番外編カナダ旅行記

2001年1月にオーロラを見ようとフィンランドまで出かけたのですが、 天候不良により、
残念ながら3日間の滞在中、全く見ることが出来ませんでした。
そこで、3日間滞在すれば95%の確立で見ることが出来ると地元が称している
カナダのノースウェスト準州にあるイエローナイフという街に オーロラ観光に出かけました。
イエローナイフのメインストリート
第一日目(12月29日)
第二日目(12月29日)
第三日目(12月30日)
第四日目(12月31日)
第五日目(1月1日)
第六日目(1月2日)
第七日目(1月3日)
第一日目(12月29日(土))

今回もパッケージツアーに参加したので、17時に集合時間に間に合うよう 成田空港へ向かいました。
1時間ほど早くついたので、第2ターミナルのショッピング街で時間をつぶしていました。
そろそろ集合時間かなと、何気なく出発予定時刻のモニタを眺めると、何故か 登場予定のエアカナダ4便が見当たりません。
まぁ、単に漏れているだけだろうと階下へ降りて、出発ゲート上の大電光掲示板を見上げると、
なんとエアカナダ4便が欠航となっています。
とりあえず集合場所に指定されたカウンターへ行くと、今回のツアーの全行程の添乗をしてくれる Sさんが待っていて、
「実はカナダからこちらへ向かう3便が機材故障のためキャンセルされたので、 折り返しとなる4便も必然的に欠航になったんです。」とのこと。
いきなり頭が真っ白になって、次の言葉も出てこないうちに、Sさんから対応策の説明がありました。
「同じカナダ行きの日航134便に振替え手続き中ですが、万が一ダメな場合には、成田で一泊して頂いて、 明日出発ということになります。」とのこと。
日航134便って17:55発でしょ。まだチェックインもしてないのにあと50分で 乗れるのかいな?と思いつつも、
「あと一組見えてない方がいらっしゃるので、全員そろってから最終的な ご案内をします。」と言われては、ただ待つしかありません。
待つことしばし、「それでは全員揃ったので、各自自分の荷物を持って大急ぎでLカウンターへ向かってください。」
というや否や、先頭を切ってSさんが走り出しました。
大慌てで後を追いLカウンターへ。
「お席は最前列になりますがよろしいですか?」とマニュアル通りの対応をする 女性職員に、
「この際どこでもいいから早くしてよ〜」とせっついて搭乗券を貰ったところ、
「あれっ、帯の部分が緑じゃなくて青いじゃん。これってまさか?」
顔色でこちらの疑問を悟ったのか、Sさんが「皆さんのお席はビジネスクラスになってます。」
おもわず「ラッキー」と喜んだのですが、この時点ですでに離陸まで残り30分。
搭乗に間に合わなければビジネスもファーストも意味がありません。
「バラバラになると乗り遅れる可能性があるので、チケットをもらった方から、出発ゲートの前で待ってて下さい。」
と言われ、再び出発ゲートでまつことしばし。
しかし、なかなか全員が揃いません。様子をうかがうと、なにやら更なるトラブルがあった模様です。(*)
10分ほど待った後、ようやくSさんが現れ、「詳しい話は後にして、皆さんついてきて下さい。」と
やっとのこと手荷物検査、出国審査を通り抜け、搭乗ゲートへと向かいました。
しかし、出国審査の時点ですでに離陸時刻、しかもゲートは一番端で、走ってもあと10分はかかります。
それでも手荷物を抱え、ゲートに向け全員で駆け出したとたん、放送で我々に対し、搭乗の催促がされています。
結局離陸を15分遅らせて、なんとか全員が搭乗することが出来ました。
席だけビジネスで待遇はエコノミーなのかな?という心配をよそに、
豪華な食事やメニュー豊富なドリンク類を楽しみつつ、カナダ到着までゆっくりとくつろぐことが出来ました。
(*)実は航空券の振り替えを行った航空会社の担当職員のミスで、
2名分がコンピュータに登録されて居らず、搭乗を拒否されるという事態に陥っていたそうです。
結局その分は既に他のツアーの旅行者に振り返られてしまったのでどうにもならず、
結局2名は、成田に一泊後一日遅れで我々と合流しました。
第二日目(12月29日(土))
イエローナイフ空港のシロクマの剥製

