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↓久し振りの青空2題。野苺。忍冬,ジャスミンのような芳香が見事な蔓草。ハイビスカス3番咲き。 飛んで来たナデシコが増えました。ブラシの木の花、外国ではBottle Brushと呼びます。花はサイズ10cm。 野苺のようなのが樹についてます。金魚体長30cm, 今年のツツジは裏年。紫陽花三題。栃の実らしくなりました。 |
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| きのうシンガポールから電話がかかってびっくりした。電話の主は中国系シンガポール人女性で話し方が所謂「シングリッシュ」で聞き取るのが大変。通常の会話でも訛りがひどく閉口するシンガポール・イングリッシュです。堪りかねてシンガポール政府は英語が公用語なので大勢の英語教師を学校に派遣し、まず先生方の話し方から直していこうと努力中です。 ハワイにもピジョン・イングリッシュという訛りがあって,ミ−ノーゴーなんてのは慣用語です。彼女は私が香港からバリ島に遊びに行く途中に立寄った折り,現地のあまりの熱さにシンガポール大丸でTシャツを何枚か買ったときの10分程の出合の店員でした。その後,突然諏訪市からの電話でセイコー・エプソンで働いてると聞いてびっくりしました。丁度訪日していた彼女のボーイフレンド共々上高地の帝国ホテルに案内して再会を祝しました。別れて乗鞍山頂までドライブして帰宅しましたが、その後拙宅まで尋ねて来てくれたりしました。なんだか私が気に入ってくれた様で。以来お付合いはXmasカードのやりとり位でしたが、昨日の電話のトピックはなんと「双児の男の子が生まれた」で、元気な様子に安心しました。やはり友人は多い方が予期しない楽しいことがあります。 |
素朴な疑問 私の始めてのシンセアルバム「スターウォーズ」のB面の[Space Odyssey]の復刻を始めました。なぜこの20:15という演奏時間なのかは,LPの収録には40.1,2分が最適と云う慣行で、当時,A面には,ぎりぎりの乏しいスターウォーズの資料しかありませんでしたので,B面を半分の最適時間のオリジナルの長さにして体裁を整えました。[Space Odyssey]を復刻,整音しデジタル変換している間、この便利な世の中について考え込んでしまいました。この時代,秘蔵の音盤にスプレーし柔らかい布で拭い,ダイヤモンドの針を付けた好みのカートリッジを聞く音楽にあわせて選びだし慎重に針を落としサ−ッと云うノイズを聞きながら胸をときめせました。今はいきなりドカンです。市販のスピーカーでは満足出来ず,担ぎ込んだウーファーは口径が50センチ以上にもなると押し入れに入れてもブラウン管のように長さが2メートルにもなるので外壁を壊し、突き出たスピーカーには大工を呼んで雨除けを作ってもらう始末。こんな状態なると時間さえあれば秋葉原へ入り浸り。プラグは金メッキがいいとかケーブルはシールドだとか音響評論家の講議に参加したり仲間を呼んでオーディオ自慢に明け暮れます。キャンプで美味しいご飯ができると思えば少しばかり煙くても気になりません。神様が人間に与えた下さった数々の特技の中に「見たいものだけを見る,聞きたいものだけを無意識に選んで聞く」というものがあります。見た目に比べ写真は冷酷ですからアラなどお構い無し。例のサ−ッと云うノイズなども全く聞にしません。こんな手間ひまが生きる楽しみじゃなかったのでしょうか。そんな楽しみ全てが奪われた現代の利便性について考えてしまいました。蛇足.オデッセイとこの国では呼びますがアダシーで冒険の旅です。 |
アール・ヌーボー 19世紀の英国は国を挙げて全世界の植物の収集に夢中でした。植物大使という役職を作り4人を任命し世界に送りだしました。後発のベルギーは,もうなにもなくなってしまったこの分野で熱心な王様が、園芸家に突然変異の種に積極的に取り組むよう命じ,つつじからアゼレアをつくりだしました。王様は,国会の予算承認が得られなかったので止むなく私財を投じて温室に夢中になりましたが,お陰で鉄とガラスの鋳造の分野で高度の技術を生み出し、アールヌーボーの基礎ができました。欧州では日照時間が乏しいので,あの家一軒と交換されたチューリップの球根同様、当時,庭にあるオレンジの樹が黄金と同格に扱われました。王様は単にオレンジの樹が庭に欲しかったことが自分の一生を左右することにまでなってしまいました。そして王様は臨終の時を自分の温室で迎えました。 |
