食いつぶすだけで…精一杯か
 あたしは漂うそのままで呟いた。冥王フィブリゾ…あたしを親と思った魔族の王よ。あたしは誰の味方でもないことをお前は知らないね。
 お前にはわからない。生きるために破壊を求める人間の矛盾など。それこそがあたしの存在理由混沌だということなど。
 だからこそあたしが呼びかけに答えたのだとお前が知ったら、どうなるのか知りたい気もするが、それはもう永遠に適わない。お前はもう、どこにも存在しないのだから。
 そして少女…リナ・インバース。あたしを宿す強き心の持ち主よ。世界と引き換えにしてまでも未来を望む、ただ一人の存在よ。
 あたしは眠るよ…混沌となりまたいつか、そう、いつかお前がまた、あたしを必要とするときまで。
 
 微睡みの中で未来を紡ごう金色の混沌の王(ロード・オブ・ナイトメア)の名のままに…。
 
 あたしが目覚めたとき、そこは宇宙の中だった。そう、あたしは宇宙を漂う神族の一人だからそれが当然だ。
 そのあたしが、夢を見た。混沌と化したあたしが一人の少女の呼びかけに答え…人に宿ってまた、混沌に還る、そんな夢。
 いつか見る夢を見たのか、それとも…。
 背の翼を羽ばたかせ、あたしは身を起こす。金色の粒子が飛び散って新たな星を生んだ。もしかしたらこの星の中に、あの夢が宿っているのかもしれない。
 あたしの名は金色の王。由来は無論、この金の翼。そして同じ色をした瞳と髪だ。創世の神々の中でも唯一の、金という色。あたしがあたしである証のようなものかもしれない。
 証が何故、ほしいのだろう。あたしはあたしであればいいのに。
 