体内時間では出発後10時間ほども経っているのですが、 日付変更線を越えているため、出発時と同じ日にカナダの太平洋側の入り口であるバンクーバーに到着しました。
ここでカナダへの入国審査とビザの発給を受けます。
一般的に英語で「入国目的は?」とか「滞在は何日?」とかの簡単な質問があるかとおもいきや、
美人の入国管理官が、「観光?」「オーロラ?」と、日本語で質問してきたのには驚きました。
もっとも、この時期の日本人観光客(しかもほとんどがオーロラツアー)は相当な人数で、
どこの空港でもカナダにいるという実感が湧きませんでした。
厳重なセキュリティチェック(カバンの全てのサイドポケットが開けられ、
用途不明なものについては、逐一使用方法を説明させられました。)をくぐりぬけ、
イエローナイフへの臨時直行便へと乗り継ぎます。
厳寒のイエローナイフ空港では白熊の剥製が出迎えてくれました。
現地のツアー会社(ガイドはほとんど日本人)のバスでホテルへ。
イエローナイフの街中にあるイエローナイフインというホテルへ到着後、一休みしていよいよ一日目のオーロラーツアーに出発です。
イエローナイフという街はそれほど大きくはないのですが、ノースウェスト準州の州都でもあり
街中は夜間でも明るいため、40キロほど離れた観測所でオーロラの出現を待つのです。
行きのバスの中で、ちらちら小規模のオーロラが見えていたので、これはと期待したのですが、
観測小屋へ着いてみると、空の大部分が雲に覆われオーロラのオの字も見えません。
オーロラは上空100キロ以上の高度に現れているので、
雲があるとたとえ出現していても、地上から見るのは不可能なのです。
この雲はほとんど晴れず、結局夜9時ころから12時過ぎまでの3時間で、
薄い断雲のようなオーロラ(らしきもの)が見えただけでした。
(肉眼では白く見えたのですが、写真にははっきり緑色に写っていました)

初日のオーロラ
第三日目(12月30日(日))
ベックスケンネルの犬小屋

今日は、昼食後に半日市内観光です。
といってもイエローナイフの街に観光客相手のみやげ物店があるわけでもなく、
買物目的ではない純粋な市内観光です。
バスの車窓から公共の建物などを見学しながら最初についたところがベックスケンネル。
ここは犬ゾリ用のハスキー犬(純粋種ではなく混血種だそうです)を育てているところです。
幼犬から成犬まで数十頭の犬が吠え立てる様はすごい迫力ですが、なかにはやる気のなさそうな犬もいました。

人間にも無反応

ここでは別料金で犬ゾリを楽しむことが出来ます。(乗車・操縦)
ただし時速60キロ程度で走るので、寒さはまた格別だそうです。
次に行ったのはグレートスレーブ湖。
九州の面積の約2/3に匹敵する世界第十一位の大きさの湖が冬季には全面結氷します。
氷の厚い場所を選んで対岸への道路が作られ、地元の人の便利な交通路になっています。

グレートスレーブ湖上の道路

イエローナイフの街は、もともとこのグレートスレーブ湖畔に作られ、
オールドタウンと呼ばれる旧市街は、いまでは高級住宅地になっているそうです。
(現在の市の中心部はニュータウンと呼ばれています)
ホテルへ戻った後は早めの夕食です。
夕食後は再びオーロラ観光に出発しました。
が、今日は行きのバスの中からすでに空は雲に覆われ、月以外には星が見えません。
観測小屋についてもこの状況は変わらず、結局今日も約3時間の間にオーロラを見ることは出来ませんでした。
ところが、イエローナイフの街に戻ってみると空は晴天。星もちらちら見えています。
部屋に戻っていると、添乗員のSさんから電話で、30分ほど前から観測小屋でオーロラが現れだしたとのこと。
カメラをかついでホテルの前の通りに出てみると、細い筋のような緑色の光がちらついています。
ほんの1分程現れては消えてしまい、しばらくすると別の場所にまた現れるといった状態で、
30分くらいちいさなオーロラを見ることが出来ました。

