山河屯SL運転記

1998年9月20日から27日まで中国黒龍江省山河屯というところへ、森林鉄道の見学と体験運転に行って来ました。
ここにその体験記を紹介します。これから中国旅行など考えている方、あるいは蒸気機関車を 運転してみたいという方の参考になれば幸いです。
第一日目(9月20日)
第二日目(9月21日)
第三日目(9月22日)
第四日目(9月23日)
第五日目(9月24日)
第六日目(9月25日)
第七日目(9月26日)
第八日目(9月27日)
自分も体験運転をしてみたいという方へ
山河屯旅行こぼれ話
第一日目(9月20日(日))

成田発17:00の中国国際航空で日本を出国、大連着19:10。
この飛行機は北京行きなのですが、我々は経由地の大連で降りて列車で長春へと向かいます。
飛行時間が短いですが、これは1時間の時差があるためで日本から中国へ向かうと きは、機内で時計を1時間遅らせます。つまり乗ってる時間は正味3時間10分というこ とになります。
4年振りの大連に着いて感じたのは暑いなぁということ。仙台とほぼ同緯度にある大連 ですが、夏物の半袖シャツで充分な気温です。
この空港で、今回の旅行のほぼ全行程につき沿って案内してくれる蔡さんと合流。タクシ ーで大連駅に向かいました。
大連駅はその昔上野駅を模して作られたという立派な駅で、ここから長春まで夜行列車で向かいます。
待合室のテレビでは、ちょうど数日前に亡くなった楊尚昆元国家主席の追悼特別番組が放映されていました。
ここで、中国の列車について簡単に説明しますと、客車には硬座(普通座席車)、軟座 (グリーン座席車)、硬臥(普通寝台車)、軟臥(グリーン寝台車)があり、今回我々が 乗るのは軟臥です。 中国の国鉄は線路の幅が新幹線と同じ(1435o)標準軌と呼ばれるもので、揺れが少な いのでその点は快適です。
車販のビールのラッパのみで乾杯したあと、ちょっと暑くて寝苦しい中、中国1日目の 夜は寝台の中で過ぎていきました。

第二日目(9月21日(月))

明るくなって目が覚めたのでふと窓の外を眺めると、なんと雨。 今日は構内線での撮影予定もあるのにと、気分が暗くなったうちに長春到着。ここで、 今回の旅行の手配をしてくれた旅行会社の車さんと合流、タクシーでホテルへ向かいます。
午前中は長春市内観光。午後からはメインの一つ、長春第一汽車工場 (中国語で汽車とは自動車のこと)構内線の撮影です。
当初は国鉄の長春機務段(機関区)構内でも「前進」型や「建設」型の蒸気機関車の撮 影をする予定だったのですが、少し前に定期運用から外れてしまったということで、今回 は第一汽車工場の撮影だけになってしまいました。
こちらは構内線の入れ替え用に、蒸気機関車が現役で活躍しています。
さて、車さんが機関士と何やら交渉した後、我々の所へ戻って来て言うには「それじゃこの機関 車が今から構内を往復しますので、煙を出して欲しいとか注文があったら言って下さい」と、 いきなり貸し切り状態での撮影となりました。
石炭と水の無駄遣いをして思いっきり煙やドレーン(シリンダから出る排水・普通は運 転中はほとんど出ない)を出して貰って、10往復程度撮影した後、車さんが「運転台に上がって みませんか?」と言うので、キャブ(運転台)内を撮影しようとカメラを持って上がりまし た(ちなみにこの間、車さんはずっと運転台にいて機関士に「もっと煙出して!」とか注文をつけて いた)。
運転中のキャブ内を撮影していると、突然「運転してみませんか?こことあそこの信号 の間を好きに往復してかまいませんから」と言われてびっくり。
ここでは体験運転の予定はなかったのですが、いきなり運転させてもらえることになって、 不安やらうれしさやらで最初はドキドキ状態でしたが、それでも交替で構内を行ったり来たりと、 生まれて始めて本物の蒸気機関車の運転をしてしまいました。
ここの機関車は、加減弁は外側テコ式、逆転機はレバーを前後に動かす動力式で、スピ ードがつくと単機(機関車だけで客車や貨車を連結してない状態)でも思いの外ブレーキ が効かないのには驚きました。ちなみに機関士は中国語で指示をするのと、操作ミスをした 時に手を出すぐらいで、他は全くのフリー状態での運転です。
それでも中型機関車(日本国鉄のC56とC58の中間ぐらいの大きさ)を運転するという 構内線とはいえ、日本ではまず出来ない体験の後、専用線を後にしました。

