万葉集:長屋王(ながやおう)

2007年11月11日(日)更新


長屋王(ながやおう)は高市皇子(たけちのみこ)の長男です。養老4年(720)に藤原不比等が亡くなってからは彼に並ぶものがいなくなり、正二位左大臣にまでなりましたが、神亀6年(729)年2月に謀反の密告により追及され、妻子とともに自殺に追いやられました。

その後、(735)年に天然痘が大流行し、長屋王亡き後に権勢をふるっていた藤原不比等の4人の子供たち、房前(ふささき)・麻呂(まろ)・武智麻呂(むちまろ)・宇合(うまかい)が次々に病死しました。人々はこれを「長屋王」のたたりとして怖れたそうです。

続日本紀(しょくにほんぎ)の巻第13の天平10年(738)の個所には次のような記事が載っています。

  • 長屋王に仕えていた大伴子虫(おおとものこむし)が、囲碁をしていた相手の中臣宮処東人(なかおみのみやこあずまひと)を斬殺した。長屋王事件のことに話がいったときのことだった。
  • 東人(あずまひと)は、かつて長屋王を誣告(ぶこく=嘘の申し立て)した人物であった。

やはり長屋王は無実だったのでしょう。大伴子虫が特に罪に問われている記事がありません。

続日本紀には、生駒に葬られたとされています。現在、平群駅から徒歩数分のところに奥様の吉備内親王(きびのひめみこ)と距離を置かず、長屋王のお墓があります。

万葉集には五首の歌が残っています。また、懐風藻(かいふうそう)には、五言詩三首が載っています。

長屋王のお墓 撮影 by きょう

0075: 宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに

0268: 我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて

0300: 佐保過ぎて奈良の手向けに置く幣は妹を目離れず相見しめとぞ

0301: 岩が根のこごしき山を越えかねて音には泣くとも色に出でめやも

1517: 味酒三輪のはふりの山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも


長屋王は1988年に発見された「長屋親王宮鮑大贄十編(ながやしんのうあわびのおおにえじっぺん)」と書かれた木簡で一躍有名になりましたね。長屋王邸宅とされている平城京左京三条二坊には、現在「イトーヨーカドー奈良店」となっています。残念ですね。


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