では割とポピュラーなタイプです。総勢4人+荷物が楽に積めて非常に便利でした。
約1時間ほどで山河屯の町についてまず驚いたことは、新しくきれいな建物が一気に増えたことと、
道路の舗装化がかなり進んでいたことでした。
今回も山河屯の町中はバイクタクシー(バイクの輪タク)で移動したのですが、
いままでは道が悪いので振り落とされないようにするのに必死だったのが、
画期的に乗り心地がよくなっていて、あまりバイクタクシーに乗っている気がしませんでした。
さて、山河屯に着いてまず毎年の宿である 龍山賓館(林業招待所)へ行くと、
内装・外装ともかなり手を入れたらしく、見違えるようにきれいになっていました。
服務員の女性も服装や客扱いがまったく変わり、
一般のホテルと遜色なくなっていたのには驚きました。
ホテルに荷物を置いたあと、林業局横の森鉄食堂で昼食を摂りました。
ここで、去年会えなかった艾(あい)さんと懐かしの再会です。
艾さんは車さんの従兄で、ベニヤ板製造工場の社長から、山河屯の共産党書記に出世していました。
もう1人、お会いしたかった林業局長の蒋さんは、
他の林鉄の視察に出かけていて会えなかったのが残念でした。
昼食後、体験運転の挨拶に林業局に王主任を尋ねました。
去年と同様我々を歓迎してくれた王さんですが、残念なことに今年は洪水の被害が大きく、
線路も橋梁部分がかなり不安なので、重いSLは向陽駅から先の運転は許可できないとのことでした。
向陽駅は山河屯から約25キロ程ですが、
今年は50キロ先の沙河子から先での運転を希望していただけに、ちょっとがっかりしました。
例年山河屯での運材は1、2月の冬季に行なうので、橋梁の補修は12月に予定されており、
現状では行きたくても行けないのが実情なのでした。
残念ではありましたが、自然災害ではいた仕方ありません。
万が一のことがあれば今後の体験運転など思いもよらなくなるので、
気を取り直して機務段へ向かいました。
ここで、副機務段長の王さんや機関士の人たちと再会、皆線路脇で待ち構えていて、
遠くから「おーい、また来たか」と、声をかけてくれました。
友達を迎えるように扱ってもらえることは、とてもうれしいことです。
今回はまず空荷の運材車3両と緩急車1両を牽引してのバック運転です。
途中の劉家屯、五家橋の駅でそれぞれ運転を交代することにして向陽へと 出発 しました。
途中から、牽引負荷が軽い割にはやけにブラストがいい音を出しているなと感じていたのですが、
五家橋〜向陽間で一旦停止後再発車しようとしたところ、いくら加減弁を引いても機関車は全然動きません。
本職の機関士さんたちは、すぐに運転台を降りて下回りの点検を始めました。
「また弁装置の不整合でも発生したかな?」と思っていたところ、
何とブレーキが全く緩んでいないことが発見されました。
火格子を揺するロッキング用の太いパイプでブレーキ梃子を緩解方向にがんがん叩いてみたのですが、
完全には緩みません。
今回使用の機関車は、大修理が終わったばかりで、
各車輪もタイヤを新品に嵌めかえてあるなど、各部がきっちりできていました。
たぶん毎年トラブルが起きるので、
今年はそんなことが起きないようにと修理が上がったばかりのカマを充ててくれたのだと思いますが、
車検後のクルマにトラブルが起きるように、この機関車も試運転状態だったようです。
何とかだましだまし走り出したのですが、
「この音は10両くらい引いたときの音だよ」と本職の機関士に言われるくらい力強いドラフト音を響かせながら、
やっと向陽駅にたどり着きました。
ここで本職の機関士が機回しをしている間、集まってきた子どもたちと遊んだり、
釣ってきた魚(コイ、フナ、ナマズ)を 駅端で捌いてる姿
を見学したりしていました。
この魚は付近の川で獲れる天然物です。
ここでは小魚のワタを取り除く時に、包丁を使わずハサミを使っていました。
また、子どもたちはモニタに自分たちの姿が映るのが面白いらしく、
ビデオカメラを構えると、 すぐに集まってきます。
向陽から山河屯への帰路は前進運転になり、刈入れの進む水田地帯の中を、
のんびりと運転して帰ってきました。
夜は林業局の王主任の招待で、我々の歓迎パーティーです。
先ほどの向陽駅で見た魚がみごとな山河屯の郷土料理になっていました。
コイの清蒸、ナマズの醤油味の煮物、フナのから揚げなど、どれも美味で、
思わず大量に食べてしまいました。
地元の味を堪能しながら、これも毎度おなじみご当地の白酒で乾杯を続け、
「来た」というより「帰ってきた」と感じるくらい、
すっかり馴染みになった山河屯の街や林業局の人々との第一夜を過ごしました。