第三日目(9月22日(火))

今日はいよいよ待望の山河屯入りです。
長春から山河屯へ行く方法はいくつかあるのですが、今回はタクシーをチャーターして 行くことになりました。
まず、長春から高速道路を利用して吉林まで、そのあと国鉄の線路に沿って山河屯へ向 かうルートです。
高速道路は順調で吉林まで1時間ほどでついたのですが、吉林市内で道路工事のために 大渋滞。それでもこのころは「山河屯に着くのはお昼過ぎになりそうですね」などと余裕 もあったのですが、吉林から舒蘭を過ぎると道も未舗装になり思うように走れません。
おまけに全員誰もその道を通ったことがないということで、道に迷うこと数回、2時過ぎになって やっとのことで山河屯に到着しました。
ホテル(林業招待所という保養所風宿泊施設)に荷物を置いて遅い昼食後、黒龍江省五常県 山河屯林業局へと向かいました。(ホテルから徒歩5分位)
ここの森林鉄道はその昔日本人が敷設したということですが、木材の積み出しと人員輸 送に使われています。ただ、林業の景気が悪く2000年には廃止されるという話もあるようです。
また、ここには日本からのツアーも年に数回来ているそうですが、1日程度、撮影して帰る だけだそうです。今回我々はここの蒸気機関車を体験運転するということで訪れたのですが、 外国人に運転させるのは初めての試みだったそうです。
機務段(機関区)で運輸科長、機務段長などを紹介して貰い、機務段内の撮影などした あと、いよいよ蒸気機関車の運転講習ということになりました。
ここのSLは日本とは逆の右運転台で、加減弁(車でいうところのアクセル)、ブレー キなどは全て左手で操作します。
一通り説明を受け、と言っても基本的な蒸気機関車の運転方法はこちらも知っています し、模型の機関車(石炭焚きで走るライブスチーム)の運転経験はあるので、実物の感覚 とコツを覚えるという感じで構内運転を始めました。
機務段内(50メートルくらい)を往復すること数回、「それでは今度はもうちょっと長い距離を 走ってみましょう。この先に山河屯の駅があるので、そこまで行ってみましょう。途中に 踏切があるので気をつけて下さい。」と言われ、200メートルくらい先にある山河屯の駅まで 走っていきました。
予定では今日は運転講習だけで、本格的な運転は明日1時間程度行うという予定だった のですが、我々の運転を見てこれなら大丈夫だと思ったのか、運輸科長が山河屯の駅舎に なにやら連絡しに行き、戻ってくると、「隣の劉家屯駅まで閉塞(他の列車を入れないこと) したので、このまま行きましょう」と、いきなり本線運転になってしまいました。
 隣とはいっても約7.5q先、しかも運転速度は最高でも時速30q程度なので片道ほ ぼ30分の運転です。
同乗の機務段長のアドバイスを受け、加減弁やカットオフ(シリンダの弁の締め切り・ 自動車のギアに相当)を調整しつつ、どうにか無事に隣の駅にたどり着くと、 正面に山河屯へもどる旅客輸送のレールバスが止まっています。 「どうするのだろう?」と思っていると、「では、このままバックで山河屯ま で戻って下さい」と言われました。
いずれにせよ、その駅はターンテーブルがないのでどのみちバックで戻るしかないのですが、日 が暮れかけて薄暗くなった中を、後からレールバスに追われながら、また30分かけて山河 屯まで運転して帰ってきました。
結局、初日に当初の予定の1時間程度の運転を行ってしまったことになり、 もしかしてこれで運転は終わりかなと思っていると、「明日は午前中 撮影、午後は運転という事にしましょう」と言われ、「今日で運転が終わりじゃなくて良かった。 明日はどこで運転させてくれるのかな?」と期待に胸をふくらませながら、山河屯1日目は 終わりました。

