第3回山河屯SL運転記

2000年8月13日から19日まで再び中国黒龍江省山河屯での森林鉄道の体験運転と、
大安北というところでの国鉄前進型蒸気機関車の見学に行って来ました。
ここにその体験記を紹介します。これから中国旅行など考えている方、あるいは蒸気機関車を 運転してみたいという方の参考になれば幸いです。
第一日目(8月13日)
第二日目(8月14日)
第三日目(8月15日)
第四日目(8月16日)
第五日目(8月17日)
第六日目(8月18日)
第七日目(8月19日)
自分も体験運転をしてみたいという方へ
第3回山河屯旅行こぼれ話
第一日目(8月13日(日))

時折雨の降る天気のなか、10:40発JAL781便北京行きは定刻通り成田空港を離陸しました。
今年もまた7日間の中国蒸機運転旅行の始まりです。
今年は中国は初めての参加者が一緒なので、到着後簡単に北京市内観光でもしようかということで、
午前中の便で出国です。
13:15北京空港着、今年は北京まで迎えに来てくれた旅行社の車さんと合流し、
現地旅行社のマイクロバスでさっそく北京市内へ向かいました。
車窓から北京市内に残る胡同(路地)を見学しながら、茅盾故居へ向かいます。
茅盾というのは近代中国の著名な作家で、その故居は近代北京の代表的な住宅の建築様式である
四合院の面影をほぼそのままとどめている貴重な場所です。
本当は日曜日は休館日だったのですが、管理人さんの好意で中を見学することが出来ました。
その後、故宮の裏側にある景山公園から故宮を眺めたり、前回北京市内を訪れたときとはすっかり様変わりしてしまった
西単(北京市内の繁華街の一つ)の高層書店で買い物をしたあと、地下鉄で天安門広場まで移動しました。
故宮を午門まで入ったあと天安門広場では国旗降下のセレモニーを見物したりと、駆け足で北京市内の今を見回りました。
そしていよいよ本日のメインイベント、北京ダックでの夕食のために全聚徳という店に向かいました。
ここは北京ダックの専門店として世界的にも有名な店で、「日本で食べていたのは何だろう?」というくらい
全く味の違うすばらしい北京ダックを堪能して、中国第一日は終わりました。

第二日目(8月14日(月))

二日目の今日はハルビン市内観光です。
比較的ゆったりとしたホテルでの朝食のあと、北京空港から飛行機で一路ハルビンへと向かいます。
ハルビン空港到着後、ここでもまた現地旅行社の方々にお世話になり市内観光へ出かけました。
最初に訪れたのは、ハルビン郊外にある旧日本陸軍731部隊の資料館です。
731部隊研究所跡の建物は最近まで小学校として使われていたそうです。
そこから市内に向かい、まず児童公園の「少先号」という列車に乗りました。
これは公園の外周約2qを回っている軌間762oの軽便鉄道で、40年もの歴史があるそうです。
児童公園らしく、夏休み中の女子小学生が車掌を担当していました。
その後、スターリン公園から松花江を眺めたり、伝統工芸館を見学して過ごし、
中央大街にあるロシア料理店で夕食を摂り一日が終わりました。

第三日目(8月15日(火))

