第2回山河屯SL運転記

1999年8月8日から14日まで再び中国黒龍江省山河屯での森林鉄道の体験運転と、
延吉というところでの国鉄前進型蒸気機関車の体験運転に行って来ました。
ここにその体験記を紹介します。これから中国旅行など考えている方、あるいは蒸気機関車を 運転してみたいという方の参考になれば幸いです。
第一日目(8月8日)
第二日目(8月9日)
第三日目(8月10日)
第四日目(8月11日)
第五日目(8月12日)
第六日目(8月13日)
第七日目(8月14日)
自分も体験運転をしてみたいという方へ
第2回山河屯旅行こぼれ話
第一日目(8月8日(日))

成田発14:55の中国国際航空で日本を出国、北京着17:45。
今回、当初の予定では新潟空港からハルビン行きの飛行機を利用する予定だったのですが、
満席ということで、やむをえず北京に前泊し、国内線でハルビンに向かうことになりました。
北京も久しぶりなのですが、今回の宿泊は飛行場のすぐそばにある首都機場賓館というホテルなので、市内に出ることもなしに
ホテル内のレストランで食事をしてさっさと寝てしまいました。

第二日目(8月9日(月))

二日目の今日は飛行機の関係で朝5:30起床。
ホテルで朝食後、飛行場へ行き、朝8:00発の国内線でハルビンへ向かいます。
パンとコーヒーの洋食風機内食が出され、ホテルの朝食を目一杯食べてしまったことをかなり後悔しながら
9:50無事ハルビン空港に到着しました。
ここで4ヵ月ぶりに車さんと合流、一路山河屯へと向かいます。
黒龍江省は東北三省(黒龍江省・吉林省・遼寧省)なかでも道路の舗装率が低いそうで、
主要都市周辺以外は未舗装路のようで、行程の大半が未舗装の道路をたっぷり3時間以上も揺られながら、午後1時過ぎにやっと山河屯へ到着しました。
驚いたことに、昨年大変お世話になった製材会社の艾(あい)社長(山河屯一の名士)や林鉄の運輸科長、機務段長などの方々が我々の到着を待っていて、
早々に歓迎昼食会となりました。
昼食後はさっそく、体験運転です。
今回の参加メンバーは5人で、1人30分程度交代で行けるところまで行き、帰りはバック運転で帰ってくるということになりました。
空の運材台車6両と緩急車を連結し、山河屯を出発したのですが、なにしろ鎖連結器+バッファー、その上運材車は空車状態で貫通ブレーキもないので
発進・停車時の衝撃はすさまじいモノがあります。
それでもだんだんと慣れてきて、多少は静かに発車出来るようになり、小雨混じりの中を5時間くらい、交代で運転しながら
山河屯に戻ってきました。
夜は車さんの義兄(奥さん同士が姉妹)にあたる蒋林業局長も交え、歓迎パーティーです。
艾社長、蒋局長、運輸科長など、皆我々の名前まで覚えていてくれて、よく来たと歓迎してくれました。
今日は白酒の献酬もなく、無事運転一日目が終わりました。

第三日目(8月10日(火))