第四日目(9月23日(水))

今日は午前中はレールバスで奥地まで行って、運転中の蒸気機関車の撮影、午後は蒸気 機関車の運転ということで早朝から普段は林業局長用に使われているというレールバスを チャーターして山河屯を出発しました。
レールバスは快調に奥地へ・・・・・というわけにも行かず、駅ごとに反対方向から来 る列車を待たされて(全線単線)、どうにかこうにか中間の大きな駅――沙河子に到着し ました。
ここで、小休止中に構内の撮影などしたあと、いくつもある支線の一つを通って、再び レールバスに乗り込んで先を目指します。
さて、沙河子からさらに奥に入っていくと、運材列車が止まっています。どうやら木材 を積み込むウィンチの故障らしく、当分動けないとのことです。 当初の予定では、次の駅でこの列車に追い着き、その先で機関車を運転したり 走行シーンを撮影したりすることになっていたのですが、 仕方がないのでレールバスを降りて機関車の方へ行ってみることにしました。
このままではここで立ち往生するしかないので、運材列車の方をこの先の駅まで移動す ることになりました。こんなときには運輸科長が同行してるので話が早いです。
さて、機関車まわりの銘板などを撮影していると、「それでは、この列車を次の駅まで 移動させるので運転して行って下さい」と、またもやいきなり本線運転ということに相成りました。
とりあえず、列車全体をバックさせて切り離してある最後尾の車両を連結。 十数両の編成となった列車を次の駅まで運転する「任務」を与えられたわけです。
勾配の途中で、しかも小さな機関車で列車を引き出すのですから、どうやっても空転の 連続でしたが、どうにか発車させました。動き出せばしめたもの。あとは雑木林に囲まれ た、まるで日本の丘陵地帯のような中を右に左にカーブしながら次の大嶺駅まで運転しま した。
大嶺駅(駅と言っても、付近に民家もなく、信号場のようなもの)に着くと、 今度は「この先の橋が壊れていてこれ以上先に進めない」という話で、またもや立ち往生です。
とりあえず、側線にある貨車を移動して修理資材運搬車のための直通線路を空けようということになりました。 またもや「では、あの貨車を連結してこちらへ移動させて」ということで、我々が入れ換え作 業に従事することになりました。
貨車を連結するととたんに重くなって、空転を繰り返す機関車をだましだまし(空転す るのはもちろん我々の技量不足で、本職の機関士はほとんど空転させない)なんとか入れ 換えに成功しました。
ところが立ち往生したり、我々が無駄に蒸気を浪費したりしたためか、機関車の水が足 りなくなってしまうというハプニングが発生しました。
当然のことですが、蒸気機関車は石炭を焚いて水を蒸気にして走っているので、水がな いと走ることが出来ないのです。
最寄りの給水設備のある駅までは遠いということで、近くの川まで行ってそこで水を汲もう ということになりました。この森林鉄道の蒸気機関車は、川から給水できる装置を備えている のです。
いまや当然のごとく「じゃあ川まで運転して行って下さい」と言われ、貨車を切り離した後、 単機のバック運転で本線上を延々と沙河子方面へ戻り、鉄橋の上で停止させました。
ここで、運転を本職の機関士にバトンタッチし、川からの給水作業をしばらく見学して いたのですが、どうも給水装置の作動がうまくいかず、ホースが蒸気圧で外れてばかり いるので、給水完了まで見届けるのをあきらめてレールバスに乗り換え沙河子まで戻ってきました。
予定では、昼食時までに山河屯に戻って、林業局長と会食のはずだったのですが、あち こちで待たされたお陰で、すでに沙河子でお昼を回ってしまいました。しかも沙河子から 山河屯は2時間以上かかるので、とても間に合いません。
仕方がないので、会食の方はキャンセルして沙河子で昼食後、山河屯へ戻ることになり ました。
結局、運転中の運材列車の撮影はほとんどできず、機関車の運転ばかりして、山河屯に 戻ってきたのは夕方になってしまいました。
ここで、昨日と同じように隣の劉家屯駅まで1往復さらに運転させてくれるということにな りました。
運転の方もだんだん慣れてきて、昨日よりは運転速度も上がり、余裕を持って踏切前で 汽笛を鳴らしたり出来るようになりました。運輸科長からも「ぐんぐん上手になるねえ」 とお褒めの言葉を頂戴しました。
夕食後、車さんは仕事があるのでどうしても戻らなければならないということで、長春 に帰り、我々も山河屯二日目の夜を何事もなくホテルで眠りについたのです。

