万葉集:持統天皇(じとうてんのう)

2004年07月25日(日)更新

万葉集と百人一首の、「春過ぎて夏来るらし白妙の.......」の歌で有名ですね。

持統天皇(じとうてんのう)という名前は、後からつけられた名前で、もとは「う野讃良皇女(うののさららのひめみこ)」と呼ばれていました。「う野(うの)」も「讃良(さらら)」も河内(かわち:今の大阪府の東半分あたり)の馬の飼育が盛んだったところと考えられ、う野讃良皇女もこの地と何らかの関係があったのではとも考えてられています。


概要 備考
出自 生年・没年 大化1年(645) ~ 大宝2年(702)  
家族 父 : 天智天皇(てんじてんのう)
母 : 遠智娘(おちのいらつめ)。
子 : 草壁皇子(くさかべのみこ)
 
主な活動

大化元年(645)、誕生。

斉明3年(657)、13歳で大海人皇子(おおあまのみこ)に嫁ぐ。

天智10年(671)、大海人皇子(おおあまのみこ)とともに吉野に逃れる。

天武1年(672)、大海人皇子(おおあまのみこ)とともに壬申の乱に参加。

天武2年(673)、大海人皇子(おおあまのみこ)が天皇(天武天皇)に即位するのにともなって、皇后になる。

朱鳥(あけみとり)1年(686)、天武天皇(てんむてんのう)が亡くなったため、即位せずに政治を執ることになる。←これを称制(しょうせい)といいます。
大津皇子(おおつのみこ)を謀反の疑いで捕らえ、自害させる。

持統4年(690)、即位(持統天皇)する。

持統8年(694)、藤原宮に移る。

文武1年(697)、孫の軽皇子(かるのみこ)に譲位(文武天皇)する。

 
その他  

持統天皇は大宝3年(703)に火葬され、天武天皇の陵に合葬されました。

撮影(1999) by きょう

0028: 春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山

0159: やすみしし我が大君の夕されば見したまふらし.......(長歌)

0160: 燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずやも智男雲

0161: 北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて

0162: 明日香の清御原の宮に天の下知らしめしし.......(長歌)

0236: いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり


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