008 ブライトの帰還
party night
「では、これで全ての補給物資と新型MS(モビルスーツ)、それに補充人員の引き渡しを完了します」
「ご苦労さまでした」
 マチルダに応えたのは自らも補充人員であるブライトだ。それを正面にしながらも、イルムは補充された『新型MS』とやらに視線を注いでいる。…かなり、冷たい視線を。
(新型って…新型っつってもなあ!?)
 リ・ガズィとGMIIIが各一機、それに加えてハサウェイ操るネモである。確かにリ・ガズィは変形機構と特殊能力のある新型機ではあるが、たかが三機。しかもリ・ガズィは専用ではないものの搭乗者が付いて来たというし、…いったい何を考えているのだろうか、上層部は。
(わかんねえけど…お、パイロットが出てきたか)
 華奢な体つきからすると、女性なのだろう。スーツにヘルメットのままで、顔まではわからない。
「って落ちたぁ!?」
 イルムが思わずあげた叫び声に、マチルダが振り返る。足を滑らせたのか、タラップを踏み外したパイロットは、姿勢を崩したままで手摺りに捕まっていた。
「アムロ、悪いけどあの子を医務室へ。これが個人カルテ、よろしくね」
 手慣れた様子とその待遇に、イルムは違和感を覚えた。それは他のクルーたちも同じだろう。タラップを踏み外した程度、一般人であっても医務室へいくほどではない。それが必要な状態であるというのなら、前線に出る可能性のある戦艦になど、配属されるはずがない。
「ちょっとした事情があるのよ。軍事機密に関わるから、これ以上は言わないわ。でもあの子、優秀なパイロットよ。それだけは保証出来るわ」
 戸惑うクルーたちに向けてそれだけ言うと、マチルダはパイロットに付き添うから、と医務室へ向かった。残された者は、必然としてブライトに集中する。
「さて、今日から再び、ロンド=ベルの指揮を執ることになった。よろしく頼む」
「「やれやれ、肩の荷がおりたよ」」
 アムロとトーレスの二重奏に、周囲から笑いが漏れる。
 アムロにして見れば、自分は単なるパイロットである。それも軍属ではなく、どさくさ紛れにガンダムを動かして、気づいたらエースパイロットになっていただけであって、軍隊で上に立ちたいと思ってここにいるわけではない。
 トーレスにしてみれば、艦長であるアムロがエースパイロットであるものだから、必然として艦には指揮者がいなくなる。そこを単なるオペレータである自分が穴を埋めながら本来の操縦も兼ねていたのだ。楽であるはずがない。
「リ・ガズィも入ったし、戦力もどうにか整ったかな」
 アムロは物資に満足しているようだ。どれもこれも旧型だったしな、とイルムが呟く。が、その囁きは黙殺されたか聞こえなかったか、全く反応を得られなかった。
「僕もいるし、どうにかなんて言わないでよ、アムロさん」
「「ハサウェイ!」」
 父とアムロ、双方から厳しく名を呼ばれるが、意に介した様子はない。
「まったく…増長は死を招くぞ」
「わかってる、気をつけるよ、父さん」
 苦い口調は、…精鋭揃いの彼らでさえ仲間を失った経験があるからだろうか。
「それじゃ、改めて自己紹介させてもらうぜ」
 威勢のいい兄ちゃんだ、とイルムは先程のやりとりを思い出した。
「藤原忍、イーグルファイターのパイロットでリーダーだ」
「何にも考えてないリーダーだけどね」
 辛辣な感想を…いや、事実を突き付けるのは、赤い髪に青い瞳の印象的な女性だ。
「んだと、沙羅てめぇっ」
「ったく飽きないね、二人とも。仲がいいほど喧嘩するとは言うけどさぁ」
 親父臭い台詞はわざとだったのか、沙羅と忍が揃って黙る。こいつも苦労してそうだなとはその場の全員の感想だ。どうみても、四人チームの中で最年少なのに。
「あ、オレ式部雅人、ランドクーガーのパイロットだよ」
「そーゆーてめぇはどーなんだよ、雅人、ローラとうまくいってんのか?」
「別れたよ」
「へ?」
 地雷踏んだな、と思ったのは誰だろうか。まあ話を逸らすのによく使われる手段だが、こうも見事に地雷にあたる例は珍しい。というかそれ以前に、チームを組んでいて、そういう話をする間にもかかわらず、気づかないというのは如何なものか。
