音楽

シャボン玉ホリデー
(音楽/テーマ曲編曲)
日本テレビ系列

担当:1962.3.18〜1966.5.29(不定期)
日曜夜 18:30〜19:00

或る日のシャボン玉ホリデー
#215 「どうなってんだ ピーナッツ」

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詳細な記録は、ザ・ピーナッツさんファンの
インファントさんのページをご覧くださいませ

東海林修先生とシャボン玉ホリデー

東海林修先生のお話

(その1)
新音楽番組の開始が決定されると同時に収録スタジオが決まります。

当然そこへ半年や一年,場合に依っては何年も通う事になります。
そうなると録音技士と仲良くなって調整卓の隣に座れるようになります。

「シャボン玉ホリデー」は目黒消防署近所の目黒スタジオ。
何年もアメリカ橋*を渡って通いました。



(クリックすると拡大します)

(その2)
*アメリカ橋*

東京女学館から目黒消防まで
恵比須ビールの横を通る裏道で
混雑を一分も早く抜け出すためにつかいました
煉瓦塀はビールの倉庫
(2005.11.23)


参考資料 アメリカ橋 1958年頃  資料提供 大沢カメラさん



シャボン玉ホリデーのテーマ
歌/ザ・ピーナッツ
編曲 作詞 作曲
東海林 修 前田武彦 宮川 泰


文中敬称略
シャボン玉ホリデー#215   どうなってんだ ピーナッツ
1965.07.11 音楽 東海林 修 構成 谷 啓
出演 ザ・ピーナッツ ザ・クレイジー・キャッツ 青島幸男 なべおさみ
ゲスト 布施明 ブルーコメッツ 奥村チヨ 
コント
とある家の玄関、花束を持った男がチャイムを押す
女装の桜井センリ、出てきて、口を押さえてあくび。花束を受け取り「どうぞおはいりになって」
次の男が玄関に。センリ、今度は口を押さえてくしゃみ。「どうぞおはいりになって」
三人目の男が玄関に。センリ、口を押さえる前に「モォ〜!」(牛の鳴き声)
牛乳石鹸提供
シャボン玉ホリデー テーマソング
コント
犬塚弘、狼男になって、女性が通るのを待っている。
女性を襲うが、そのまま生コマーシャルに
「おひげそりのクリーム」 大100円、小50円
Broken Hearted Melody
歌 ザ・ピーナッツ 詞・曲 Hal David & Sherman Edwards
サラ・ヴォーンが歌い、1959年9月にビルボード7位にチャート・インしたヒット曲。
同じ週の1位は「谷間に三つの鐘が鳴る」

オリジナルは「普通のポップス」だが、歌はエコーをきかせ、スウィング・ジャズのアレンジで。
スイムでいこう
歌 布施明、ブルー・コメッツ 詞・曲  Dollers Fuller, Sid Wayne, Ben Weisman
原題は"Do the clam" 1965年2月発売。(日本では同年3月) 
エルビス・プレスリーの主演MGM映画「フロリダ万才!
(原題"Girl Happy"1965年公開)」のナンバー。
サウンド・トラックからシングルカットされ、
日本でも大ヒットしたダンサブルな曲。

ブルー・コメッツのほか、内田裕也とブルージーンズ等がカバーしている。


当時のアメリカでは、ツイストの大流行のあと、様々なダンスが流行。
スイムもそのひとつ。
コント
ヴォーカルをとっていた布施明のところに、花束を持った女の子たちがキャーと押し寄せる
「布施さ〜ん、布施さ〜ん」
うれしそうに受け取る布施。
そこに突然自衛隊員姿の植木等後ろから登場
「ふせ、ふせ、伏せ〜〜っ」

