万葉集:光明皇后(こうみょうこうごう)

平成10年3月1日(日)更新


聖武天皇(しょうむてんのう)の奥さんです。名前は安宿媛(あすかべひめ)ですが、光輝くように美しいことから、光明子(こうみょうし)と呼ばれたとのことです。

概要 備考
出自生年・没年大宝元年(701) 〜 天平宝字4年(760)
家族父 : 藤原不比等(ふひと)
母 : 県犬養橘宿禰三千代(あがたのいぬかいのたちばなのすくねのみちよ)。
子 : 阿部内親王(あべのないしんのう)
主な活動

天平元年(729)に、皇后になる。

施薬院(せやくいん)を置き、不比等(ふひと)から受け継いだ財産を使って日本・中国などから薬草を集め、薬を病気の人々に施す。

悲田院(ひでんいん)を置き、貧しい人々の救済にあたる。

天平勝宝8年(756)に、聖武天皇の遺品を東大寺に献納する。

その他光明皇后の自筆と伝えられる「楽毅論(がっきろん/がくきろん)」が正倉院にあるそうです。

奈良の法華寺では、光明皇后をモデルにしたと言われる十一面観音像(ただし、レプリカ)を見ることができます。

また、鎌倉の杉本寺は、光明皇后の発願によって建てられたとのことです。


1658: 我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし

4224: 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩

4240: 大船に真楫しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち


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