第三日目(9月22日(火))

山河屯2日目の今日はいよいよ本番です。
といっても、向陽から先は運転できないので、
五家橋〜向陽間の本線を使って、往復運転をすることになりました。
山河屯から沙河子まではほぼ平坦線なのですが、この区間だけは小さな山越えがあり、
切り通しを抜け川に沿って走る、とても 沿線風景
のいい区間です。
朝までにブレーキも調整したから今日は大丈夫とのことで、
まず機務段を出発し山河屯の駅へ着いたところで、
またもやブレーキが緩まなくなってしまいました。
今回は、太いパイプで叩いてみても、全く緩みません。
最後には柄の長い、杭打ちに使うような大きなハンマーで叩いて、やっと緩めることが出来ました。
念のため、このハンマーを機関車に積んでいったのですが、
何故かその後は全くブレーキのトラブルはありませんでした。
今日もまずはバック運転で、昨日同様運材車と緩急車を牽引して出発しました。
例年だと、途中駅で交換のために割と待たされることが多いのですが、
今年はうまく定時列車の間を縫って、2時間ほどで11時過ぎ頃には向陽駅に到着しました。
ここで、機関車の向きを変え、昼食まで1時間ばかり付近の本線上を往復運転しました。
この間、林鉄の添乗者たちは、機関士一人を残して付近の川で釣りに勤しんでいました。
運転席から釣りをしているのを見て、
「釣れなかったら昼飯のおかずなしかなぁ?」などと言いつつ、12時頃に向陽駅に戻りました。
今日は駅に隣接した、 林鉄の郭さんのお姉さんの家で、
機関士の人たちを交えての昼食です。
昨日同様、川魚料理や、きゅうりなどの地元の 緑色野菜
大きな干豆腐にネギや自家製もろ味噌をつけて手巻きにしたものなど、
素朴ななかにも味わいの深い食事をいただきました。
郭さんのお姉さんはしきりに「田舎料理ですよ」と照れていましたが、
「こんなもので良ければいつでもいらっしゃい」と言ってくださいました。
林鉄の人たちも、自分たちの郷土料理を遠来の友人にどんどん勧めてくれます。
なつかしいおこげなども出され、洋化される前の、子ども時代の日本の食事にも通じるものがあります。
食後のデザートは家の裏庭のブドウ棚から自分で良さそうなブドウを選んで、房ごといただきました。
食事が済んで駅に戻ると車さんが、
「隣の駅までの間で2時間くらい遊んで3時位に山河屯に向けて出発しましょう」と、
またしても本線上を占有しての運転となり、
峠のサミット付近での撮影と機関車の運転を交代しながら、
たっぷりと運転を楽しむことが出来ました。
帰りは前進運転で山河屯へ無事到着、ここで林鉄の人たちと来年の再会を約して、
タクシーで長春へ向かいました。
途中、差入れのパンとソーセージで小腹がすくのをなだめながら、
夜12時過ぎに長春に到着しました。
長春のホテルは駅前にある春誼飯店で、ここはかつて 大和ホテルだった所です。
我々はそのままホテルで休んでしまってもかまわなかったのですが、
車さんは夕食が遅くなったことをしきりに申し訳ながり、
「最初予定していた店はもう閉まってしまったけれど、
24時間営業の四川料理のレストランがあるから行きましょう」と律儀に夕食に連れて行ってくれました。
ここで食べた四川風火鍋というのは、基本的にしゃぶしゃぶなのですが、
鍋の中が4つに仕切られており、普通のスープと辛いスープに分かれており、
好みのスープにくぐらせて食べるというものです。
さっきまで「もう飯はいいから早く寝たいよ」などと考えていたのもなんのその、
美味しそうな肉と野菜を目の前にしたら、すっかり食欲が眠気を圧倒してしまい、
夜中だというのに満腹になるまで四川火鍋を堪能してしまいました。
それにしても、夜中の12時をとっくに過ぎているというのに、新しいお客がどんどんやって来ます。
「10年前だったら考えられなかったですよ」と車さんが言うとおり、
中国の人たちの生活パターンは大きく変化しているようです。