「お呼びでない?お呼びでないね、これまた失礼いたしました」
全員ずっこけ
コントクレイジー・キャッツのメンバーによるショート・コント
ラジオを一所懸命組みたてる。やっと完成すると、それを枕に寝てしまう
怪しい雰囲気でナイフを一所懸命研いでいる。それでなにやら(チーズ?)刺して食べ「まずい」
カメラのピントを一所懸命合わせている植木等。「合わないなぁ」と顔をあげると目のピントが合ってない
バンドが音合わせをしている。合ったところで写真屋登場して記念撮影
ゴルフのショットの説明をしている。ようやく打つと、軍服のような人に当たったらしい。
(すみません、このコント意味がわかりませんでした)
私を愛して
歌 奥村チヨ     作詞・作曲 Jerry Kennedy, Margaret Singleton
    訳詞 漣健児 
原題 Since you don't care (Car tu t'en vas)
シルヴィ・バルタン1964年に発売したアルバム 『A NASHVILLE』 に収録。
シルヴィが英語で歌っている。
このアルバムはほとんどが1963年アメリカ、ナッシュビルで録音された。
日本では翌65年1月にに4曲EP盤としてもカットされヒット。
(当初の邦題『あなたが愛さないから』)
カバー「私を愛して」(漣健児訳詞)は、同年3月に奥村チヨ
4月に中尾ミエ(編曲は東海林修)、
7月にザ・ピーナッツが相次いで発売。

オリジナルも奥村チヨバージョンも「ズンタッカズンタッカ」な曲だが
放送では、トランペットを聴かせるアレンジ。
レコードのバージョンとはかなり異なり、しっとりとした印象。
コント
ギャングが地下室に集まっている。BGMは「アンタッチャブル」(日本では1961〜放映、大人気ドラマ)
かっこよく決めた植木等、タバコを捨てて足でモミ消すと「あっちー!」
足を持ち上げるト靴の底が破けていた
〜。
コントト
巨大タバコをくわえる男、巨大ライターで火をつける女
ベン・ケーシー(1962〜日本で放映)を思わせる、手術室でのコント
テレビのスタジオ、三場面でのコント。青島幸男出演
或る雨の午後
歌 植木等 作詞 島田 磬也 作曲 大久保 徳二郎
ディック・ミネのヒット曲。1939(昭和14年)
植木等 暗い酒場風セットで背の高い椅子に座り譜面台を前に、スポットライトを浴びて歌う。
タンゴ調のアレンジで。
コント
「あなたのご主人を殺したのはこの男ですか?」「いいえ」
という声とともに、次々に映る人相の悪い男たち。
のちに笑点の座布団運びになる松崎真(当時松崎薫)、なべおさみ、クレイジーのメンバー。
「あっ!この男です!」
という声に、映っている男、一瞬驚きながらも「そうだと思ったんだ」
皆「やっぱり」などと口々に言いながら、みんなで見ていたテレビを消す。
コント
ザ・ピーナッツ、ひとり、食券を売っている
客(青島幸男)「あれにしようかともったけどこれにしようかとおもったけどやっぱりどうのこうの」などと言いつづけ
結局食券を買わずに去る。まじめに付き合っていた食券売り子、ピストルを出してこめかみにあてる。
コント
ギャングが銃のケースを手に、続々と地下室に集まってくる。禁酒法時代、とのナレーション。
BGMは「アンタッチャブル」 ひとりがおもむろに銃のケースから…ヴァイオリンを出して弾く。
コント
スイスの山の氷壁。必死によじ登っている男。
タスケテ〜と、女性の声にひきよせられ、苦労してたどりつくと、オウムが「タスケテー」
雨に歩けば
歌 全員 詞・曲 Johnny Bragg, Robert S. Riley
ピアノとコーラスが印象的なアップテンポの楽しいアレンジで、賑やかにフィナーレ
生コマーシャル。BGMはパリのアメリカ人
スターダスト
歌 ザ・ピーナッツ 詞 Mitchell Parish Hoagy Carmichael
言わずと知れたスタンダードの名曲。
ホーギー・カーマイケルの1927年の作品、詞は1929年につけられたとのこと。
ザ・ピーナッツは、いわゆるヴァースを抜いて歌っている。
その後ろで、お約束のハナ肇登場。
「今日は谷啓さんが構成しました」
谷啓登場して、ひじ鉄
スターダスト インストルメンタル
エンドクレジットのバックは、スターダストのインストルメンタル
この回は、ギターソロ&オーケストラ。(169回ではトランペット)
バックには街燈。