井原 西鶴 52才で亡くなった西鶴の遺作は弟子の園水がまとめ「西鶴置土産」として5巻発表されますが、上野池之端近くが臨終の地になったので、界隈の描写がリアルです。「しんちゅうや」という金魚屋では30センチもの大金魚が子供のなぐさみに7.8両で売られる傍ら、棒振虫(ぼうふら)を採ってきて金魚屋に売る男の手にするのが25文銭。それにしても、こんな対比で見事に風俗を描く腕前は確かなもの。「人生究めて50年なのに、2年も余分に生きてしまって」と、華麗な筆裁きは読み手を飽きさせません。池の金魚が長生きして、みんな尾鰭を別にして両手を併せたくらいに大きく育ったので思い出しました。 声 わたしたちは、無意識に、極自然に、目的によって声を使い分けます。可愛い女の子には”猫なで声”気色ばんだ時には”だみ声”など。優しい音、例えばデパートのお呼出のピンポ〜ン。この音をパソコンのモニターで拡大してみますと、なわとびの模様が整然と並んでいます。そしてギターの鋭い音は鋸の刃が並びます。デパートでは知恵者が、心地よい、やさしいサイン波のピンポ〜ン。そして女の子にアナウンスさせ、客の気分を削がないようにと最大限の工夫をしてます。優しい声には表情まで穏やかに、叱る時は喉の振動を加えて凄みを効かせます。スタジオのギタリストは、両手が塞がってますから、足で操作出来る波形合成用の小箱が数個用意されてます。”ボーや”つまり見習いの少年が全て準備しますが、気の粗いプレーヤーには、順番をうっかり間違うと、その日の気分で蹴飛ばされてます。ちょっと主題とそれてしまいました。サンプリングですが、なわとびは、始まりの上りと終わりの下りを綺麗に接続出来、ループが綺麗に出来ますが、のこぎりは、尖っているだけではなく、全体に髭のような、カビのようなものが無数に付いていて、繋ぎに苦労します。こんな難しい波形合成の高等技術の使い分けを乳幼児の頃から母親の声をお手本に無意識に習得するのです。ローン・シャークは上手に凄みのある客が恐怖を感じる声を使い分けられる人を雇い、おののく客を脅して貸し付け分を無理矢理取立ます。 フェアライト いまは懐かしき名器ですが、今から考えると幼稚なものです。しかし抜群の発想の新鮮さで世界を圧倒したことは事実です。一番の売りはサンプリングを世界に先駆けて実用化したことです。当初松下が輸入して大学の研究室にニ台ありましたが、ナニワ楽器と云う大阪の会社が輸入権を手にし、私の処が本邦三台目だったようです。なにしろ一台千二百万円でしたから、かなりの先行投資でした。でもお陰で10年間は仕事が持続したことで結果的には成功でした。当時の記憶装置は大学ノートほどの大きさのフロッピーディスク。容量が限られてますからサンプリング、つまり音の数値化が2秒ほどです。地球上の音は全てサンプルできるとの触れ込みで神格化されましたが、実情は二秒の音。話題になったオーケストラヒットはそんな時間に納まりましたが、持続音となると二秒の繰り返し、いわゆるループにして凌ぎます。音の始まりと終わりの波形を繋ぐ訳ですが、低域は波形が大きいので継ぎ目が目だたなく出来ますが、高域ではまさに、けたたましく、悲鳴になります。ところが先進的ロックグループが好んで使用し、世界的な人気楽器になりました。まともな音楽では、とても聞くに耐えないので、弦楽器はコントラバスばかりでした。更にボイスカードが8枚しか装着されてないので、更に一千万円のマルチレコーダーがアルバム作りには必須になります。そして、このテレコを走らせると、いきなり二千ワットの電力を消費します。太陽が窓一枚当たりに射すエネルギーは600Wですから、その熱量は大変なものです。熱に弱い記憶装置と 計算速度が今にくらべると極端に遅く、AD変換の要求にフォロー出来ず、16分音符の羅列になると、シーケンサーは遅れはじめ、前のテイクとズレが出てきます。これを騙し騙し使って体裁を整えていました。その後フェアライトII、は16トラック16ビットになりましたから、かなり楽にはなりましたが、最初のフェアライトは8ビット。八角の車輪の自転車に乗るようなものです。そんなことで、無限のトラックの同時進行が24ビットでできる現代には、とても対抗出来ず、映像の世界への方向転換は当然の成りゆきでした。しかし、その巧みなサンプリングの技術での魅力的な、特徴的な音は、皆さんもよく記憶なさっていて、いまだに懐かしがられます。しかし実際の楽屋裏では苦闘の連続でした。フェアライトの為に弁明しておきますが、全ては、現在簡単に手にできる80 GB の HDのような大きなデータを取り込んで管理する装置が無かったのが最大の弱点だったのです。現在、起用器材は、マックとProtoolsVで、昔と比較すれば夢のような環境。かって、二ヶ月もかかっていたアルバム制作は、二週間もあれば24ビットで完成します。現在進行形のデジタル部分は無論24ビットでの復刻です。 1970年ロスの自宅に松竹芸能の勝忠男社長と宝塚スター上月晃さんが訪ねてこられた。用件は日生劇場と大阪コマ劇場でのそれぞれ一ヶ月公演のミュージカルの作曲依頼。ほかならぬ村井邦彦のプロデユースとのことで断わり切れず承諾した。演奏家もカウントベ−シーのトランペッタ−など一流どころを、ごんちゃん立ち会いのオーディションで5人選出。かくて赤坂東急ホテル長期泊まり込みで作業開始。日本のゲイスターズというバンドも起用して米国ミュージシャンと合同で無事開演に至った。毎日の演奏を反省の意味でオケピットの指揮台の2段目にテレコを置いて指揮をしながらの録音。なんとそのテープが先程来の倉庫探しで3箱に入ったテープのなかから発見。状態は非常に良く、なにしろオケピットでの指揮台収録。CDにしようかと考えたが、なにしろ32年前なので最終日の公演だがどう受け止めれれるか心配です。
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