第四日目(9月23日(日))

今日は鉄法に移動し運転自体を行うのは最終日というのに、
朝起きたらしとしとと雨が降っていました。
晴れていたら歩いて2分ほどなのですが、雨が降っているので、
都合よくホテル前に現れた幌つき輪タク2台に分乗し、長春駅へ向かいました。
ここから鉄嶺という駅まで、国鉄で移動します。
大連ーハルビンという中国東北地方の大動脈であり、かつて南満州鉄道が運営していた路線は、
今年の8月に全線電化が完成したそうなのですが、まだ電気機関車の数がそろわず、
ほとんどの列車はディーゼル機関車が牽引しています。
今回は軟座(グリーン車)での移動です。
この軟座は日本風のロマンスシートでなく、固定式のボックス席ですが、
幅・座席間隔ともゆったりとしていて、快適な汽車の旅が楽しめます。
長春駅を出発してすぐに、前進型蒸気機関車が止まっているのが見えました。
車さんの話だと、これは我々が去年訪れた大安北機務段のカマで、
現在でも定期列車を牽引して長春に顔を見せているそうです。
長春南駅を過ぎる頃、これも我々にはすっかり馴染みの 第一汽車工場専用線 の横を通過しましたが、
残念ながら上游型蒸気機関車が働いている姿を見かけることは出来ませんでした。
鉄嶺駅で下車し改札口を抜けようとすると、不意に日本語で声をかけられました。
ちょうど同じ時期に 鉄法炭鉱鉄道 の撮影に来ていたM氏で、
雨で撮影が出来ないので駅まで我々に会いに来たとのことでした。
M氏に同行していた中国側ガイドの人のお勧めの店で餃子の昼食後、
タクシーに分乗していよいよ鉄法炭鉱鉄道へと向かいます。
車さんが、「途中で炭鉱鉄道の人を乗せますので、
3人はあとの車でついてきて下さい」とのことで出発したのですが、
いつのまにか先行していた車さんのタクシーが見当たりません。
仕方がないので、去年来たという土地感もあり炭鉱鉄道部の建物まで先行して、
担当の王振輝さんに会うことが出来たのですが、
しばらく待っても車さんを乗せたタクシーが現れません。
結局、有料道路の料金所を出たところで停まって待っていた車さんのタクシーを、
気がつかずに追い抜いてしまい、抜かれたことに気が付かなかった車さんが、
ずっとそこで待っているという行き違いが生じていたのでした。
それでも何とか無事全員合流でき、
王さんの案内で鉄道部近くの大青駅(国鉄との連絡駅)へと到着しました。
鉄法炭鉱では観光事業に力を入れ始めており、王さんをその専任担当として、
体験運転などもプログラム化していくとのことでした。
大青駅で我々を待っていたのは、 上游型蒸気機関車と硬座(普通車)の「YZ22型」客車1両、
客車に乗り込んで驚いたのは、客車付き 女性車掌2人 も同行するということで、
