Works
シンセサイザーサウンド ’78
ビー・ジーズ 幻想の世界
1978年 発売
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僕達の仕事には終わりというものが有りません(きっと一生涯)。 長い間テレビ、ラジオ、ステージ、レコード等々色んなジャンルの音楽を 手掛けてきましたが、5年位前だったでしょうか、少しばかりの息詰まりを感じたのと、 海外のプレーヤーに少しでも似た音創りが(同じ物が創れるわけはないのですが) 評価される風潮にも少しばかり嫌気がさしていました。 丁度その頃シンセサイザーの音をよく耳にするようになり、これこそ未開拓の分野だと直感し、 沢田研二を手掛けるかたわら、この不可思議な限りない創造力を秘めた新しい楽器に 魅せられてきました。 シンセサイザーという名前から感じ取る空間は、およそ宇宙的な物というイメージどおり、 2、3枚そんなアルバムを手掛けましたが、それにしても今回の、ポリドール川島ディレクター からの依頼には少しばかり面喰いました。ビー・ジーズというそれはそれは優しいメロディを、 冷たい電気楽器で扱わなければならない難しさを直感したからです。 しかしローランド社から出たMC8というコンピューターによる音創りに熱中していたものですから シンセサイザー、コンピューターとビー・ジーズという、何とも相反する要素を 何とかして溶け合わせて、新しい世界を創り出そうと、その難しさを乗り越える冒険に 胸をおどらせることになりました。 それこそ始めの5〜6曲は、コンピューターをあやつれる面白さと新しい世界が創り出せそうな 期待感とで、あっという間に出来上りました。が、ポリドールの半田ミクサーのアドバイスで はっと我にかえりました。というのも、面白さの余りにビー・ジーズの持つ暖かさを、すっかり 忘れている自分に気が付いたからです。そこで〆切日刻々と迫って来る恐ろしさに 震えながらも、すべて新しく創り直す決心をしました。半田氏に指摘されたエコー処理が 功を奏し、暖かい音が創れるようになったことを、大変感謝しています。 さて、A面2曲目のディスコ・タイプの(ひと昔前のビー・ジーズからは想像できないような) 曲はさすがに現代風で、コンピューターの処理は面白いように進みました。 3曲目の「愛はきらめきの中に」はオサリバンを感じさせる単純な流れを持つ曲ですから、 余り手を加えないで、リズム・セクションと単純さからくる暖かさにポイントを置きました。 次の「マサチューセッツ」はアメリカ北東部のへの憧れを感じながら音創りをしてみました。 ともすればカントリー風になりがちで、マサチューセッツ州にもカントリーの持つ雰囲気があって、 ビー・ジーズはそんな表現をしたのかな、と思ったことでした。 A面最後は「マイ・ワールド」というタイトルから、宇宙的な広がりを感じ、 これぞシンセサイザーの世界だと、前奏に少しばかり時間を使ってみました。 ジェット機の窓にうつり始める新しい世界を感じ取って下さればしあわせです。 B面1曲目の少し異様な雰囲気は、ヒマラヤ山中の寺院と、その肩からかかとまである 白い衣をまとった僧侶達の行列と、それに高山のジェット気流に乗る足早の白い雲と、 抜けるような青空の僕の最も好きなコントラストの下で行なわれる、太古から続くお祭りを 感じたからです。やがて「メロディ・フェア」の優しいフレーズが段々あらわになってきます。 終わりも同様の処理をしてみました。つまり、再び太古の静寂に戻りたかったからです。 次の「ロンリー・デイ」は、一時期のビートルズを思わせる曲ですが、 原曲のピアノのイントロに変えて、ハープのアルペジオの効果を使い、 しかもアルペジオの一つ一つが異なった定位から聴こえて来るように工夫しました。 さみしい部分のメロディはフルート、明るい部分はミュートをつけたトロンボーンという 想定ですが、別に既成の楽器にこだわったわけではないので、どんな風にお感じになっても 結構です。最後の部分は、私の使っている鍵盤(キーボード)の最低音を使ってみました。 (まだまだ下の音は出るのですが)。 少しばかり難しくなりますが、低い音は文字通り低い電圧を使います。 一番終わりの高い音へサイレンのように上って行く音の変化は、 電圧を段階的に変化させたものです(つまり電圧を上げる処理をしたものなのです)。 尚、蛇足ながら、テンポを変えるのはコンピューターの得意な分野で、わけなく出来ました。 次の「若葉のころ」はメルヘンタッチで処理したつもりです。 ディズニーみたいになったかも知れません。 次の「ジョーク」の前奏ではハープの音を段々下げていくと、ベースの音になる のがおわかりかと思います。まさにビー・ジーズの典型的な雰囲気を持った曲です。 最後の「ホリデイ」は少しばかりサウンドに内容を持たせてみました。 このアルバムの中で一番シンセサイザーらしく処理出来たので、 ビー・ジーズ、シンセサイザー版の終わりの曲にふさわしいと思います。 まだまだ『未知との遭遇』が数え切れない程残された楽器ですから、 一作ごとに表現する世界も変わって行くと信じます。 このアルバム共々皆様の御期待に添うべく努力していきます。 それにしても、各方面の御意見が大へん参考になった事を、末筆ながら感謝をこめて 記しておきます。 東海林 修 |
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1/4世紀後の今から考えると隔世の感じです。 はつよメモ:
すると、「私のスタジオのシンセみたいです」というご感想のメールを頂きました。 |