
恭仁京(くにのみやこ)
恭仁京は奈良北部の木津川(きづがわ)の沿岸に作られました。恭仁京は天平12年(740)から天平16年(744)、聖武天皇が治められた都です。
この恭仁京への遷都(せんと)の理由については色々な説があり、定まってません。政情の不安定なことと、当時太政大臣だった橘諸兄(たちばなのもろえ)の影響が大きかったのではないかといわれています。
恭仁京(くにのみやこ)を詠んだ歌
万葉集には、8首詠まれています。
0475: かけまくもあやに畏し言はまくも.......(長歌)
0768: 今知らす久迩の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な
1037: 今造る久迩の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし
1059: 三香の原久迩の都は山高み.......(長歌)
1060: 三香の原久迩の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば
1631: 今造る久迩の都に秋の夜の長きにひとり寝るが苦しさ
3907: 山背の久迩の都は春されば.......(長歌)
3908: たたなめて泉の川の水脈絶えず仕へまつらむ大宮ところ
補足
現在では、京都府加茂町の恭仁小学校のそばに恭仁宮跡の碑が残されているだけです。
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