まさに客車1両丸ごと借り切りという状態でした。
ときおり激しく雨が降る中を、まずは本職の機関士の運転で、体験運転場所まで移動します。
去年は専用線の一部で運転しましたが、今年は定期列車の運用の合間を縫って、
本線上で片道約5キロの往復運転です。
運転区間に着いて、いよいよ我々が交代で加減弁を握ることになりました。
運転台に乗り込んで気が付いたのは、速度計が付いているということ。
今まで乗った上游はどこでも速度計が付いていず、勘だけで運転していたのですが、
今回ははっきりと速度が分かります。
雨なので、前進は50キロ、バックは30キロまでと注意を受けたのですが、
実際には指導機関士(本職が3人乗車していた)によっては「もっと行け、もっと行け」と言う人もあって、
前進では60キロくらい出してゆるい上り坂を驀進させた場合もありました。
客車1両とはいえ、負荷をもって上り勾配を60kmで力行すると、
そのブラストは耳を圧するほどの迫力でした。
我々3人が交代で2往復づつした後、定時列車があるので次の駅まで移動するということで、
王千駅まで本職の機関士の運転で移動しました。
ここで定時列車の機関車機回し作業を撮影したあと、こちらも機関車を機回しして、
バック牽引で再び運転区間まで戻りました。
再び交代で3往復ほど、4時半頃になってこれ以上は暗くて危険だからということで運転を切り上げましたが、
片道5キロの往復を交代で一人1時間以上、思う存分運転を堪能することが出来ました。
客車に戻り、プロの機関士の運転を「さすがに静かに走り出すねぇ」などと大きな顔をして評価しているうち、
鉄法炭坑鉄道の中心地である、調兵山駅に着きました。
ここは初めて行った町なのですが、当初の予想と異なり、
立派な駅舎と繁華な街並みを持つかなり大きな町でした。
駅から徒歩5分ほどの所にある、「保齢宮賓館」というのが今夜の宿です。
ここは、1階がボーリング(保齢球)場とゲームセンター、2階がレストラン、3階がホテル、4階がサウナという、
ホテルというよりはレジャーセンターといった趣の建物です。
ホテルに荷物をおいた後、満州料理の店で食事となりました。
この店の餃子は全て蒸し餃子か焼き餃子で、
水餃子とはまた味わいの違う餃子を楽しむことが出来ました。
食事の後ホテルへ戻り、4階にあるサウナで汗を流すことにしました。
サウナの後は、中国運転旅行ではすっかり定番になってしまった足裏マッサージです。
マッサージの娘さんと冗談を言い合いながら足を揉まれてるとすっかりいい気持ちになり、
連日早起きで寝不足なのも手伝ってウトウトとしてしまい、
翌朝までぐっすりと眠ることが出来ました。