「GGガールズとか言うのに入っちゃって、色っぽくなったのはいいけどオレのことなんか見向きもしなくなっちゃったんだ」
 ほほー、とイルムは感心した。GGガールズと言えばお色気がウリの偶像集団(アイドルグループ)だ。歌も歌うがまあ、見た目だけと言っていい。
 それを未練がましく追いかけたりすると情けないが、そうではないあたり、しっかりしている。ただ、GGガールズはメンバーの入れ替わりが激しい。相当なマニアでなければ、覚える暇もないくらいに。
 が。
「かなり初期じゃないですか、ローラって。けっこう早くに止めましたよね?」
「おお、もう芸能活動してないと思ったぞ」
「…なんで知ってるんだ、イルム」
「え、だってこの間まで普通に研究所勤めだったし。俺、軍属じゃないし?」
「って何でそんなこと知ってるのよ、忍」
俺は司馬亮。ビッグモスのパイロットをやっている。そのくだらない話に付き合わないほうがいいぞ、キリがない。沙羅も自己紹介、まだだろう」
 云われなくとも、とイルムは苦笑した。何せ忍が沙羅に首を絞められているのを目の前にしている。
「あ、結城沙羅といいます。ランドクーガーのパイロットです」
 名前の割にお転婆な印象だが、嫌みもない。まあ確かに、喧嘩するほど中がいいということだろう。
「あれ、たしか獣戦機隊って合体して『ダンクーガ』とかいうロボットにならなかったっけ?」
「へぇ、良く知ってるじゃねぇか。オレたちも少しは有名になったのかね?」
「…別の意味ですよね、あれ」
「うん、俺も噂だけ知ってる。…てか、ハサウェイ、よく知ってるな」
 イルムの呟きにコウが応えた。ブライト艦長が知らないようなことを、何故息子が知っているのだろうと聞きたい気もするが。
「残念ながら、今は合体コードを封印されちゃったんだ。誰かさんがやり過ぎたお陰でね」
 じとー、とした目がリーダーに注がれる。
「…悪かった。けどよ、ちょっとしたミスだし…」
「演習してる部隊のド真ん中に、断空砲を撃ち込んだのが『ちょっとしたミス』?」
「…死者が出なかっただけでもよかったじゃねえか」
「当たり前でしょ! そんなことになってたらクビよ、クビ!」
 クビですむのか軍隊ってとこは、とこっそり胸を撫で下ろすイルムである。
「なんかとんでもないな…」
 合流していきなり増えた仲間がこれなのか、とベンケイが呆れているのか感心しているのか、なんとも判断のつかない溜息をついた。
「…それにしても、DCにこれだけの作戦を行う力が残っているとは…」
 会話を聞きながら戦闘の記録を確認したブライトが、ようやく場をまとめ上げる気になったらしい。彼が続けて明かした情報は、…あまりと云えばあまりな内容だった。
 ハマーン=カーンが、まだ幼いミネバ=ザビを擁してノイエDCを名乗り、アクシズで活動を開始したというのだ。
「その目的とは何です?」
 ハヤトの問いに、ブライトは苦々しく答えた。
「連邦政府に対する規制緩和要求と、独自に活動出来る宇宙軍の結成だそうだが」
 連邦の政策は地球に甘く、宇宙に厳しい。そのために宇宙では連邦政府に対して不満を持つ人々が多い。彼らの指示を得て、DCとは別の目的を持つ組織として、ノイエDCが結成されたというだった。また、インスペクターのような異星人が出現しても、それを撃退出来るような宇宙軍の結成も題目に掲げ、経済の自由化や宇宙移民者の権利の拡張なども求めているという。
「聞いてる分には、正当だな。…けどさ、ミネバ=ザビってそんなことが判断出来るような年齢だっけ?」
「難しいところだが、はっきり言ってまだ子供だ。ハマーンの目的はザビ家の名を借りた、独裁による地球圏の支配にほかならない。出来れば阻止したいところだがな」
 現状、ロンド=ベルは宇宙へ出ることすらも出来ない。宇宙の情報すらも入ってこない彼らでは、動くことすら出来ないのだ。
「じれったいよな」
 それはその場の全員の、共通した想いだった。
 リョウが古なじみであるジャックから聞いたという情報DCが力をつけてきているというその内容を併せれば、戦乱は避けられない。
 ブリーフィングルームを、重い沈黙が支配した。
 と、ブリーフィングルームに呼び出し音が響いた。緊急呼出(エマージェンシーコール)ではなかったが、とりあえず近場のファが通話に出る。
