もともと珈琲が苦手だった・・・理由はあの酸味。。珈琲が飲めるようになったきっかけが「水だし珈琲」・・・ある日水だし珈琲を飲んだら一転した。今まで飲んだことのない珈琲だった。水だし珈琲は酸味より甘味を感じた。それからは他の店でも飲むようになる。ペーパードリップ、ネルドリップ、エスプレッソと色々な珈琲を楽しむようになった。今でもたまにあの嫌な酸味を感じて、駄目だ!って時もあるけれど・・・そんな時は1日憂うつ。それは豆の種類、焙煎の具合、豆の鮮度が大きく関係しているらしい。今では私の嫌いな酸味がこれなら少ないんじゃないかな?ってな当たりをつけることもちょっとはできるようになった。そんな珈琲を楽しめるようにさせてくれた水だし珈琲は今ではウチで作る。たまたまウチのは大仰な器具だけれど、この季節になると作る。5杯分を入れるのにポトっポトっと点滴のように一滴づつ水をたらし抽出する。またその点滴のコックの部分の設定が難しい。どうも周りの温度や気圧によって落ちるスピードもかわるし、下手なときには途中で止まってしまう。止まってはコックを動かし・・・を繰り返し、まあ1日あれば確実にできるかな。それだけ苦労しても価値ある味。透き通った味、すーっとしたのど越し。やっと蒸し暑くなってきたので(ジメジメはいやだけど)今年初めの水だし珈琲・・・うーこれがいいんだよ!これだよ!いやあいいなあ。大仰な器具が無くてもできる。ペットボトルと豆と水があればOK。ただし新鮮な深煎りの豆。おためしあれ。詳しく知りたい人はメールでもください。・・・いやあ、うまい。
なっちゃんの病気の原因がそこらへんにある「大腸菌」だったこともあって、菌にとっても敏感になっているのは確か。そこへTVで食中毒の特集をしていた。これはこれは・・・興味深々TVにかじりつく。それによると夜作ったみそ汁をそのまま朝まで置いておくと菌が3000コ/g、カレーだと1500コ/g。一晩そのまま室温で置いておくなんて当たり前じゃないですか。さらに言えば“カレーは一晩寝かせた・・・”でしょう?どうすりゃいいんだぁ・・・一度冷まして冷蔵庫へ入れるのを推奨していた。おお?冷ますって中々出来ないよねえ。さらには鍋を冷蔵庫に入れる・・・そんなスペースはないぞ。冷蔵庫の中の温度キープも大変じゃなかろうか。色々な???が沸いてきた。最後に言っていたのは、この○○○コという菌の数、この菌が全て食中毒につながるというわけではないとのこと。そうか、だったらそのうちいくつがまずい菌なんだ?別に問題ない菌ならばいいんじゃん!?と菌に敏感な私でも思ってしまった。そうだよね菌、菌と言ったいたらキリがないものね。それより無理なくできる事を持続するほうが危険性は低いかもしれない。手洗い、うがい、まな板除菌、台ぶきんの除菌・・・とりあえずそれを頑張ろう。それとさすがにこの陽気だから、昼間の室内保存は辞めようっと。
去年、NICUに運ばれて状況説明を聞いた私たちは先生に「お父さんお母さんの決断をしておいてくださいね」と言われた。何を決断するの?フワフワしながら聞いた説明を帰りの車の中でもう一度確認した。「娘さんはこれから弱くなってきます。もしもと言うときに蘇生のために傷をつけるようなことはしないで、この子の運命に任せましょう」それが先生からの提案だった。確かに無理に傷つけてまで生かすのはかわいそうだと・・・でも突然なにかで具合悪いときは対応して下さいね・・・とお願いするしかなかった。それが1年過ぎたのだ。弱るだろうといわれていた心臓は今もバクバク言っている。(最近この音を聴診器で聞いて「くぁわいい〜」と感動してんだけれど)でもどこかで傷をつけることはないんだと言い聞かせていただけに・・・決心するために二人で色々な事を話した。なこみの体は手術に耐えられるだろうか?今よりも苦しくなることはないのだろうか?これはなこみに無理を強いることにはならないのだろうか?精神的にフラフラしているためまた1年前の弱い自分に戻ってしまうこともしばしばで、突然泣いて看護婦さんビックリさせちゃったけど。「前進するための手術だよ」という友人からのメールで少し軽くなった。そして今よりももっとなこみにしてあげられることが増えると聞いた今では無事手術を終えることが待ち遠しい。気管切開は簡単に言えば喉にもう一つの口を作ることそこに呼吸器を直接つなぐ。いままでのチューブとちがって曲げるようなことはしないので簡単に掃除できる、取り換えも簡単。良いことばかりではないが今は良いことをいっぱいいっぱい並べて勇気でいっぱいのなこみにしてあげようと思っている。