第五日目(9月24日(月))

朝6時半〜8時くらいが通勤列車で一番駅がにぎわう時間とのことで、
起床後すぐに 調兵山駅 に向かいました。
調兵山駅では、具合のいいところに> 跨線橋 があり、撮影にはもってこいなのですが、
列車から降りた乗客は誰もこの跨線橋を渡らず、線路を横断して駅舎に向かいます。
到着した列車や機回しの様子などを撮影していると、
構内の外れに 蒸気クレーン車 が1両、給炭を行っていました。
日本ではあまり見る機会のなかった蒸気クレーン車ですが、
中国ではあちこちの機務段で1両くらいずつ見かけます。
8時頃、車さんが駅にやってきたので、
そろって駅の構内にある食堂で朝食を取りました。
ホテルへ戻り、いよいよ鉄法炭坑に別れを告げて、タクシーで一路瀋陽を目指します。
鉄法から瀋陽へは、鉄嶺〜瀋陽間は高速道路が利用できるのですが、
前日に雨が降ってスリップしやすく、またバス同士の衝突事故があったということなので、
危険を避けて直接瀋陽へ向かう一般道を通ることになりました。
瀋陽郊外に着いたのが午前11時。 九・一八歴史博物館 へ寄りました。
ここはかつて柳条湖と呼ばれた場所で、 15年に渡る中国侵略 の発端となった、
日本軍による満鉄線路爆破の場所に、
「柳条湖事件(中国では九一八事件)」 の場所に、
抗日運動の歴史が展示されています。
1時間半ほど歴史博物館を見学した後、瀋陽北駅へと向かいました。
ところが、駅に着いて車さんお勧めのレストランへ向かったところ、
なんとその店は引っ越してしまい、しかもかなり離れた場所にあるとのことで、
そこまで行く時間的余裕もなく、駅前の店で手軽に昼食をすませました。
もっとも、3人とも今晩の大連での海鮮料理に期待一杯で、
昼食など抜きでもいいよという状態でした。
瀋陽から大連までは、硬座(普通車)で約4時間。
ひまわりの種など食べながら車窓風景を眺めていると、
大石橋の駅では、機務段に前進型蒸気機関車が停まっているのを見ることが出来ました。
大連着18時、中山広場近くにある博覧酒店へと向かいます。
ホテルに荷物を置いたあと、夕食場所まで徒歩で向かうことになりました。
中山広場へ出たところが「大連賓館」。
かつて大和ホテルだった建物で、1世紀近く前の建物にもかかわらずいまだに充分実用に耐え、
内部のゆったりとした贅沢な造りは、往時の超豪華ホテルのたたずまいを残しています。
近年、このホテルの屋上に巨大なオーロラビジョンが設置され、
大連市民の夜の憩いの場所となっていますが、
新旧混交の光景が不思議と大連の街並みにマッチしています。
大連といえば海鮮料理ということで、旅行の最後を飾るべく、
大連一と車さんお勧めの渤海大酒店へと向かいました。
ここは店内にある生簀の魚介類を選んで、好みの調理をしてもらえるシステムになっています。
牡蠣、帆立、鮑、龍蝦(伊勢海老)、蝦蛄、車海老、蟹と、豪華海鮮尽くしに白酒で乾杯し、
運転旅行の最後を締めくくりました。

第六日目(9月25日(金))

今回は飛行機の出発時刻まで余裕があるので、
朝食は大連駅前にあるホリディ・イン(九州暇日飯店)で飲茶料理を楽しむことになりました。
8時頃に着いたので比較的空いていたのですが、
もっと早い時間だと満員になるほど人気の店だそうです。
餃子、小籠包など、あっさりした点心を、お茶を飲みながらゆったりと味わいました。
食事後、市内観光に出かけるO氏と車さんと分かれて、我々2人は新華書店へと向かいました。
以前は友好広場の近くにあるこじんまりとした古い建物だったのですが、
数年前に中山公園の近くに引越し、5階建ての立派なビルになっています。
ここで、近代史の新刊本やビデオなど日本ではなかなか手に入らない物を購入したあとホテルに戻り、
大連港や市電の車庫を見学してきたO氏と合流、いよいよ帰国のため大連空港へ向かいます。
ホテルからタクシーに乗り空港へ向かう途中、
O氏のリクエストでラーメンを食べることになりました。
ちょうど昼飯時で混雑していた「兄弟拉面店」で食べたラーメンは、
日本のものとは違い鹹水(かんすい)を使わない白い麺ですが、
打った小麦を引っ張って麺の形に伸ばす、文字通りの「拉麺」(ラーメン)です。
それほど空腹というわけでもなかったのに、
エネルギッシュな中国の街の人たちといっしょに食べる雰囲気に飲み込まれたのか、
あっという間に大盛りの牛肉麺が胃袋に収まってしまいました。
空港へ到着し搭乗手続きを済ますと、いよいよ車さんとお別れです。
大連空港は、2階にある出国検査のカウンターが1階のロビーから見えるのですが、
車さんは、我々の姿が見えなくなるまで見送ってくれました。
定刻通りに14時50分に出発した全日空904便成田行きは、
予定より早く18時過ぎに無事成田空港に到着しました。

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