今日はいよいよ山河屯入りです。
朝一番でハルビン市内の孔子廟を見学したあと、今回はハルビンから列車で山河屯へ向かうことになりました。
軟臥(一等寝台車)の座席使用の列車で、食堂車も連結していて、
ローカル線とはいえ旅情を満喫させてくれる中国の列車です。
山河屯到着後、ホテルに荷物を置いてさっそく林業局へ向います。
林業局の王主任さんからお話があり、私たちが訪れる前にかなり雨が降り路盤状態が悪化しているため、
速度は25Km以下で走るように等、安全面には特に留意して欲しいとのことでした。
今日は山河屯から三つ先の向陽まで往復約50qの練習運転です。
今回は運材貨車が山へ出払っていたため、側線に残っていた一両に緩急車を連結、さっそく本線へ出ます。
今回の参加者は四人ですから二人ずつ組になって機関車に乗り込み、交代で運転することになりました。
運転しない組は緩急車でのんびりと「軽便蒸気列車」の旅を楽しみます。
今回の列車はわずか二両とはいえ、連結器が鎖式のためラフな(下手な)運転をすると
緩急車ではガクガクと揺すられてしまいます。
仲間の「のんびりとした旅」を保障するのは自分のウデ次第というわけです。
ここの機関車はナローのものとしてはかなり大型に属するものですが、
加減弁ハンドルのレスポンスやストッパーの効かないアバウトさなど、
スタンダードゲージのものよりわれわれの運転しなれたライブスチームに近いものです。
蒸気機関車の運転は、加減弁(車のアクセルに当たる)を開いてから動き出すまでのレスポンスがかなり間があるので、
あせりは禁物とゆっくりゆっくり加速していきます。 
本来速度調整は。逆転機(車のギアに当たる)の微調整で行うのですが、
最初に付いてくれた本職の機関士には、「あまり逆転機をいじらずに加減弁で速度を調節するように」と言われました。
人により運転のスタイルが異なるのかも知れませんが、ロッド類があまり厳密に調整されてないので、
頻繁に逆転機をいじると下回りに負荷がかかるのかも知れません。
今日運転する区間は、山河屯〜劉家屯〜五家橋〜向陽で、大半が田園の中を右に左に進みますが、
五家橋〜向陽駅間にちょっとした山越えがあり、ハイライトとなっています。
その五家橋駅では同乗の機関士さんの親戚からスモモの差し入れがありました。
また、折り返しまでにトウモロコシを茹でておくから――との嬉しい伝言もありました。
いままで直接面識がない機関士さんたちまで、毎年訪れる我々のことをよく覚えていて、
友達のように心づくしの歓迎をしてくれるというのが、山河屯林鉄に惹かれ、通いつづける理由にもなります。
さて、五家橋駅を出発し、いよいよ山越え区間をほぼ抜けたところで、
乗り組み臨時機関士組(?)交代ということになり、機関車を本線上で停車させました。
ところが、その場で機関車の点検中に、左側の合併テコに弁棒を取り付けている
フォーク部分のボルトが脱落しているのが発見されました。
ただちに予備のボルトで締めなおし再出発したのですが、
各人の運転時間調整のため五家橋〜向陽間で本線上を行ったり来たりしていたため、
前後の旅客列車にかなりの遅れを発生させてしまいました。
向陽駅からの折り返しは日没後となり、一面の田んぼを照らす満月の光を頼りにバック運転で戻りました。
テンダにもライトはありますが、レンズがないため、それが照らすのはほんの数メートルたらず。
あとは月の光でレールが仄かに光るのと、時々通過する集落の灯りだけが照明のすべてです。
夜間の本線運転、しかもバック運転など頼んでも素人機関士にやらせてもらえるような事ではないのですが、
同行のO氏にとっては機関車運転の初体験が夜間のバック運転となってしまいました。
運転室内は裸電球がひとつ点いていますが、運転中はずっと加減弁ハンドルを握り、
後ろを注視していますから目の前は闇ばかりです。
時おり投炭のために焚口が開かれると、稲穂の上に機関車のシルエットが浮かび上がります。
汽笛を鳴らすと、音が闇に響き、どこまでも吸い込まれていくようです。
もしこのとき、付近の農家で団扇片手にトマトなどかじりつつ遠くを行くこの列車を眺めたらどんなだろうなぁ、
などとふと考えてしまいました。
遠くに緑色の信号が見えると駅です。山河屯に到着した時は、すっかり夜の帳がおりていました。
夜は林鉄の車務段長(工場長)の家で経営しているレストランで、
林鉄処長、今日・明日と使用させてもらう機関車の4人のクルーとの会食です。
いつものように運輸科長や蒋副局長といった幹部が顔を見せないのがさびしいですが、
実はこのとき国からの視察団が突然来訪していて、幹部の皆さんはほとんどそちらの対応に追われていたのでした。
ひととおりあいさつやら自己紹介が終わった後は、例によって白酒を酌みかわしつつ、
われわれの運転振りやライブスチームの話などに花が咲きました。

第四日目(8月16日(水))