「はい、こちらブリーフィングルーム…あ、マチルダさん?」
「会議中ならごめんなさい、終わったら食堂へ来てもらえないかと思って」
「食堂へ?」
「ええ、伝えてね。全員ね、絶対よ」
 一方的に通信が切れ、困惑顔のファがブライトを見る。
「…まあ、一通り伝達事項は終わったし、行ってみようか」
「そうだな。では、これで解散する」
 
 
…?」
 ウィンが目を覚ましたのは、ココアを飲まされてから、たっぷりと三時間は過ぎてからのことである。
 即効性の睡眠薬がこれほど早く切れるのは、耐性があるからに他ならない。つまりは、それだけ常用しているということだ。
 とは言え、効き目が完全に切れたわけではなく、薄れたところで目を覚ましただけのことで、寝台の上に身体を起こしてからも意識がはっきりしない。ただ、身体は寒気を覚えていた。
 見上げた先に、青く光るランプがある。
「…何かあったか」
 非常事態を示すランプは、青色点灯だ。付いていない状態が通常で、戦闘時は赤、休戦時は橙が付く。青は戦闘終了を示す色である。これが消えると、行動制限が解除されて居住区との行来が自由になる。
 が、今いるのは居住区だ。隔壁閉鎖されるわけでもないので、別に移動に支障はない。
 寒気は今まで眠っていたせいだとしても、手の白さは尋常ではなかった。意識もはっきりしないというより、目眩が抜けないと言った方が近い感覚だ。後遺症の一つだから放って置いても数日で治るけれど、そんな悠長なことはしていられないし、目眩と寒気の二重奏を三日も四日も受けるのは御免である。この船に乗る前から薬を飲んではいるが、効かないときには手っ取り早く点滴を受けるのが常であった。
 ふらつく身体を壁に寄りかかることで騙し騙し、医療室へ移動する。その間に誰ひとり行き会わなかったが、まあ戦闘直後など、そんなものだ。
「失礼します。……船医(ドクター)?」
 入った室内に、誰もいないことは珍しい。普段なら看護資格を持つ誰かか、医師が必ず待機しているのに。
 だが、自分のしたいことをするのに、実は医師の手も看護師の手も必要はない。一通りの看護訓練は受けているし、欲しい薬さえあれば、自分で出来る。しかも薬はコンピュータに薬品名を入力すれば、勝手に取り出してくれる。
 手際よく点滴の用意を整え、つかの間考えて寝台に横になった。椅子でも出来なくはないが、点滴中に倒れでもしたら、洒落ではすまない。
 白い天井とカーテンは嫌いだった。
 動けない日々と、寂しさだけが映し出されるから。
 それに甘んじるしかなくて、ようやく抜け出してからはただ我武者羅にやってきて、やっと今、ここに来た。そう、終わりを見る、そのために。
 終わらないのなら、終わらせる。そうでなければ、二度と会えない。
 会いたい相手は、たった一人なのに。
…」
 微かに呟いたその声は、話し声にかき消された。船医たちが戻って来たことはわかったが、起き上がろうとは思わない。薬の眠気はまだ残っていて、喋るのも億劫だ。
 目を閉じたウィンが浅い眠りに引き込まれる中で、周囲は慌ただしくなっていった。
 
「うっわぁ…何ですかこれ」
「隊長のポケットマネーですよ」
 ミデアの操縦士がこっそり耳打ちしてくれた。食堂の机せましと並べられた数々の料理や酒は、いかにも美味そうだ。
「これ、こっそり積み込むの大変だったんですよ」
「そうそう、弾薬の空箱で偽装したりしてね」
 楽しげな会話であるが、軍の支給品でそんなことをしていいものなのか。
「ばれたらやばかったけど、以外とばれませんねー」
「相手がロンド=ベルだから、おれらも頑張ったし?」
「でもお前、エンジン整備不良だっただろ」
「言うな、言わないでくれっ」
 気の合う部隊なのだろう。士官学校時代の自分たちを思い出し、イルムは微笑った。
「ありがとな。船の料理長も美味いけど、やっぱりこういうのって違うもんなあ」
「そうですよ。ロンド=ベルはなかなか上陸しないって聞いて、隊長が思いついたんです」
「それと、なんかみなさんにお土産があるとか言って大量に用意してましたよ。ほら、あっちで配ってる」
「へ? あれ、そうなの?」
「ですよ。料理はまだありますし、行ってきたらどうです?」