第五日目(9月24日(木))

朝から機務段の機関庫内やターンテーブルなどを撮影していると、なんとなく構内がざ わついています。何事かと思って確認してみると、「90q先で機関車が脱線して立ち往生 しているので、ただちに救援列車を仕立てて現地に行かなければならない。」とのことです。 「一緒に行くか?」と誘われ、救援作業を見学(参加?)したいのはやまやまだったの ですが、なにせ往復に3日かかると言われて、さすがに現地同行は辞退しました。
本当は林業局の好意で、今日も機関車を運転させてくれるということになっていたので すが、「そんなわけで申し訳ないが運転はちょっと無理になった」と言われ、「残念だけど そういう事情じゃ仕方がない。」とあきらめて機務段内の撮影などしていました。
山河屯駅の操車場内で、入れ替え風景など見物していると、ここでは変わった入れ替え 方法を行っています。
入れ替えの一般的方法に突放(とっぽう)という方法があります。これは連結器を解錠した状態で 機関車で貨車を押して行き、勢いのついたところで機関車にだけブレーキをかけ、 貨車だけ目的の線路へ向かって惰性で走っていくという方法です。
ところが、ここでは機関車で貨車を牽引し、勢いのついたところで連結器を外し、 機関車はさらにスピードを上げ貨車との距離が離れた隙に、ポイントを切り替えて貨車のみ 目的の線路へ走らせるという方法で入れ替えをしていました。
しかし、私たちが見ていたときはポイントの切り替えが間に合わず、貨車の前と後ろが別々の方向に 向いてしまったあげく、見事に脱線してしまいました。 どうするのだろうと思って見ていると、何と機関車で思いっきり反対方向に引っ張り、 踏切の保護レールを利用して強引に外れた車輪を線路に乗せてしまいました。
そうこうする内、ずいぶんと時間が過ぎたのですが、一向に救援列車が出発する 気配がありません。聞けば、人数がなかなか揃わず出発できないということです。 運輸科長だけがあせっていましたが、職員の方はのんびりした調子でその辺に座りこんで おしゃべりをしたりしています。
責任者として脱線現場に同行する運輸科長と別れて、昼食後山河屯の街をぶらつくこと にしました。
街並みや市場などを眺めて(ちょっとしたハプニングなどもありましたが)山河屯最終 日は早めにホテルに帰って寝ることにしました。

第六日目(9月25日(金))