今日は本番です。
およそ50Km先の沙河子までの往復100Kmの運転です。
時速25Km以下で、という条件ですから、単純計算で4時間、
交換待ちや昼休みを含んで6時間ほどの行程になります。
朝食を済ませ、機務段にあいさつに向かうと、昨日は会えなかった徐松山・前林鉄処長(すでに局長に昇進)、
運輸科長、機務段長など幹部の皆さんと会うことが出来ました。
徐局長とは、移動中の路上でばったり出会い、「徐さん!」「おお、来てたか!!忙しくてごめんよ!」と再会を喜びました。
一方、運輸科長、機務段長は機務段構内で向こうから会いに来て声をかけてくださいました。
もうすっかり「老朋友」ですから、「元気か」「おかげさまで」「昨日はちゃんと運転できたか?」
「バッチリですよ」といった具合にさっそく立ち話です。
遠くで見物していた職員たちから「科長!日本語できるのかよ!」とヤジがとんで大笑い、
あわてて「違う違う、こいつが中国語をしゃべってるんだ」という具合で、朝からすっかり寛いだ気分です。
一方、機関庫内ではそれどころではありません。
昨日の不具合個所が懸命に修理されています。
昨夜食事を共にしたクルーの皆さんが、手を真っ黒にして迎えてくれました。
見てみると、メインロッドを外しての結構な大修理です。
こちらの表情を察したのか「心配するな。しっかり直しとくから」と笑顔で言い、
その間、奥の検修庫や、今年始めに柴河森林鉄道から購入した3両の機関車を見学するよう案内してくださいました。
10時30分ごろ、修理が完了し、出発です。今日は運輸科長が同行してくれることになりました。
昨日練習しているので、今回初の参加者も、あわてることなく運転し、劉家屯駅に到着しました。
今日のわれわれは、劉家屯駅を通過しますので、ポイントは直進側に開いています。
走りながらタブレットを交換し、分岐側に入らずにそのまま直進して通過します。
劉家屯を通過し、線路端の日影で休む牛や馬をドラフトで驚かし、
悠然と横断するアヒルを汽笛で退かし、用水路で遊ぶ子どもたちや洗濯中のおばさん、
釣りの真っ最中のお兄さんたちから好奇の眼で見られつつ五家橋を目指します。
やがて五家橋駅構内で、駅職員が右側(直進側)に立ち、緑の旗をあげているのが見えてきたので、
短く汽笛を鳴らし、確認の合図を送ります。
これは、場内信号が緑色を現示(通過OK)しているのと同じ事を、手信号で行っているわけです。
駅側もフライ旗(赤または緑の手旗)を上げて応えます。
絶気(加減弁を閉じ惰性で走ること)してさらに速度を落とし、
歩くぐらいのスピードでタブレットを交換、再給気して一気に駅を駆けぬけます。
小さな山越えを終え向陽駅に着くと、昨日同様スモモやリンゴ、茹でトウモロコシなどが差し入れられました。
今日はここで臨時素人機関士のクルーを交代し、さらに沙河子駅へ奥地を目指します。
すっかり運転になれてきたこともあり、本務のクルーは1人が機関車に残り、
あとは緩急車でわれわれの交代組や運輸科長らと談笑です。
たくさんもらった果物ですっかりお腹一杯になっていると、遠慮していると思ったのか、
「遠慮しないでどんどん食えよ。俺たちは仲間じゃないか!」と甘そうなのを選って渡してくれました。
「甘い所だけ食べてあとは捨てちゃえばいいんだ」と見本も見せてくれました。
捨てるというのはつまり列車からそこら辺へ放るということで、