はつよメモ(1):
ザ・ピーナッツさんファンのインファントさんによる詳細なデータにより
東海林修先生ご担当の回についてよくわかりました。
心から感謝申し上げます。

番組自体は、1959年6月〜1972年10月の放映とのことです。
1962年というのは、「可愛いベビー」が発売された年ですので
東海林修先生はこの頃に渡辺晋さんに招かれ
渡辺プロダクションにお入りになって早々に
重要なお仕事を全部任されていらっしゃったことがよくわかります。

上質の笑い、すぐれた音楽と歌唱。
家族ぐるみで安心して楽しめる、お洒落な番組でした。
落語と同じように、了解のうちに繰り返される笑い、
毎週同じ場面設定、同じせりふで始まるコントに
子供心にわくわくしたものです。

病気で寝たきりのおとっつぁん(ハナ肇)を介護する
献身的な双子姉妹(ザ・ピーナッツ)の場面が大好きでした。
あれは、歴史に残るものではなかったでしょうか。

  「おとっつぁん、おかゆができたわよ」
  「いつもすまないねぇ、こんなとき、おっかさんが生きていてくれたら」
  「それは言わない約束でしょ」


40年前から、高齢化社会を暗示するかのようですが
笑いの中にも人情や思いやりがにじみ、
古き良き時代というケースに入れてしまっておくのは
もったいないと気がいたします。
ましてそこに、東海林修先生の音楽が流れるのであればなおのこと。
いずれDVD化などにより、広く21世紀に甦り「再会」できることを
切に願います。


なお、このページ作成にあたり、アメリカ橋の画像を
東京・恵比寿の大沢カメラさんから拝借いたしました。
現在もJR恵比寿駅付近にアメリカ橋はありますが、
これは1970年に架け替えられたものとの情報を、ネットで得ましたので、
東海林修先生が実際に渡っていらした当時の橋の画像は大変貴重です。
ありがとうございました。

はつよメモ(2):
渡辺プロダクション創立50周年記念イベント「抱えきれない夢」が
2005.12.23〜2006.01.15まで東京・丸ビルで開催されました。

この会場で、東海林修先生が音楽を担当なさった回を鑑賞できましたので、
記録させていただきました。
コントは、思わず声を出して笑ったもの、わからなかったもの、無理のあるもの、
いろいろでしたが、音楽はどれもオリジナルを超える東海林修先生の世界でした。
残念ながら一度だけの鑑賞で録音・撮影も禁止でしたが、
音楽は印象深く、今もまだ耳に残るほどです。

同イベントには、シャボン玉ホリデーの台本(1962.07.22放送部分)なども
展示されていましたが、それによれば、放送日の前週の土曜日10:30〜が
収録だったようです。
上質の音楽ショーをテレビで見られる時代がまたきますように…
レコード音源で知る、東海林修先生の時代を超えたお仕事は
テレビの中で、より鮮明でした。
これを機に、ほかの回もあわせ、DVD化などされることにも期待いたします。






♪このページの作成にあたり、貴重なお話をお教えくださいました東海林修先生、
データページ作成くださり、またリンクをご快諾くださいましたインファントさん
そして、画像使用をご快諾くださいました大沢カメラさんに深く感謝申し上げます♪


インファントさんの関連ページもご覧ください
シャボン玉ホリデーのテーマ
INFANT LAND by infant




ご存知のことがございましたら
お教えください。お願い致します


green_ginger_1115@mail.goo.ne.jp
管理人@はつよ


(2005.11.23)
(2006.01.15)加筆