「いや、俺は初めて逢ったとこだし」
 そのやり方がどこか自分たちの親父を彷彿とさせなくもないが、あれだけの美女をタヌキ親父と同等にしては失礼だろう。まさかつながりもあるはずはないし。
「イルムー」
 へ、と呼ばれて振り向く。自分に手を降っているのはエマだった。
 なぜに自分がと思いつつ、呼ばれるままに行って見るとデータディスクを受けとらされた。
「これ…俺に、ですか?」
「ああ、君と…アーウィンくんにと、テスラ=ライヒ研究所の所長から預かってきた」
「……タヌキ親父ども、こんな美女と親交があったのか」
「ふふ、褒められるのは悪い気しないわ。けど、タヌキ親父なんて、失礼よ」
「…そうですか?」
「そうよ、大妖怪って呼ばれてる方に狸なんて、失礼だわ」
 おいおいおいおい。
「…じゃあ、今度から化け狸だな」
 すでにマチルダ少尉の会話は乗務員の土産に移っていた。
 これは誰々に、それは誰某に、それは〜…と、次々に土産らしきものを渡していく。この赴任はけっこう急に決まったはずで、少なくともこちらのクルーには知らされていなかったものだ。にもかかわらず全員の土産を持ってくるとは、中々侮れない人物である。
「あの、イルムさん」
「ん? ああ、ダバか。イルムでいいよ。あれ、お前も土産もらったの?」
「はい、パズルらしいんですけど」
「…あー、駄洒落パズルか…難しいぞ、それ」
「え、そうなんですか?」
 一見すると、ウイスキーのサンプルだ。しかし一度取り出すと立体パズルになっていて、しかもその形に法則性はないから一つずつ嵌めていくしかない。まあ梅干しの瓶詰パズルにくらべればマシだろうが。
「で、なんだった?」
 用があったのかと問いかけると、ダバは頷いた。
「さっき、ウィンさんの部屋に行ったんですけど、だれもいなかったので知らないかなって」
「え、ウィン寝てなかったか?」
「いませんでしたよ」
「んー…ここにも来てないってことは、医務室かな。ちょっと様子見てくるか」
 戸惑うダバに構わず、彼をつれて食堂を出る。
「あいつ、自分から部屋に来いって?」
「あ、はいそうです、面白いもの見せるからって」
「あー、アレかな。珍しいな、あいつ人付き合い苦手なのに」
「え、そうなんですか?」
「ま、士官学校時代に色々あってね。あいつ主席だったから、取り巻きみたいなのが多くてさ。その分、臭いかぎ分けるのも得意だけど」
「あー…とりあえず、合格ですか」
「というより、共犯者にするつもりじゃねーかな。あ、それ、一応消毒な」
「ああ、はい」
 重病人がいるわけではないので、とりあえず手だけでいいだろうと殺菌消毒を受けてから医務室へ入る。船医はいなかったが、看護婦が後片付けをしているところだった。
「どもー」
「あら、イルムくんと…ダバくんだったかしら。どうしたの?」
「や、ウィンがいなくなったんでここかなと」
「ああ、そこで寝てるわ。ずっとバタバタしてる間も起きなかったから、かなり辛そうね」
「やー…」
 実は一服盛りましたとは流石に言えない。たぶん今後もやるだろうし、絶対に言えない。
「ちょっと薬の補充にいくわ。他はだれもいないけど、騒いじゃダメよ。それと、ダバくん?」
「はい?」
「今度じ〜っくり検査させてね。あなたのお連れさんと、小さなおじょうちゃんも」
「は? …はぁ…」
 妖艶な笑顔で言われて思わず答えたが、看護婦は満足そうに出ていった。
 イルムは敢えて何も言わない。…彼女は医師免許を持たないのが不思議と言われる腕の持ち主だが、別名は『偏執的看護婦(マッドナース)』、その腕は確かであるが故に看護婦であってよかったと胸を撫で下ろす者も少なくないという噂があるのだ。
「…ここ来るときは、誰か乗務員(クルー)と一緒に来るようにしろよ?」
 たぶん異星との交遊のためにも、自分たちの仲間を守るためにも、必死になってくれるだろうから。
「なんなんですか、それっ」
「まあ、一人で来ないなら大丈夫だから。彼女たちにも伝えておけよ、絶対だぞ?」
 詳しい説明を避け、イルムはベッドを覗いた。と、ウィンは目を覚ましている。
「あれ、起きてたのかよ」
「今ので目が覚めたんだよ。抜けたな、なんとか」
 混ぜた薬は軍で配布されるものだから、弱いものではない。ないはずだが…それだけ常用しているということか。