もしかしたらそれがまた芽を出して新しいスモモやリンゴが成るのかもしれません。
彼らも自分たちの鉄道が好きで、そこへはるばるやってくる日本人を、始めは好奇心で遠巻きにしていたのが、
毎年やってきていっしょに機関車を運転し、夜は夜でいっしょに酒を飲んだり食事をしたりするうちに、
すっかり仲間意識をもつようになってしまったようです。
それが各駅での差し入れや、出迎えてくれた時の雰囲気に現れている、と私たちも思っています。
向陽から沙河子の間は線路状態が一段と悪くなっており、いやでも速度を落とさざるを得ません。
直線でギリギリ25Km、橋やカーブでは20Km以下になるように慎重に運転しました。
揺れもかなり直接的なゴツゴツしたものになり、バラスがあまり効いていないことが実感されます。
また、この区間は次第に山が近くなり、幅の広い川が線路の左側に沿ってきます。
この川ではちょうど夏休みとあって子どもたちがあちこちで飛び込んだり泳いだりと水遊びに興じています。
長いコンクリート橋梁を渡り、右に大きくカーブすると沙河子です。
沙河子では構内の林鉄レストランで一同テーブルを囲んで昼食です。
こちらの料理は場所がら野菜や川の魚介類、鶏肉が中心です。
これには白酒が一番マッチするのですが、今は残念ながら“仕事中”のため我慢です。
一方、運転から解放されている本職のクルーの皆さんは小さなグラスに2杯ずつくらい飲んでいます。
だいたい林業関係の人は極寒の環境下で仕事をするため皆一様に酒豪です。
つまりザル(中国語では“海量”<ハイリァン>といいます)ですので、ほんとうはもっと飲みたいらしいのですが、
われわれに遠慮して抑えているようでした。
昼食後は昨年同様ご当地のスイカでデザートです。
今年は全般的に少雨だったそうで、だからスイカはとても甘いという前評判でしたが、
果たして非常に甘く、瞬く間にラグビーボール大のスイカがなくなってしまいました。
その間に、われわれの機関車は、給水を終えて貨車ごとデルタ線で方向転換し、給炭しています。
帰りの道は全員すっかり運転にも慣れて時おりふっと吹いてくる涼風を心地よく感じる余裕も生まれ、
緩急車ではわれわれの運転に安心したのか、運輸科長やクルーの皆さんはうつらうつらしています。
山河屯到着後、貨車を切り離して最後の仕上げ(?)に広い構内をそれぞれ一往復して運転を終えました。
機務段へ引き上げ、機関車の前でクルーの皆さん、運輸科長などお世話になった方々と全員で記念写真を撮影。
「今度はいつ来るんだ」「必ずまた来いよ」それぞれに固い握手を交わして別れを惜しみました。
一時は「2000年中に廃止か」とも囁かれた山河屯林鉄ですが、新たに買い入れた3両の機関車や、
着々と進められる在来の機関車の整備など、まだまだ意欲は十分に感じられたこと、
そして今年も老朋友だけでなく新しい友人の輪を広げられたことを嬉しく思いつつ、山河屯林業局を後にしました。
宿舎に戻りシャワーを浴びて着替えたあと、ワゴン車で大安北機務段へと向かいます。
大安北機務段は山河屯から車で約5時間、着くのは夜中になりかなりの強行軍です。
運転手の金さんはとても運転がうまく、我々は車の中で白河夜船だったのですが、
車さんは大安北に着くまで一睡もせずに、我々の旅行に支障がないよう気を配っていてくれました。