今日は運転二日目ということで、途中の沙河子というターミナルまで往復する事になりました。
実は事前に公式に許可されていた運転区間は山河屯から三つ目の向陽という駅までで、沙河子までの1/3くらいの距離しか有りませんでした。
そこを、車さんの尽力と林業局のみなさんの好意(およそ30人くらいの人が関係するそうです)で沙河子まで延長して貰いました。
おかげで今回も運転を堪能することが出来るとともに、親しい人に頼られたら何を置いても期待に応えようとする中国の人々の習慣は
さすがに大人の国だと思わされます。
二日目の運転は朝8時くらいに山河屯を出発し、沙河子まで片道約3時間の道のりです。
小さな山越えや鉄橋など、変化に富んだ線路上を運転しながらお昼前に沙河子に着ました。本職の機関士さんがデルタ線を使って機回しをしている間に昼食。
ここで売られていたスイカをごちそうになりましたが、大変美味しかったです。
そろそろ山河屯へ向けて帰ろうかというとき、雨が降り出しました。
ちょうど、私の運転の番で、吹きさらしのキャブ内(窓を閉めると外が見えない)でずぶぬれになってしまいました。
山河屯へあと3qくらいというところでちょっとしたハプニングがおきました。
各人の運転時間の調整のために、2qくらいバックしましょうということになって、逆転機を後進位置へ動かそうとしたのですが、 前進位置から全く動きません。
それ以前から逆転機の巻き上げが非常に重く、運転しづらかったのですが、ここへ来て全く動かなくなってしまったのです。
仕方がないので、そのまま前進して適当なところで交代ということにして、さらに1.5qくらい進んだ所で一度停止しました。
私が運転台に座り、逆転機を前進位置にしたまま、加減弁(自動車のアクセルのようなもの)を開けたところ、何と機関車がいきなり後進し出したのです。
あわてて加減弁を閉じ、ブレーキをかけて停止させました。
さて、何が原因かとよくよく調べたところ、何と右側のラジアスロッド(逆転機につながっていて、前後進を制御するロッド)が合併テコ+弁心棒から外れているのです。
これでは、まともに動くはずがありません。とりあえず予備の部品で外れた部分を接続し、左右のロッド位置を調整しようとしたところ、
こんどは左側の加減リンクの滑り子が脱落しているのが発見されました。
ここまでくると、我々素人機関士にはどうにもなりません。本職の機関士さんに交代し、片肺運転状態の機関車をだましだまし運転して、
予定より遅れながらもなんとか無事に山河屯へ着くことが出来ました。山河屯に近かったことが不幸中の幸いでしたが、もっと山の中で故障していたらと思うと
ちょっとぞっとする出来事でした。
その晩は林業局の主要メンバーが集まってのさよならパーティーです。白酒(アルコール度30〜50度の蒸留酒)の乾杯を重ねるなか、
森林鉄道の社長がくれぐれも山河屯林業局・林業鉄道を日本によろしく紹介して下さいと強調していたことを、ここに記しておきます。
 なお、機務段(機関区)内を見学していたときの情報では、同じ東北地方の廃止された林鉄から年末に3両ほど機関車を購入する契約をしたということでした。
年内廃止の噂もあったのですが、この分では少なくとも来年はまだ存続するようです。

第四日目(8月11日(水))

今日は車(マイクロバス)で吉林へ行き、そこから特急の硬臥(二等寝台車)で延吉へ移動の予定です。
4時間くらいかかって吉林へ、ここであまり時間がなくなってしまったので、当初の昼食の予定の餃子店(昨年訪れたところ)を変更して吉林駅に近い別の餃子店で昼食となりました。
延吉への列車はディーゼル機関車の牽引でしたが、沿線の駅構内にはけっこう蒸気機関車が残っていて、入れ替えなどをしていました。
遠くに長白山山系を見ながら、日本と同じ様な見渡す限りの水田とトウモロコシ畑のを眺めながら、約7時間、夜7時頃に延吉に到着しました。
延吉の町は朝鮮国境にも近く、延辺朝鮮族自治州の州都となっている都市です。
列車での長い移動の疲れもあって、早々に床につきました。

第五日目(8月12日(木))

今日はいよいよ前進型の運転です。
この前進型というのは重量約250トン、動輪が5軸もあるマンモス機関車です。
朝陽川駅付近の延吉空港への専用線を利用しての往復3q程度の運転です。
最初は超マンモス機ということで、あるていど緊張もしていたのですが、なんといっても力がつよいうえに単機(機関車のみで走ること)なので、
山河屯の林鉄機関車みたいに苦労しないでもすいすい走ってくれます。
結局、1人30分程度、専用線を3往復ばかり、あっさりと終わってしまいました。
延吉市内で昼食の後、延吉空港から空路40分、吉林省省都である長春に到着しました。
ここはかつて日本の傀儡国家「満州国」の首都「新京」と呼ばれた町で、その当時の建物がいまでも政府や市の役所として使われています。
そのような建物を車の中から見学しながら、長春名物のしゃぶしゃぶ(ここは羊ではなく牛肉)を堪能し、長春随一のホテルで眠りにつきました。

第六日目(8月13日(金))

いよいよ残り二日、今日はハルビン経由、北京への移動日です。
ハルビンでロシア料理の昼食後、ハルビン空港へと向かいます。
ここで6日間あれこれと至れり尽くせりの世話をしてくれた車さんとお別れです。
北京までの搭乗予定の飛行機が遅発になるとの事だったのですが、
車さんが手際良く先発の別便に振り替えてくれたので、ほぼ予定時刻通り出発することが出来ました。
北京では初日に泊まった飛行場そばのホテルです。
当初は北京市内まで夕食に出ようかとも話していたのですが、最近の北京の交通渋滞はすさまじく、
市内に着くまでどのくらい時間がかかるか予想がつかないとのことなので、初日同様ホテル内の食堂で夕食を済ませました。

第七日目(8月14日(土))