今日は吉林への移動日です。当初の予定では国鉄を利用して山河屯から吉林へ向かうつ もりだったのですが、吉林方面への列車は午後しかなく(午前中は逆方向のハルビン行き だけ)、しかも遠回りをするため、途中駅の舒蘭まで国鉄で行って、あとはタクシーで吉 林に向かうことになりました。
午前中は国鉄の山河屯の駅で列車や駅の撮影をしたりして過ごし、午後1時過ぎにいよ いよ列車に乗り込みました。
今度は大連〜長春とちがい硬座(普通座席)です。 車体の幅が広いので、日本の新幹線のように通路を挟んで2人掛けと3人掛けの座席が 並んでいます。また、天井がとても高いので室内は非常に広々しています。スピードの方 はいたってのんびりと、駅での停車もゆったりという、今のJRではすっかり見られなく なった各駅停車の短い旅を終えて、舒蘭からはタクシーに乗り換えました。ここの駅前の 客引きはすさまじく、うっかりすると荷物を奪われ強引に乗せられるハメになってしまい ます。こういうときはうろうろせずに「有車!(ヨウチュァー・もう車は手配済みだ!)」 とブッキラボウに言い返せばOKです。また、駅前に屯している車より表の道路を走って いる車をつかまえた方がふっかられたりする可能性が少ないということでした。
我々が乗ったタクシーの運転手は、まわりの仲間から「うまいことやりやがったな」と ばかり、羨望のまなざしで見送られていました。
途中2度ほどタクシーを乗り換え、やっと吉林のホテルに到着しました。
ここで、我々のために長春から来てくれた車さんと合流して会食の後、久しぶりに ゆったりとしたベッドでぐっすりと眠りました。

第七日目(9月26日(土))

今日はのんびり起きて吉林市内観光です。
この日は中国では非常に目出度い日とかで、結婚式の行列をよく見かけました。
観光で訪れた大きな公園の真ん中に踏切があり、立派な線路があったのですが、 単線なので何かの引き込み線かと思っていたら、北京方面からくる国鉄の本線で、 一方通行で結構頻繁に列車が走っていました。
夕方タクシーで吉林駅へ向かい、簡単な夕食を済ませた後、いよいよ夜行列車で大連へ と向かいます。
ここで、いままでずっと全行程に付き添ってくれた蔡さんとお別れです。蔡さんはこの あと瀋陽へ向かい、新たな日本人の老夫婦を山河屯まで案内していくのだそうです。
さて、帰りの夜行列車も軟臥です。今度は同室の中国人男性が外国人を嫌ったのか車掌 に交渉して別のコンパートメントに移ったため、我々だけで朝まで安心して眠ることが出 来ました。

第八日目(9月27日(日))

大連駅着から飛行機の出発時間まであまり余裕がないので、朝食は食堂車のバイキング(10 元)ですませ、大連着と同時に市内観光もせず空港へと向かいました。
大連はとても好きな町なので、本当はもっとゆっくり歩きたかったのですが、今回は時 間がないということでタクシーの窓から眺めるだけでした。4年前と比べ変わったところ、 変わらないところいろいろあって、是非再び大連の街をゆっくりと歩いて見たいと思いま す。
空港に着くと非常な混雑で、航空会社の人も今日はいつもより込んでいると言ってまし た。
飛行機は定刻通り12時20分に大連空港を離陸、一路成田へと向かいます。
ところで、行きは機内食が日本風の味付けだったのですが、帰りは完全に本格中華風の 味付けで、鶏肉なども塩辛く、ちょっとパンには合わないなという感じでした。 途中雲が多くてかなり揺れましたが定刻通り成田着15時40分(機内で時計を1時間進 めています)、1週間振りの日本は雨でした。

自分も体験運転をしてみたいという方へ

今回、我々は最初から体験運転が主目的で、山河屯へ行ったわけですが、この体験運転 については、交渉次第でなんとかなるというものではありません。
中国では金銭よりも人間関係の方が重要視されますので、日本のように「金さえ払えば なんとかなるさ」という理屈は通用しません。
今回、我々が外国人として初めて体験運転をさせてもらえたのも、ひとえに車さんの 人脈に依るものです。
なお、当然運転に関する費用は別料金となります。(今回は一人300$でした) 金額は物価動向や運転の内容等により変動の可能性もありますが、 「自分を通してもらえれば、約1時間の体験運転は保証します。」と車さんから確認の言葉を いただいています。
従って、自分も体験運転をしてみたいという方は、車さんを通して申し込んで下さい。
その際、ご自分の蒸気機関車に対する知識の度合い(「大体の動かし方は知っている」とか、 「詳しいことは全く知らない」等)も付け加えた方が、先方でプランが立てやすいでしょう。
また、質問等のある方は、遠慮なく私にメールして下さい。