第五日目(8月17日(木))

昨夜は午前2時に大安北に着いたので睡眠充分とは言えないのですが、
午前8時頃には仕業線から機関車が出払ってしまうということなので、
朝7時に見学に出かけることにしました。
昨夜は汽笛の音しか聞こえなかったのですが、朝起きてみると窓の外は機務段の機関庫側の留置線で、
目の前にはずらっと前進型機関車が並んでいます。
宿舎を出てみるとそこは仕業線で、入れ替えに忙しい建設型や整備点検中の前進型など、こちらもずらっと機関車が並んでいます。
夜中に着いたときには暗くてよく分からなかったのですが、
宿舎(機務段招待所)は機関庫と仕業線のまん中という絶好の位置に建っているのでした。
我々が去年延吉で運転した前進型は3000番台だったのですが、
大安北の前進型は皆6000〜7000番台で、最後期に作られたものばかりでした。
予め話が通っていたのか、我々があちこちでカメラやビデオを構えていても、特に文句を言われることもなく、
朝食までの1時間くらいの間、思う存分機関車を間近で眺めることが出来ました。
朝食後は機回し(転車台でなくデルタ線を使って方向転換をすること)をする機関車の運転台に同乗させてもらうことになりました。
乗せてもらえる機関車を見てびっくり。運転台横には「模範機車組」のプレートが誇らしげに取り付けられています。
「模範機車組」というのは、各機務段(機関区)で1〜2台、
特に状態のよい機関車と勤務実績の良いクルーとを組み合わせ与えられる称号で、
機関車には前面と運転台横に特製のプレートが付けられ、他の機関車とはちがう風格を持っています。
元々のクルーが4人乗っているところへ、我々一行5人がぞろぞろと乗り込んだのですが、
それでも前進型のキャブ(運転台)は余裕で投炭作業が行えるほどの広さです。
ほんの一瞬、軽く加減弁(アクセル)を開けただけで、
100メートル以上も惰行してしまう前進型の慣性の大きさに驚くとともに、機関車の整備の良さが感じられました。
大安北の前進型蒸気機関車に名残を惜しみつつ、昼頃に機務段に別れを告げ、
金さんの運転するワゴン車で一路長春へと向かいました。
長春市内の旧満州国時代の建物を車の中から見学したあと文化公園などを散策し、長春名物しゃぶしゃぶ料理店へと向かいました。
料理店は過去2年と同じ店なのですが、今年は大きな新店舗を開いたということで、
そちらの方で牛肉と羊肉のしゃぶしゃぶに舌鼓を打ちながら、楽しい夕食を済ませました。
夕食後は車さんのご自宅へ招待されました。
車さんのご自宅にうかがうのは今回が初めてだったのですが、来年は今住んでいる官舎を出て、
新築のより広いマンションに引っ越すとの事で、最初で最後の訪問となりました。

第六日目(8月18日(金))

今日の午前中は長春の第一汽車(自動車)工場専用線の上游型という蒸気機関車の見学です。
長春南駅近くにある専用線を訪れると、2台の上游型が入れ替えを行っていたのですが、
ほんの15分ほどで2台とも工場内の方へ引き上げてしまい、機関車がいなくなってしまいました。
車さんの話では2年前にお世話になった機関士の方が今日出番なので、
会えればデモ走行をしてもらえるだろうとの事だったのですが、
残念ながら待っていても会えそうもないので、早めに引き上げることになりました。
当初の予定では、今日一日長春市内をぶらぶらして、夜行列車で長春から大連に向かう手筈になっていたのですが、
車さんが最近開拓したばかりという瀋陽の近くにある鉄法炭坑専用線で体験運転をさせてもらえることになったので、
急遽予定を変更して車で鉄法まで向かうことになりました。
長春から高速道路で鉄嶺市へ向かい、そこから一般道を走って約4時間半で鉄法炭坑運輸部へ到着しました。
ここで、我々が着くのを待っていた運輸部の幹部3人に紹介され、全員で記念写真など撮ったあと、
車でさらに15分ほどの距離にある法庫県へと移動しました。
実際の運転はこの付近の専用線を利用して行われるのです。
体験運転に使われるのは上游型機関車で、軌間は標準軌(1435o)ですが、
大きさ的には日本のC56とC58の中間くらいの1D1の機関車です。
前進型とは大きさにおいて比べ物になりませんが、それでも車さんを含め我々5人に、
本来のクルー3人が乗っても運転台は充分な広さです。
ここで、約2qほどの距離を交代で各人が2往復しました。
大きな機関車、しかも同行者二人にとっては初めての空気ブレーキということで、
動かす方は問題ないのですが、思った位置に止めるのが一苦労でした。
さて、全員が2往復したところで約2時間が経過し、
当初の打ち合わせ(機関車1台2時間貸切の体験運転)の時間となったのですが、
炭坑鉄道側の好意で、特別にもう1往復ずつさせてもらえることになりました。
暮れなずむ田園地帯の中を、単機で静かに走る姿はとても幻想的でした。
運転が終わると、本職の機関士さんたちに「来年はいつくるんだ?」、
「来年も来たら我々はもう朋友(友達)だ!」と山河屯同様嬉しい言葉をかけてもらい、
非常に有意義な体験運転をすることが出来ました。
鉄法を後にし、瀋陽で餃子の夕食、サウナで汗を流した後、
大連行きの列車に乗るため瀋陽北駅へ向かいました。
本来は長春から乗る予定だったのですが、急遽鉄法炭坑を訪問したため、
代わりの人に長春から我々の荷物を持って乗ってもらい、瀋陽で我々とバトンタッチするのです。
ホームまで見送りに来てくれた運転手の金さんとはここでお別れです。
列車が入ってくると、金さんが女性車掌となにやら親しげに話しています。
聞けば、この女性は金さんの奥さんとのことで、金さん自身もかつては鉄道で仕事をしていたそうです。
金さんは車の運転が上手いだけでなく、食事時などもさりげなく我々に気を使っていただき、
よりいっそう快適な旅行を楽しむことが出来ました。