イエローナイフ市内のオーロラ

第四日目(12月31日(月))
現地旅行社の移動用スクールバス

カナダ滞在も3日目を迎え、そろそろ本格的なオーロラが見えるかどうか不安になってきました。
3日滞在で95%オーロラが見えると言うのも、実際にはごく小さなオーロラまで含めてということらしく、
写真等で紹介されているような見事なオーロラは、滅多に見ることが出来ないそうです。
たとえ小さなオーロラでも、晴れていることが絶対条件なので、朝起きたときから天気が気になります。
が、今日は朝から小雪混じりの曇り空です。
昼食はホテルと同じ建物にあるハンバーガーショップで済ませ、午後からはカナダ体験ツアーへと出かけました。
先住民族の人によるカナダ北部の野生動物の説明の後、かんじきを履いてのトレッキングを行いました。
1月にフィンランドへ行ったときも、かんじきを履いてのトレッキングを行なったのですが、
カナダのかんじきはフィンランドと違い木製でした。(フィンランドのはプラスチック製)
かんじきを履いて湖の上を歩いた後、釣り道具やイグルー(かまくら)を見学した後、
先住民の住居であるティーピーへ入りました。
このティーピーというのは、数本の木の骨組みに外皮を張った円錐形の建物なのですが、
フィンランドで見たラップ人の住居であるコタとそっくりで、
さすがに同じ北極圏に暮らす民族の知恵だと感心しました。
その後、マシュマロを焼いて食べたり(ものすごく甘くなる)、
アザラシの皮を使ったそりすべりを楽しんだ後、ホテルへ戻ってきました。
夕食は北極岩魚のステーキです。
北極岩魚はもともと日本の岩魚と起源は同じらしいのですが、
氷河期に生態系が分断され、日本の岩魚と違って鮭くらいの大きさがあるそうです。
イエローナイフでは北極岩魚のジャーキーを売ってたりします。
夕食の後は3日目のオーロラ観光。
今日こそは壮大なオーロラをと望むべくもないような曇天です。
観測小屋に着いても月すらみえない厚い雲に覆われた夜空で、
ほとんど小屋から出ないで天候が好転するのを待ちました。
結局2時近くまで待っても月がうっすらと見える程度で、
今日は全くダメかと思いながらイエローナイフの街に戻ってきました。
ホテルの前でバスを降りると、何故か今日もこちらは晴天で、
空に筋のような白いものが流れています。
現地ツアー会社のガイドさんに、「あれはオーロラの一種では?」と聞いたところ、
「あれは雲ですね。」とのことに、あきらめて寝てしまったのですが、
後で聞いたところあの雲らしきものはやはりオーロラの前兆で
、 朝まで寝ずに夜空を見上げていた人は、
小規模ながらもオーロラをみることができたそうです。