車さんへのFAXの宛先

吉林省中国青年旅行社 副社長 車作寛

FAX:0431−8515898

なお、車さんは日本語が堪能なので、FAXは日本語でもOKですが、 山河屯では日本語は全く通用しないので、中国語がある程度出来るに 越したことはありません。

山河屯SL運転旅行こぼれ話

寝台車の話

我々が利用した軟臥(日本のグリーン寝台に相当する)ですが、これは定員4人のコンパートメント方式で、 我々3人の他に中年の女性が1人同室でした。中国では、ホテルなどでは男女が同じ部屋に泊まるこ とについて、非常に厳しいと聞いていたので、ちょっと驚きです。(我々3人は全員男性)
列車が走り始めてしばらくすると車掌さん(ほとんど女性)が身元確認に来ます。
このとき車掌さんが早口で何か言っが聞き取れなかったので、「?」という顔をしてい たら「あ 、中国語分からないのね」と言われてしまい(もちろん中国語で)、そんなと ころだけ聞き取れるとはと、非常に情けない思いをしました。
また、寝台車には1階建て車輌と2階建て車輌の2種類あるのですが、2階建て車輌は寝台から天井までの 空間が狭く(1階・2階ともそれぞれ2段式寝台)、身長170センチもあると、ベッドに座ったときにちょっと窮屈です。

中国道路事情

中国の道路事情はかなり悪く、道路・信号等がほとんど整備されていないところへ、 車の台数だけ爆発的に増えてしまったので、交通マナーもなんのその、 渋滞の中では我先に隙間を見つけては車を滑り込ませるという昭和30年代 の東京を思わせるような状況です。
クラクションを鳴らしっぱなしで反対車線を突っ走ったりで、ぶつかる寸前まで誰も他 車に道を譲ろうなんて事はしません。
これで事故がそれほどは多くないと言うのは、やはり運転しているのがほとんどプロド ライバーというお陰なのでしょうか?

中国東北部の料理

ホテルのレストラン、街のレストラン、山河屯での小喫店(大衆食堂)などで、 中国料理を食べたわけですが、感想は予想通り「塩辛い」ということです。
日本と同様、中国も東北地方の料理は、味が濃く塩辛いというのは聞いていたのですが、 漬け物一切れで御飯が一膳食べられるというくらいの塩辛さでした。

長春観光スポット

長春では、蔡さんの案内で偽皇宮と長春電影撮影所を訪れました。
さて、偽皇宮というのは旧「満州国」時代、長春が新京と呼ばれていたころに建てられ たもので、「満州国」皇帝、愛新覚羅溥儀の皇居だったところが、今は当時の資料を展示 した博物館になっています。
「旧満州国」と言っても現代の日本では一部の高齢者を除くと、すでに歴史上の事実と いう感情を持つ人が多いと思いますが、中国の人々にとっては未だに自国の領土を武力に よって他国に侵略された屈辱と憎悪の歴史であり、決していい感情を持ってはいないと言 うことは、忘れてはならないことです。
長春電影撮影所の方は、数々の名作を送り出した由緒ある映画の撮影所ですが、見学で きるのは一部のオープンセットくらいで、撮影現場等は見せてもらえませんでした。