第七日目(8月19日(土))

朝8時頃に大連に到着、駅前のホテルで飲茶の朝食の後、現地旅行社の案内で大連の市内観光に向かいました。 車の中から新旧の街並みを見学し、高台にある労働公園へと向かいました。 ここからは大連市内が一望の下に見渡せます。 外国資本による高層ビルも数多く見られますが、中には資金難で放棄されてしまったビルもあるようです。 大連の街というのは昔からあるロシア風や中国風の建物が混在して、 他の中国の都市とは変わった雰囲気を持っているのですが、一番大きな雰囲気の違いは、 市街地に平地が少なく自転車がほとんど走っていないということです。 道路なども非常に清潔なのですが、他の都市より生活のパワーを感じる度合いが少ないように思われます。 駆け足で市内観光や買い物をしたあと、大連空港へ向かいました。 我々を見送った後、空路長春へと帰る車さんと日本での再会を約して7日間の中国に別れを告げ、帰国の途につきました。

自分も体験運転をしてみたいという方へ

毎回我々はごく簡単に山河屯で体験運転を行っているかのように思われるかも知れませんが、この体験運転 については、日本人が直接交渉してなんとかなるというものではありません。
ひとえに車さんの力に頼っているというのが真相です。
中国ではしばしば金銭よりも人間関係の方が重要視されますので、日本のように「金さえ払えば なんとかなるさ」という理屈は通用しません。
なお、当然運転に関する費用は別料金となります。(たとえば今回の山河屯は一人一日3000元でした) 従って、自分も体験運転をしてみたいという方は、車さんを通して申し込んで下さい。
その際、ご自分の蒸気機関車に対する知識の度合い(「大体の動かし方は知っている」とか、 「詳しいことは全く知らない」等)も付け加えた方が、先方でプランが立てやすいでしょう。
また、質問等のある方は、遠慮なく私にメールして下さい。

車さんへのFAXの宛先

吉林省中国青年旅行社 副社長 車作寛

FAX:0431−8515898

なお、車さんは日本語が堪能なので、FAXは日本語でもOKですが、
山河屯では日本語は全く通用しないので、中国語がある程度出来るに
越したことはありません。

第3回山河屯運転旅行こぼれ話

山河屯林鉄の駅構内配置

山河屯森林鉄道の駅構内の線路配置は、単線が二本に分かれ、
上下列車が交換できるようになっているのが基本で、そこからさまざまな付帯的施設に枝分かれしています。
すべて交換可能な有人駅で、無人駅はありません。
運行は、重い材木を満載してくる上り列車が優先になっているようで、
駅の線路配置は上り列車に対して直進になるよう敷かれています。
つまり下り列車の場合は分岐側に入って行きます。
ダイヤ上も、まず下りが分岐側に入って待避し、上りが通過するという順になっているようです。
一方、下り列車でも対向列車がなく駅を通過する際は上り線をそのまま直進します。
どちらに入線するかは手信号の現示位置が直進側か分岐側かで判断します。

山河屯林鉄の駅進入と列車監視

駅に近づくと、進行右側に遠方信号ともいえる標識が現れます。
これは短冊状の白塗りの板に斜めに黒い線が引かれたもので、
駅からおよそ1Kmほど手前に100mおきぐらいに三つ出てきます。
それぞれ黒の斜線が3本・2本・1本と減って行き、駅の近いことを知らせます。
斜線1本の標識から駅までは数百mありますが、
この段階で長緩汽笛を鳴らして列車の接近を知らせるとともに、速度を落とします。
この汽笛により、駅職員は列車の接近を知り、タブレットを持って列車の進行側に出て来ます。