第五日目(1月1日(火))
ノースウエスト準州独特のシロクマ型ナンバープレート

今日は正月ということで、街中のお店はほとんど休み。
日本と異なりファーストフード店まで休んでいます。
仕方がないので、買い置きの菓子など食べて夕方までホテルでごろごろしていました。
夕食は街中でただ一軒開いていたファミリーレストラン。
他の店が休みのせいか、非常に混んでいました。
今日のメニューは中華料理だったのですが、さすがに冬は日本人に占領された感のあるイエローナイフだけに、
入り口のメニューにも日本語が併記されています。
そこで目を引いたのが「交食 子」。
まぁ餃子の間違いだというのはすぐに分かるのですが、
馴染みのない人には、やはり漢字は難しいのかなぁと思いました。
夕食の後は最後のオーロラツアー。
観測小屋について案内されたのは、前3日間の木製のキャビンではなく布製のドームでした。
続けて案内された展望台も昨日までの木立の中のものでなく、
湖畔の非常に景色のいい幻想的な場所でした。
この場所の存在は噂には聞いていたのですが、現地ガイドの人に聞いても、
「こことは違う場所で車でなければ行けない。」という話で、
「それじゃ仕方ない」と諦めていたのでした。
ところが実は隣接した場所で、ほんの5分も余計に歩けば着ける場所。
今日のガイドさんに、別のガイドさんに「歩いて行けない」と言われたという話をしたら、
「同じ時間帯に300人以上の日本人がこの場所に来てるので、
混雑緩和のために観測場所を限定してるんです。」とのことでした。
この日は雲が多いながらも風があり、時折薄くなった雲の隙間から星がちらつく天気でしたが、
結局1時頃までオーロラは見えず、街まで戻ってきました。
「このまま諦めて寝るのはなんか悔しい」という思いはみな同じらしく、
今回のツアーでここまで残った全員(*)で、
街外れにある小さな湖まで行ってみることにしました。
ここの湖は完全結氷しているので、湖の真中まで歩いていくと
周囲の建物や明かりがあまり邪魔にならずに空を見上げることができます。
ここで1時間くらい過ごしましたが結局オーロラは見えず、
仕方がないので集合写真など撮って帰ってきました。
(*)実は今回のツアーは一日日程が短い予定だったのですが、
帰りの飛行機が満席で全員分の席が確保できず、
都合がつく人は一日延長になり、5人ほどが最後まで残ったのでした。

第六日目(1月2日(水))

いよいよカナダに別れを告げて、日本へ向け帰国です。
ところがこれが一大事で、なにしろ同一行程の日本人が多すぎるため直行便のチケットが取れず、
イエローナイフ→エドモントン→カルガリー→バンクーバー→日本と、
4回も飛行機を乗り換えるハメになりました。
前日寝たのが午前3時というのに、午前4時には起きて出発の準備です。
午前5時半にホテル出発。
途中であちこちの日本人ツアー客を拾い、空港へ着きました。
空港では発券カウンタに向け猛ダッシュです。
なぜならセキュリティチェックが異常に厳しく、30分くらいは待たされるので、
少しでも早く搭乗手続きをすませないと飛行機に乗り遅れる可能性があるからです。
たまたま並んだカウンタの女性職員は見習中らしく、
あまりの乗り継ぎの多さにどうしていいか分からず、指導担当を呼びに行く始末でした。
それでもなんとかチェックインも済み、混雑する前にセキュリティチェックへ 向かえたのですが、
ここに大きな落とし穴があったことを日本について思い知らされました。
セキュリティチェックでは、3人に1人は靴まで脱がされる騒ぎで、
搭乗時刻になってもまだ待ち行列が残っていました。
エドモントンでも駆け足です。
この空港ではトランジットにもかかわらずセキュリティチェックがあったので、
またぞろポケットのひとつひとつまで調べられました。
それぞれの空港では、トイレに行くのがやっとで、
とても買物などしている時間的余裕がありません。
実はぜひアイスワインを手に入れたかったのですが、
イエローナイフの酒屋では扱っていなくて、空港の売店に最後の望みをかけていたのです。
幸い、カルガリとバンクーバーではセキュリティチェックを通らずに乗り継げたので、
バンクーバーの搭乗口隣にある免税店で、やっとアイスワインを手に入れることができました。
このアイスワインというのは、0度以下の低気温により葡萄の水分が蒸発して、
甘味が強くなったお菓子のようなワインです。
カナダとドイツの一部でしか出来ないそうで、日本で買うとものかなりの高額になります。
カナダのアイスワインはドイツより安いのですが、それでも335ccで約5000円くらいでした。
さて、アイスワインも買えてあとは成田行きの飛行機に乗り込むだけとなったとき、
添乗員のSさんほか数名が放送で呼び出しをうけました。
「先に行っててください」ということで、我々は飛行機に乗り込んだのですが、 なかなかSさんが現れません。
出発時刻近くになってやっと飛行機に乗り込んできたSさんが、
「1枚だけですがスーパーシートが手に入りましたので、
皆さんで相談してお一人の方、スーパーシートでお帰りください」と、搭乗券を示しました。
実はオーバーブッキングで乗りこぼしが出そうになった結果、
独行者ということで搭乗券を取り上げられてしまい、
交渉の結果、やっとのことでビジネスクラスに席を確保出来たのだそうです。
全員で譲り合った結果、じゃんけんということになり、
いつもは弱いくせに何故か勝ってしまった私が一人さびしくスーパーシートに移動するハメになりました。
機内からオーロラが見えるかと期待したのですが、
西へ向かって飛んでいるのでちっとも日が沈まず、
オーロラなど見えようもない中、約10時間で日本に無事到着しました。