「大丈夫ですか、ウィンさん?」
「あれ、ダバ…」
「お前が呼んだんだろ。いないから一緒に捜しに来たんだよ」
「ああ…そうか、悪かったな」
 既に点滴は片付けられていた。ウィンがベッドを下りるとイルムが整えて、三人は連れだって外へ出た。
「で、今、物資類の補充があってだな」
「…ん、さっき青シグナルじゃなかったか?」
「当然その輸送機が襲われたに決まってるだろ。お前がいないおかげで、おれが目一杯活躍したぜ」
 半信半疑で、ウィンはダバを見た。彼は苦笑して、イルムの言葉を肯定する。
「すごかったですよ、敵の増援があっと言う間に潰れましたから。それと、新しいメンバーが増えました。獣戦機隊っていう四人組と、あと…」
「ああ、ゲッターチームが帰還したぜ。で、今はマチルダ中尉が自費(ポケットマネー)で宴会開いてくれててさ」
「イルムさん、それじゃなくてミーティングの内容伝えなくていいんですか?」
「あー、そうそう、ミーティングはだな…」
 ハサウェイ・ノアのパイロットしての補充、ブライト・ノアの着任、そのほか数機の機体補充の話題などは、手短に片付けた。
「で、ノイエDCのことは?」
「初耳だ。狸どもに確認した方がいいか?」
「あー、それについては異説が出てる。奴らは大妖怪だそうだ」
「……大妖怪に失礼だな。あれは化けそこね狸で十分だろう」
 だよなー、と自分より酷い評価に同意するイルムの脇で、考え込むダバがいた。
 彼らはリリスと共にいるから、人間以外の存在にも免疫はある。翻訳機が伝えて来る内容からすると、鬼とかそう言ったものに近い存在らしい。
 しかし。
 軍にそんなものがいていいのか。それが普通というのが地球の文化なのか。
「…なあ、何か勘違いさせてないか?」
「してそうだな。後で訂正するか」
「いらねー気もすっけどな」
 などなど、楽しげに会話をしながら食堂へ戻った。幸い、まだ食事は十分にある。
 今朝から食事をしていないことを思い出したのか、ウィンの食欲は大したものだった。
「ダバー、何処行ってたのっ」
「あのね、面白い人間が来たの。新しいパイロットだって」
「ん? ハサウェイじゃなくて、他に?」
 アムとリリスが酔って来て、ウィンはさりげなく一歩を引く。
「ほら、タラップから落ちちゃった人だよ」
 あー、と二人の声がハモる。そういえば、あまりの衝撃(インパクト)にすっかり忘れていた。
「…誰かを彷彿とさせるな」
「俺は今、ミーナを思い出したぞ…」
「あいつ、軍に入らなかっただろ?」
「いや、軍属でジャーナリストやってるはず。船酔いするから、こないだろうけどな」
 ボソボソと会話していると、人が波のように割れた。
 反射的に振り向いたウィンは
グレ…ス…?」
 思わず、足を踏み出していた。パイロットスーツではなく制服姿の彼女に。
 イルムは目の前にいるのが幽霊ではないのかと脈絡もなく考えた。いや、足はあるし扉を抜けることもしなかった。全員に見えているし、補充パイロットと言うからには実在するに決まっている。
 ウィンは、彼女のためだけに軍に戻ってきた。よかったなと言おうとしたのに、声が出ないのは驚きによるものだろうか。いや、…確かにそうだ、驚きによるものだ。
 けれど。
 自分の知っている彼女なら、こんなときに迷わず抱着くのだ。それを何度も窘めたのは彼女の親友で、自分の恋人とならなかった女なのだから。いくら空白期があると言っても、それだけは治るようなものではないはずだ。
「はじめまして、グレイス=ウリジン少尉ですぅ」
 差し出した手を躊躇い無く握り返され、完全な初対面としての応え。…似ているだけの他人ではないことは今、彼女が名乗ったことで証明された。
 混乱に色を失うウィンをさりげなく支え、イルムは自分も手を差し出した。
「失礼、俺はイルムガルト=カザハラ、イルムでいいよ。こっちはアーウィン=ドースティン。ウィンって呼ばれてる。ちょっと調子崩しててさ、ごめんな、びっくりしただろ?」
「あ、いえ、そんなことないですぅ。今日からロンド=ベルに配属されましたあ、よろしくお願いしますぅ」
「よろしく」