畑先案内人

山河屯から大安北へ移動する途中、国道から逸れ同じような景色が延々と続く畑の中の
あぜ道に乗り入れました。
しばらくすると、道ばたに立っていた人が運転台に乗り込み、道案内を始めました。
1時間ほどその人の道案内で畑の中を走り、少し広い道に出たところで彼は車を降りていきました。
ここは、国道をショートカットする抜け道になっていて、
そのまま国道を進むより100q近く距離が短いそうですが、何の目印もない畑の中のあぜ道なので、
彼のような、道案内を商売にしてる人がいるとのことでした。

箸が転げても

中国のサウナではいろいろな健全なサービスがあります。
代表的なのは垢擦りとマッサージなのですが、垢擦りは同性の垢擦り師?が行います。
マッサージはいろいろメニューがあるようなのですが、代表的な足裏マッサージは、
たいてい女性が担当します(男性のマッサージ師もいるようです)。
この女性たち、たいていは20歳前で、とてもよく笑います。
言葉が通じないだけでもゲラゲラ笑うし、たわいのない会話が通じると、
それでまたひとしきり笑うといった状態で、まさに「箸が転げてもおかしい」という感じです。
日本ではあまりその世代が屈託なく笑うシーンを見かけないので、思わずほのぼのとした気分になります。

我随意イ尓干杯(ウォースイイー ニィーガンベイ)

中国では宴会で酒を飲むときは、飲みたくなった人が皆のグラスに酒を注いでまわり、
何らかのお題目(皆の健康と発展を祈って等)を唱えて干杯(つまり一気)するのが一般的な飲み方です。
つまり、誰かが「飲もう!」と酒をついで回ると、全員がつきあわなければならないしきたりです。
ところが、中国人にも下戸はいるので、毎度毎度干杯につきあってられない人は、
「我随意、イ尓干杯!」と宣言するのです。
これは、「私はマイペースでやってるから、あんたら勝手に干杯してなさい」という意味で、
こう宣言した人に対しては干杯を強要しないというのがルールになっているようです。
お酒の弱い方は中国人との宴席に連なるとき、最初からこう宣言しておけば失礼にならずに酒を断る口実になります。
ただし、間違っても逆に言わないようにしましょう。とんでもないことになります。

2000円札

日本では、「なんでそんな半端な金額の新札を?」ととらえられていても、
存在自体知らない人はいない2000円札ですが、
中国では全く話題にならずに、日本通の車さんですら、新札発行の話は全く聞いたことがなかったそうです。
今回、同行のN氏が1枚持っていたのを車さんに渡したら、
「これは珍しい!」と喜んでもらいましたが、
「でも、今中国でこの札両替しようとしたらおそらく偽札だと思われるでしょう」と笑っていました。

歩行者VS自動車

今回、北京・ハルビン・大連とそれぞれの都市で、
車さん以外に現地旅行社のガイドさんがついて案内してくれたのですが、そのうち北京・大連のガイドさんと車さんがそろって
我々に出したクイズがありました。
「交差点で最優先なのは歩行者でしょうか?自動車でしょうか?」
「また、直進車、左折車、右折車のどれが優先でしょう?」
日本での常識で考えれば、歩行者、直進車が優先なのですが、中国では違います。
正解はどちらも「勇気のある人(車)」
つまり、最後までよけなかった人(車)が優先ということです。
で、当然ながら双方の勇気の度合いが同程度だと事故になります。
交通事故は日常茶飯事なのですが、自動車の運転をしているのはほとんどが職業ドライバーのため、
なんとか最悪の事態は回避されることが多いようです。
ここで車さんから勇気のない日本人へのアドバイス。
「道路横断中に車が近づいてきたら立ち止まってください。運転手はプロなので回避行動をとります。
なまじ運転手の予測と違う方へ動いたりするとはねられるので注意してください」とのことです。

新車?上游型

鉄法炭鉱鉄道で運転させてもらった上游型には1993年製という銘板が着いていました。
中国ではすでに80年代に蒸気機関車の製造は終わっている、と聞いていたので「あれ」と思いました。
あとで写真を見てみると、たしかにピカピカで真新しい感じです。
93年製だとすると、車でいえば新車で買って一回車検を取ったあたりでしょうか。
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