第七日目(1月3日(木))

飛行機の中で日付変更線を越えているので、
日は沈んでいませんが一日過ぎてしまいました。
成田に到着して入国手続き後、手荷物受け取りへと向かいます。
が、入管でかなり待たされたにもかかわらず、私の荷物が回ってない。
他の人の荷物もなかったのですが、待つうち順次出てきたので、
次は自分の番だろうと待つうち、いつしか回転台の上の荷物はひとつもなくなってしまい、
台自体も止まってしまいました。
「え、これはもしかして話に聞くロスバゲ?」と、その付近にいた係りの人に聞くと、
「003便から降ろした荷物はこれで全部です」とのこと。
最後の最後で大きなトラブルに見舞われてしまいました。(実はまだ最後ではなかった)
イエローナイフでの搭乗手続き時のいやな予感が見事に的中です。
仕方がないので、添乗員のSさんに付き添ってもらって、
ロスバゲ(ロスト・バゲージ)対応カウンターへ行ったところ、
「ああ、その荷物ならバンクーバーで積み忘れたと連絡入ってます。」
まぁ、本当にロストにならなかったのは不幸中の幸いでしたが、翌日の同便で日本に届くということなので、
自宅への配送を依頼して成田空港を後にしました。
今回も自家用車で成田まで行っていたので、早速車を預けてある駐車場へ電話を入れました。
ところが、通常は15分程度で来てくれるのに、30分近く待っても車が来ません。
再度駐車場へ電話したところ、「エンジンがかからないので、
とりあえず別の車で迎えに行くからもう少し待っててくれ」とのことでした。
旅行に出る前に成田まで運転してきて何の問題もなかったのに、
一体どうしたのだろうと考えながら、迎えの車で駐車場にたどり着きました。
話を聞いてみると、セルは回るがエンジンがかからないで悪戦苦闘しているうちに、 バッテリまであがってしまったということで、
別の車から電源をもらってエンジンをかけてみると、確かにかかりません。
JAFに来てもらったところ、どうもかぶってるみたいだけど、
このタイプのエンジンは点火プラグを掃除するの面倒だからと、
あっさり帰られてしまいました。
仕方がないので、近くの修理工場へ点検依頼をしてもらうことにして、 リムジンバスで東京まで帰ってきました。
翌々日、動くようになったとの連絡をもらって、成田まで出かけたところ、
結局プラグ清掃でなおったとのことで、どうも始動時にアクセルをあおりすぎて かぶらせたというのが真相のようでした。
今回ほど予期せぬ出来事が多かった旅行は初めてでしたが、 なんとかオーロラらしきものも見ることが出来、
今度こそは満点のオーロラを見てやろうという、さらなる意欲をわかせられる旅行となりました。
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