原文

挂巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐<起> 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 服取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經見者 悲呂可聞

作者

大伴家持(おおとものやかもち)

よみ

かけまくも、あやに畏(かしこ)し、我が大君(おほきみ)、皇子(みこ)の命(みこと)の、もののふの、八十伴(やそとも)の男(を)を、召し集(つど)へ、率(あども)ひたまひ、朝狩(あさがり)に、鹿猪(しし)踏み起し、夕狩(ゆふがり)に、鶉(とり)踏み立て、大御馬(おほみま)の、口(くち)抑(おさ)へとめ、御心(みこころ)を、見し明(あき)らめし、活道山(いくぢやま)、木立(こだち)の茂に、咲く

ますらをの、心振り起し、剣太刀(つるぎたち)、腰に取り佩(は)き、梓弓(あづさゆみ)、靫(ゆき)取り負ひて、天地(あめつち)と、いや遠長(とほなが)に、万代(よろづよ)に、かくしもがもと、頼めりし、皇子の御門(みかど)の、五月蠅(さばへ)なす、騒く舎人(とねり)は、白栲(しろたへ)に、衣(ころも)取り着て、常なりし、笑(ゑま)ひ振舞(ふるま)ひ、いや日異(ひけ)に、変らふ見れば、悲しきろかも

ますらを イラスト by 名倉エリさま

意味

言葉にするのも恐れ多い大君(おおきみ)安積皇子(あさかのみこ)が、たくさんの男子官人を召し集められ、朝狩りでは鹿や猪を起こし、夕狩では鶉(うずら)や雉(きじ)を飛び立たせ、の口を抑え、活道山(いくぢやま)をご覧になり、心を明るくされた、(その山の)木立(こだち)の茂みに咲くも散ってしましました。世の中はこのようにはかないものです。

ますらをの心を奮い起こして、剣太刀(つるぎたち)を腰につけて、梓弓(あづさゆみ)を持ち靫(ゆき:矢を背に負うための道具)を背負って、天地とともに、長く長くこうあってほしいと思っていた<皇子の宮で騒ぎ立てていた舎人(とねり)は白栲(しろたへ)の衣(ころも)を着て、絶えることのなかった笑顔も振る舞いも、日に日に変わってしまうのを見るのは悲しいことです。

「五月蠅(さばへ)なす」は「騒ぐ」を導く枕詞(まくらことば)です。おそらく蠅(はえ)のうるささから来ているのでしょうね。

補足

この歌は、「(天平)十六年甲申(こうしん)春二月、安積皇子(あさかのみこ)が薨(こう:亡くなる)ずる時、内舎人(うちどねり)の大伴宿祢家持(おおとものすくねやかもち)の作る歌六首」、0475番歌~0480番歌のうちの一つで、天平16年(西暦744年)3月24日に詠まれた歌です。

活道山(いくぢやま)がどこの山かははっきりとはしていません。

更新日: 2015年08月09日(日)