名物料理・カラオケ

長春での夕食はしゃぶしゃぶでした。北京などでは羊肉のしゃぶしゃぶが有名ですが、 ここのは牛肉で、なんとオージービーフだそうですが、脂肪分の少ない肉がよくしゃぶしゃぶに合っ ていました。
夕食後は、もはや定番と化した感のあるカラオケへと向かいました。そこは車さんの知 り合いがやっているということで、予約もなしに「やあやあ今晩は」という調子です。や はり人治の国だな、という事を実感しました。
今や世界の共通語になってしまったカラオケですが、中国語でも発音は「カラオケ」で す。もちろん大流行で、そこら中にカラオケ店があります。
我々が行ったのはカラオケボックスとスナックが一緒になったような店で、広めのボッ クスに小姐(シャオジエ)がついて酒を注いだり一緒に歌ったりしてくれるというものです。 もっとも我々は中国で最近はやっている歌など知らないので、もっぱら日本の歌で中国で も歌われているようなモノを探して歌っていました。

乾杯・白酒

山河屯1日目の夕食は林業局のメンバーと会食ということで、 山河屯では一番立派そうな食堂に行きました。
ここで、林業局ベニヤ製造会社(人造板公司)の副社長に紹介され宴会が始まりました。
ところで食事の際のお酒ですが、日本人だと「とりあえずビール」と言うところですが。 現地の人は「ここの料理にはビールはあまり合わないから水替わりに飲むだけだ。 やはり中国料理にはこれが一番」とばかりに白酒を勧められます。
白酒はアルコール度30〜50度くらいの透明な蒸留酒で、味はアルコール度の低いモノは割 と甘めです。
この白酒を飲むときのマナーとしては、個人が勝手にちびちびやるのではなく、飲みた くなった人間が皆にグラスを取るよう合図して、音頭をとった後乾杯となります。
我々は普段このような強い酒を飲み慣れていないということで、毎回の乾杯は勘弁して貰いまし たが、中国の乾杯というのは文字通り、グラスの酒を一息で飲み干し、 相手にグラスの底をみせて全部飲み干したことを証明するというやり方です。
早い話が毎回全員で一気飲みをやるわけです。 これは、一息に全部飲むことによって「私はこの酒に毒が入っているとは思わない。あ なたのことを信用しています」という意味を表す古い作法の名残だそうです。

地方少女の都会流出

山河屯林業鉄道の沿線の駅では、列車が着く時間になると、駅周辺に人が三々五々集まってきます。
また、多くの駅でずいぶんと若そうな女の子が何人もブラブラしながらおしゃべりしているのを 見かけました。
沙河子の駅にもそのような女の子が2人いたので、車さんが何をしているのか聞いたところによると、 彼女らは18歳と17歳で高校を中退してする事もなくブラブラしているそうです。
以前なら公には認められていないことでしたが、最近では農村部の若者が勝手に 故郷を出て都市に住み着いてしまうという現象が中国でも多くなっているそうです。

大哥

山河屯2日目の夕食では、山河屯林業局ベニヤ製材会社の社長、林業局副局長、 林業局の科長(運輸科長とは別人)を新たに紹介されました。
特に製材会社の社長さんは恰幅のよい元気な方で、会うなり「おい、日本の 友人、聞いたぞ聞いたぞ、大層機関車の運転がうまいそうじゃないか!」と景気の好いあ いさつを受けてしまいました。
その後、歌あり議論あり、前日と同じように乾杯の繰り返しあり、で賑やかなうちに食事が終わりました。
中国で大哥と言うと長兄のことですが、この社長さんは皆に大哥と呼ばれ、山河屯の 街ではたいへんな名士なのです。

医食同源

吉林ではやはり東北地方の名物と言うことで餃子を食べに行くことにしました。 いろいろな具の入った水餃子は日本ではとても食べられない美味しさです。
ところで、私はこのときちょっと風邪をひいて、熱っぽかったのですが、それならこれ が一番と言われた熱くて辛いトマトと唐辛子のスープを飲んで大汗をかいた所、熱がすぐさま 引いてしまいました。こんなところにも医食同源たる中華料理の奥深さが感じられます。