一年・・・今まではもっともっと長かったような気がする。この1年、始めの1、2ヶ月はとにかくゆっくりゆっくり時が流れていた様な気がする。忍は「1年後を覗いてみたい」と言っていた。つらい毎日が続き、目標も望みを持つことも出来ないの!?という気がして・・・。私は「もう1週間、4日でいいから戻って!目の前の状況が夢であって!」とよく言っていた。夏心美の小さなベッドの脇に、ただただ座っている毎日。目覚めるはずが目覚めない。薬が効果を出さない。菌が減らない。おかしいぞ!?の毎日はホントに1分、1秒がゆっくり流れていたような気がする。今でも眠りコケている状況は変わらない、今日も呼吸器のおかげで体中に酸素を運んでもらっている。あるときから私たちの気持が据わってきたのか「これ以上悪い状態はないじゃない」と思い始めた・・・思うように心がけた。「なっちゃんの前では泣かない!」宣言をしていつでもベッドの脇ではニコニコしていようと薬そうした。先生の言う「最悪」はまだやってこないぞ、ならば諦めることないじゃない・・・毎日言い聞かせた。1ヶ月して抱っこ、2ヶ月が過ぎ沐浴・・・今ではミルクのセット、タンの吸引、投薬・・・。沢山の事をやってあげられるようになり、時の流れが急激に速くなったように感じる。なっちゃんが少しだけ反応?し始め、少しは顔色で状況が判断できるまでになった。まだまだ夏心美の言いたいことは半分もわかってあげられない親だけど、ゆっくりと「親」になって来たのかな。目の前の小さな娘に毎日毎日沢山の事を教えてもらってきた1年。そして自分たちを支えてくれている人のありがたさ、大きさ。この1年は自分たちがこれまで生きてきた中で1番濃くて、重くて、人生を変えた1年だった。全ての事に感謝したい。そして「誕生日」を迎える事がこんなにうれしい、心の底から感動した日だったのは初めての事。こんなうれしいことをプレゼントしてくれたなっちゃんに感謝!!!そして支えてくれた皆に感謝!!そしてこれからも一緒にがんばろう。
日本トップの精肉メーカーの不祥事。どこでだれがズルをしたのかは皆無になるがその後の社長の態度がだいぶマスコミで騒がれている。涙ながらに従業員に申し訳ないと頭をさげ、責任をとって会長は辞職して名誉会長に。私は辞めません。ん?と思うが責任をとって後処理をし、とことん改善してから辞めるということならばよいのではないか?辞職=責任とったというつもりになるのは簡単すぎじゃない?本当に子会社が子会社の一存でやった不正だったとしたら社長はバシッと徹底させるためにも辞めずに・・・。ほんとの所はわからないが。食品業界の不祥事が続いている。これだけゴロゴロしていると今に始まったことではないんじゃないかと不安になる。乳製品で有名な例の会社も根っこから不正が浸透しているんじゃないか!?と思える様に次から次へと信じられない事実が出てきた。大阪の遊園地の水道水、どこかの町の水道水・・・工場用水と繋いでいた!?ホントに?さらには下水浸水したジュースタンクをそのまま客に出して・・・信用して飲むし、食べるしそのためにお金を出しているんだよ。最低限のそれを守ってもらわなくては。それに関わった人達の良心ってのはどこへいったのだろう。職人気質とまではいかなくても責任ってものは最低限もって欲しい。消費者が調べようもないこんなものまでと言う状況にビックリするばかり。何も信用できなくなったら恐いことだよ。それともこんな時代に生まれちゃったこと・・・と諦めるしかないのだろうか。
そうまだまだ去年の今ごろは最悪の落込みの中で・・・なんでウチのコが、なんで?なにが悪かったのだろうと。色々な「たら、れば」を毎日毎日頭の中をグルグル走り回っていた。そんなある日病院から帰ってきてTVをつけるとビルに飛行機が突っ込む映像。へえこんなすごいCG、いつ公開の映画?と思っていると、現実だった。それも見覚えのあるビル。数年前に皆で行ったNYのタワー・・・最上階の方にあるレストランでライスプディングなるものを初めて食べてビックリしたあのビル。そのうち崩れ、あとかたもなくなった。現実だ!と思ったと同時にいとこがNYで働いている!と大騒ぎに。いとこは無事だったことが確認されホッとしたが、大勢の人が亡くなった。中にいた人、助けに行った人・・・元気で五体満足でいても何が起こるかわからないんだよねという現実を目の当たりにした。なっちゃんも元気だったとしても交通事故やこんな事故に巻き込まれちゃってっていう心配は絶えなかったよね。となんだかNYテロの様子を見て励まされていた。みんな家族を一瞬にして無くしているんだもの、まだ色々してあげられる自分たちにはチャンスがあるんだよねと。テロはこの1年色々なところで話題になった。残念ながら米国の報復によって関係ない人達がさらに上回る人数の犠牲者となった。誰が1番だとか権力をもっているとか関係ないじゃない!?これ以上命を粗末にしないで欲しい。今日は1日去年のこのテロの話題。残された家族が言っていた「もう立ち直りました?と聞かれてもいつまでもこの悲しみはなくならない。たぶんこの悲しみと一緒に生きていくんだ」と。みんながんばって欲しい。大切なものを無くしたことはホントにわすれられないもの、でもその気持と一緒に強く生きることを見つけて欲しい。