万葉集の成り立ち

2009年11月22日(日)更新


ねぇねぇ、万葉集には私たち(たけちとさらら)の歌も載っているんだけど・・・万葉集っていつできたのかしら。奈良時代の終わり頃ってきいたような気もするけど。

さらら

たけち

そうそう、万葉集は、日本でもっとも古い歌集だよね。全部で20巻、およそ4,540首あり、平城(へいぜい)天皇の勅撰(ちょくせん)とも、大伴家持(おおとものやかもち)の私撰(しせん)ともいわれてるよね。でも、誰が・何のために・どのようにして編纂(へんさん)したかは、はっきりとしていないんだ。

万葉集は最初から20巻あったのではなくて、もともと巻1と巻2の内容があって、これらにいろいろな歌集や歌の資料をもとに増えていったと考えられているんだ。さららの言うように奈良時代の終わり頃にできたんじゃないかなぁ。

当時の歌集というと、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)歌集や笠金村(かさのかなむら)歌集、高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)歌集などがあったよね。

歌は舒明(じょめい)天皇(600年くらい)から大伴家持(759年)までのものが収録されています。第一巻の最初の歌は、雄略(ゆうりゃく)天皇の歌と言われています。


歌の読み仮名などの研究

万葉集は、万葉仮名(まんようがな)で書かれていますが、平安時代にはもう何と読んだら良いかわかりにくくなってしまっていたようです。そのため、万葉集をどう読むかをいろいろな人が研究し、訓点(くんてん=読みがな、のこと)をつけました。

古点 : 天暦5年(951)に村上天皇の命令でつけられた訓点

次点 : 平安時代から鎌倉時代にかけて藤原道長らがつけた訓点

新点 : 鎌倉時代に,仙覚(せんがく)がつけた訓点。この時にすべての歌にかながつけられました。