吉林市内観光

毛沢東主席死去の年に吉林市郊外に落ちたという、世界最大の隕石を展示してある 博物館や松花江沿いの天主教会、白山公園という吉林市郊外にある公園などが、 吉林の観光地です。
白山公園の展望台は吉林市内が一望の下に見渡せるという 非常に眺めのいいところですが、そこまで登るのはかなりたいへんです。

海外旅行保険

今回、私は吉林市内でカメラを落として、壊してしまいました。
幸いなことに旅行傷害保険に入っていて、携行品特約も付いていたので、 日本へ帰国後保険金の請求をしました。
壊したのは一眼レフカメラだったので、カメラ本体は修理可能な程度の破損、 レンズは全損状態でした。
で、カメラ本体は修理代金から免責金額を差し引いた全額が保険金として 払ってもらえたのですが、レンズの方は新品の標準価格から原価償却分を 引いた分しか保険が下りず、結局半額くらいしか払ってもらえませんでした。
購入後年数の経過したものは、修理可能な場合は極力修理した方が 得になるようです。

リコンファーム

中国へ入国してから6日目に、吉林で長春へ帰る車さんに帰りの航空機の リコンファームを依頼(本当は72時間前までにしなければ行けないのだが、 いままでトラブったことがないので、気楽に考えていた)、しました。
次の日、吉林市内観光を終えて、ホテルへ戻ってみると、車さんからFAXが入っていて、 なんとリコンファーム遅れのために帰りの飛行機の予約が取り消されてしまっていたというのです。
週に2便しかない飛行機で(中国国際航空の大連−成田)日本に帰れないとなると、出国までの 滞在費用も必要になるし、それより帰国後出社したときのまわりの白い視線が目に浮かび、真っ青 になりました。
幸い車さんの尽力でなんとか座席を確保することが出来、無事予定通り日本へ帰ること が出来たのですが、リコンファームの重要さを改めて思い知らされました。

恐ろしき踏切

夜、吉林市内を車で移動中、とある踏切で停車しました。
遮断機は下りているのに一向に列車が来る気配がありません。歩行者も平気で遮断機をくぐって行き来しています。
おかしいな、と思ったら黒い陰が音も無く近づいてきます。良く見るとそれは一両の貨車でした。それに続いて次から次から貨車が通り過ぎます。
なんとその踏切は入れ換え用のハンプ(貨車を流転させるための坂)のすぐ脇にあるのでした。
地元の人はよくしたもので、流転する貨車の合間を器用にすり抜けていきますが、 知らない人がうっかり真似でもしたら大変危険な目に遭いそうです。

山の幸1.

大嶺の駅で停車中、運輸科長はじめ鉄道の人たちがどんどん付近の山に入っていくので、 何をしているんだろうと思っていたら、手に手にホオズキやグミをもって下りてきました。
グミはともかくホオズキはどうするのかと思ったら、皆でそれを食べ始めるではありませんか。
びっくりして「それを食べるんですか?」と聞いたら「なんだ日本には無いのか。ほれ、食えよ」と逆に勧められてしまいました。 もちろんホオズキぐらいいくらでもあるさ、と応えたものの、食べたのは初めてでした。
なんでも喉の薬になるそうです。皆さんの地方では食べますか?

山の幸2.

沙河子で昼食のおり、食堂のおカミさんが「どうぞ」と皿に山盛りに出してくれたのが、 ピンポン玉より少し大きい林檎と梨。両方とも野生の物で、山に行けば採れるそうです。
食べてみると柔らかくて大変甘く、なかなかの味でした。先ほどのホオズキやグミともども、 日本ではすっかり縁遠くなってしまった手付かずの自然の味わいでした。

哈爾濱ビール

中国国内でもたくさんの種類のビールが製造・販売されています。中でも青島ビール などは日本でも有名ですが、山河屯で一番ポピュラーだったビールは哈爾濱(ハルビン)ビールというビールです。
このビールの特徴は、王冠の裏に「当たり」が隠されていることです。 確率的には20本に1本だそうですが、中国の人は「当たり」が出るのは 大変幸運なことだととても喜びます。
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