今日は北京空港から日本へ帰るだけです。
何のトラブルもなく、午後3時頃、無事成田空港に到着しました。

自分も体験運転をしてみたいという方へ

毎回我々はごく簡単に山河屯で体験運転を行っているかのように思われるかも知れませんが、この体験運転 については、日本人が直接交渉してなんとかなるというものではありません。
ひとえに車さんの力に頼っているというのが真相です。
中国ではしばしば金銭よりも人間関係の方が重要視されますので、日本のように「金さえ払えば なんとかなるさ」という理屈は通用しません。
なお、当然運転に関する費用は別料金となります。(たとえば今回の山河屯は一人一日320$でした) 従って、自分も体験運転をしてみたいという方は、車さんを通して申し込んで下さい。
その際、ご自分の蒸気機関車に対する知識の度合い(「大体の動かし方は知っている」とか、 「詳しいことは全く知らない」等)も付け加えた方が、先方でプランが立てやすいでしょう。
また、質問等のある方は、遠慮なく私にメールして下さい。

車さんへのFAXの宛先

吉林省中国青年旅行社 副社長 車作寛

FAX:0431−8515898

なお、車さんは日本語が堪能なので、FAXは日本語でもOKですが、
山河屯では日本語は全く通用しないので、中国語がある程度出来るに
越したことはありません。

第2回山河屯運転旅行こぼれ話

ファッション

今回現地へ行って一番驚いたことは、女性の服装です。
去年と季節が違うので、夏では当たり前の恰好かも知れないのですが、ズボンをはいている女性をほとんど見かけないことでした。
ほとんどの女性がスカート、しかも若い女性は非常に短いスカート、もしくはホットパンツといったいでたちで街を歩いています。
さらに驚いたのが厚底サンダル。山河屯でもホテルの従業員までもが厚底サンダルを履いています。
聞いたところ、中国でも厚底サンダルが大流行しているとのことで、他にも茶髪の女性などもちらほらいて、
風俗の変化にすっかり驚いてしまいました。

延吉

延吉という町は朝鮮国境にも近く、朝鮮族自治州の州都となっています。そのため、駅名や街のネオンサインなどもみな漢字とハングル文字が併記されています。
この町に入って気が付いたことは、なんとなく他の町に比べ街中が清潔で静かだということ。また車の台数は多いのですが、
無茶な追い越しも少なく、あまりクラクションも鳴らさないなど、皆おとなしく走っています。
さらに一番印象に残ったことは、女性が皆とてもきれいだということです。
朝鮮族の割合は約半数らしいのですが、食べ物も美味しく、すっかりこの町が気に入ってしまいました。
また、延吉に限らないのですが、中国東北地方では朝鮮族の人々の料理店も多く見かけ、日本では食べられない名物料理として「狗鍋」があります。
これは文字通り犬肉を使った鍋料理なのですが、こちらの方には「養犬場」・「屠犬場」などの看板もあちらこちらに見られ、
食文化の違いを感じるとともに、日本だったらおそらく愛犬家の反発に逢い、この種の料理屋は商売できないだろうなと思います。

ハルビン

ハルビンも古い町なのですが、中心部にはいるとどことなくきらびやかさを感じさせる街並みです。
長い間の混血のせいなのか、この町の人々は男性も女性も目が大きく、どことなく中国人というより日本人に感じが似ています。
機会が有れば一度じっくりと見物してみたい町ですが、ここも市内のいたるところが工事中で、中心部の道路事情は非常に悪く、車で移動するにはかなりの余裕をもってないと危ないです。
ちなみに我々は、中心部から空港まで約1時間で着きましたが、車さんが我々を空港まで迎えに来たときには市内から7時間かかったそうです。

機長冷麺を食べる

延吉から長春へ向かう飛行機が、延着が原因で出発がかなり遅れました。
折り返しの飛行機が到着し、やれやれこれでやっと出発できると思っていると、いつまでたっても搭乗案内が始まりません。
車さんが、空港職員の女性に何やってんだと質問したところ、返ってきた答えが
「飛行機の遅れで食事しそこなって、機長は今やっと食事で冷麺食べてるのでもう少々お待ち下さい」

歴史の爪あと

延吉での前進型機関車の機関士と現地旅行社のバスの運転手の人は、二人とも見た目40代後半くらいの人でしたが、
聞けば二人とも上海の出身だということでした。
中国では文化大革命の時期に、高等教育を受けた「知識青年」を地方に送り農業生産活動等に従事させる「下放」という運動がありました。
二人とも、この運動により上海から東北地方にやってきて、そのまま役所や企業の幹部になることもなく、一労働者として日々を過ごしています。
我々日本人は、文献の中でしかこのような事実を知ることは出来ませんが、中国ではまだまだ深い爪あととなって残っていることを
実感させられます。
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