 次々と挨拶になだれ込む彼らからそっと遠ざかり、開いたままの扉から二人は外へ出た。行先などなく、とりあえず自分たちの部屋へと駆け込んで、鍵まで閉めて。
「…なん、だよ、いまの…冗談じゃ、ない…」
 茫然自失のウィンを座らせ、彼以上に激しくなっていそうな自分の心臓を押さえて、ふと異物感に気づく。
 渡されたディスク、送り主は化け狸どもから。ウィンにもと言っていたなら、間違いなく関係がある。
 慌ててディスクを突っ込み、プロテクト解除を試みる。が、思いつく限りの方法が全て試す端から蹴られてしまった。
「…俺宛じゃないのかよ、これ」
 自分に向けてでないのなら、誰に向けてだろうか。…一人該当者はいるけれど、まさか、そんな。
 イルムが息を呑んだのは、先程と同じくウィンが背後に立ったせいだ。その手は滑らかに動き、プロテクトをあっさりと解除する。
「…お前宛てなら、出てようか?」
「いや、いい。いてくれ、そこに」
 たぶん、とイルムは思う。内容に予想がつくのかもしれない。怖いのなら後回しにすることも出来るのに、それが出来ないくらいに。
 その証拠に顔色は青ざめて、けして落ち着いたわけではないのだ。
 いくつかの本人確認であろう質問のあと、映し出されたのは見覚えがある人物だった。
『久しぶりだな。今俺は、ナイメーヘン士官学校で、教壇に立ってるよ』
 まるでこちらの反応を待つかのような間があって、イルムが思わず毒づいた。
「ナイメーヘンも質が落ちたな」
『質が落ちたとか言ってくれるなよ? これでもけっこう無茶して、無理やりここに残ったんだからな。お前たちは知らないだろうけど、けっこう、犠牲出てんだぜ。どっかの軍に配属されたら、お前らと連絡取ることも出来なくなるしな。ま、お前達の親父さんに助けてもらってるけど』
「…化け狸についた子狸ってとこか」
 イルムの呟きに、ウィンは思わず苦笑した。
『さて、本題だ。まあこれを見てるってことは、グレイスには逢ってるよな。ウィンにはちと辛いかもしんねえけど、言っておく』
 イルムはちらりと彼を盗み見た。その様子はとくに変わりないけれど、顔色はやはり、青白いままだ。
 まったく、とイルムは憤る。旧友を、何故こんなことの伝達者(メッセンジャー)に使うのか。帰ったら一言言ってやらねばならない。
あー、今のグレイスに、記憶はない』
 んなこたぁ分かってる、と内心で呟く。問題は、何故記憶がないのかということ。
『例の”事故”だ。まあウィンには筒抜けだろうから言っておくが、あれは事故じゃない。テロですらない狙われたのは軍事機密だ。当時既に、ゲシュペンストの開発が始まってたからな』
 げ、とイルムは驚く。やっていたことにではなく、それが漏れていて、更には狙われるような事態になってしまったというその事実に。
『詳細は省く…というか、まだ首謀者がわかってない。これは事実だ、けっこう調べたんだがな。で、グレイスなんだが』
 ウィンが息を呑む。ビデオレターなのに、長い沈黙が支配した。
『複製(クローン)だ』
 衝撃は、なかった。ウィンにも、イルムにも。
 クローンは公式に認められてはいない。けれど、技術的には既に確立している。あの事故で発見されない遺体は数多かったし、あの化け物学者が愛娘に対してその手の保険をかけていないはずがない。
 ただそれでも、…それがグレイスであると、認められるかというのは違う話だ。
『正確には脳を移植したとのことだから、記憶はいずれ戻るかもしれないって話だ。最新の促成培養を使ってゼロから作り出したらしい。俺はその辺、よくわからんが。まあ、保険がかかってたわけじゃないってのだけ、知っといてくれ。…とりあえず、連絡はそれだけだ。お前達の活躍、楽しみにしてるよ。ああ、あの店、まだ残ってる。戦争が終わっても続けるって言ってるし、いつかみんなで呑めるといいな』
 懐かしい店の写真が表示され、メッセージはそれで終わりだった。
 取り出そうとするよりも先に衝撃音がして映像が乱れ、砂嵐になる。まさかと思いウィンを見れば。
「お…、前、素手で壊すかぁっ?」
 カードではなく、端末が破壊されていた。
「もう、必要ない」
 恐ろしいまでに冷めた声が返される。
「いや…そりゃ確かにそうですけど…」
 蚊の鳴くような声が、イルムに出来る精一杯の返答だった。