 あたしは、とある星に降り立った。生命尽きたこの星を、運命さえも見放した。
 何一つ、…生あるものは何一ついない、忘れられた星として消滅を待つだけのこの星に、あたしは。…あたし、は。
「お母様
 幼い少女が駆け寄ってくる。ああ、どこかあの少女に似ているかもしれない。愛しいあたしの娘。
昏き星(ダークスター)また成長したのだな」
 抱き上げる少女の身体は、あたしと同じく神として構成されている。いや、あたしがそうして生み出したのだ…自分の闇を凝縮させて。
(ステラ)と名を下さったのは、お母様です」
 少し拗ねた風情が可愛い。あたしに生き写しの姿でありながらずっと幼く、漆黒をその身に宿している…存在しないはずの神。
「ああ、そうだった。これでは歌を聞かせてはもらえないかな」
 いいえ、と幼さゆえの高い声が響く。
 それが愛しい。
 どうしてあたしは、この娘を生み出したのだろう。何故ここで、匿い育ててしまうのだろう。
 あたしは神。闇などその身のうちに宿してはならぬ存在。滅びの定められた星に封じおくことで消滅させる、…そのはずだった。なのに。
「母君。お顔が怖いですよ」
 くすくすと笑う声が、(ステラ)を追いかけてきた。
 母か。あの夢の中でも同じく呼ばれたがさてあれは何者なのだろうな。
 これはあたしの流した血から生まれた下僕、シャブラニグドゥ。真紅の瞳、緋色の髪の赤の王。中々の美形だし、誰がしつけたわけでもないのに物腰は穏やかだ。もっとも性質は好戦的で、穏やかとは言い難い。
「あたし自身が矛盾していると思うと、どうしてもな。ここにいれば消えると、わかっているのに」
 彼の穏やかな笑みは、その本心を悟らせない。従わせることは出来るけれど、それに何の意味がある?
 そう、ここは消える。なのに彼らはこの星を出られないし、あたしも出そうとしていない。それを誰も不服と思わない時間は、長くは続かないのに。
「わたしたちはここで生まれました。出るか出ないかは、そのときに決めますよ」
「すまない」
 愛着、ではないのだ。出れば、消される。この星はもう誰の記憶にも、消滅予定の星としてしか残っていないから気に掛けられない。それだけのことと、わかっている。
 手遅れになる前にと思うのに。
「あとの二人はどうした、紅い瞳(ルビー・アイ)?」
 お前たちが本心を見せまいとするから、あたしも見せるわけにはいかない。ただ、無事であれと願うばかりで。
「もう来ると思いますよ。最近いろいろ作ってますから、手が放せないのかも…」
「造る?」
「ええ、自分たちの部下みたいなものをね。…ほら、来ましたよ」
 示された方を見れば、来るのは一人。あたしの涙から生まれた下僕、カオティック・ブルー。青い瞳、青い髪、翼を持たぬ蒼穹の王。誰よりも優しい水の王。
「久しいな。相変わらず、楽器を?」
「はい。わたしの髪は、いい弦になるようです」
 ふわふわと微笑むその手に、小さな竪琴が抱かれている。その細い指で奏でられる曲は、神々の宴に奏でてもけして劣るまい。
「デス・フォッグはまだ歌わないのか?」
「ステラがまた一段と腕をあげましたからねぇ」
 あたしの溜め息から生まれたデス・フォッグは姿を持たない。空気を震わせ、その身を映像のように映し出す。その姿はいつも、緑の髪の乙女の姿だ。カオティックの竪琴に合わせて歌う声は、彼らを認めぬ者共に聞かせてやりたいと思うほどだったのに、ステラの歌を聞いて以来歌わなくなった。
「ステラとは違う歌がいいのだがな」
「やめたわけではないですよ。ただ、考えるところがあるのだとか」
 ふと言葉が途切れ、赤い瞳が天を仰ぐ。
 あたしの脳裏に、歌いながら空を来る翼の群れが見える。これは、お前の意志なのか。
「大丈夫。すぐに、終わります」
 穏やかな声に冷たい響き。矛盾することなく静かに響く。
 空を飛ぶ翼は白い。その姿は皆同じ…そう、神々の番兵だ。この星が闇を撒き散らさぬように見張り、ことあらば消滅させるための。
「…あれは、まさかデス・フォッグか?」
 はい、とカオティックが答えを返す。番兵たちの目を眩ませるかのように、星全域を霧が覆っていく。けれど奴らに目などないのだ。ただ歌を歌い、それを聞くものを消滅させるだけの存在なのだから。あれでは何のめくらましにもなりはしない。
「お気づきではありませんか。あれは、デス・フォッグの歌声です」
 誇らしげな響きは、自分の兄弟が母を超えたことを喜んでいるのだろうか。
 そう、あたしは気づかなかった。デス・フォッグが共に歌い、霧が番兵たちの歌を包み込んでいることに。
 それは彼らが、…その得意とするものに於いてとの注釈はつくけれど、あたしを超えたことを意味している。
「…そうか」
 彼は超えた…あたしを超えてしまったのだ。
「猶予はなくなったわけだな」
「…お母様…?」
 不安げな顔をするステラを降ろし、あたしは自分の髪を一筋、抜き取った。
「宴は終わりだ。わかるな?」
 振り向いたレッド・アイが、静かに頷く。
 カオティックは空を見上げ、デス・フォッグに向けてか手を振った。
 番兵たちの姿は薄れ、既に見えない。
 ステラはただ、…そう、まるでただの少女のようにその場に立ち尽くしている。
 あたしは抜き取った髪を、武器に変えた。三日月の刃と闇の静けさを合わせ持つ、クレセントサイダーと呼ばれる形に。
「闇を切り裂くか世界を切り裂くかお前次第だ」
 使い方など教えてもいない少女に、あたしはそれを押し付けた。これは闇をその身に宿す星のためのもの。あたしの武器は
「蔓を張り替えてあります。間に合ったようですね」
 カオティックの差し出した弓。そう、これがあたしの唯一の武器。神に翻意なしと誓ったときにその蔓は切り捨てられたけれど、弓は返された。永き時を経て、どうにか間に合わせることが出来たのか。
「もうあたしの神力での覆いは効かない。すぐに軍勢が…っ」
 目の前に突き付けられた剣に、あたしは息を呑んだ。けれどそれは一瞬のこと。
「ずいぶんと腕をあげたようだな」
 弓で剣を跳ね返すと同時に皆が距離を取る。神の軍勢の先方などではない。なるほど、神も中々味な真似をする。
「将軍自ら先兵を務めるか。しかしそれで打ち取られれば、軍の士気に関わろうに」
「打ち取られればの話だ」
 旧知の仲いや、神の配下にあるもので知らぬ間柄の者などないから、それは意味を成さないか。ただ、同じ時期に生まれたから少しだけ、他の神々よりも親しいかもしれない。
「お前にそれは出来まい」
「同じ言葉、そっくり返そう」
 あたしの右手は奴の左手。あたしの左足は奴の右足。あたしは女で、奴は男。あたしは金色の王で、奴は
「銀の王、参る!」
 切りかかる奴を、あたしは躱す。そう、あたしも奴も、互いを打ち取ることなど出来はしないのだ。
 一対の存在と定められたが故に。
 一瞬の後に、周囲を取り巻く霧が消える。それはデス・フォッグの意志で、彼女に何かあったわけではない。
「これを知らせたかったのでしょうか」
「恐らくは。見事な奇襲ですね」
 落ち着いた声でカオティック・ブルーとレッド・アイが呟くけれど…あたしは知っているから、苦笑を漏らした。
「何が、おかしい」
「レッド・アイはね」
 至近距離から矢をつがえ、その肩を射貫く。
「あたしより好戦的なんだ」
 あたしの動きは速いわけではないけれど、銀の王はそれを除けなかった。
「それに」
 血が流れもしない肩から矢が引き抜かれ、打ち捨てられる。あたしは次の矢をつがえた。
「千の姿を持つのさ」
 ヒュッと鋭い音がする。キン、と響いた先にはステラが武器を構えていた。
「ステラ、無理をしないで」
 戦い方など知らぬのだからとカオティック・ブルーがその傍らに立つ。すらりと構えられた武器はその身に似合わぬ長剣(バスタード)だ。
「兵を引かせろ。さもなくば、血に染まるよ」
 それは、殺戮の合図だった。
 
 銀の王が兵を引かせることも、彼が引くこともありえない。
 解っていて、あたしは告げた。そう、赤い瞳の封印(ためらい)を消すために。
 広く続く平原が、血の色に染められた。千の意志となって駆け抜けた赤い瞳を止められる兵などいるはずもない。
 ステラが奮う鎌は、星を散らして兵を消す。それを助けるのはカオティックブルーの琴の音だ。
 デス・フォッグは猛る赤い瞳を守るかのように再びその身を霧と化した。
 あたしと銀の王は空を舞い、互いの獲物で相手を傷つける。
「無駄なことを、いつまでするつもりだ」
 つがえる弓は尽きることなく、振られる剣が折れることなく。
「さあね」
 翼は羽ばたき、光を散らす。互いの武器は、相手の生気を奪うけれど血を流させることはない。痛みはなく、ただ鈍い疲労となって蓄積していく。
「あたしは子どもたちを守るだけさ」
 心臓を…生気の源を狙い定め、矢を放つ。その瞬間に、あたしは均衡(バランス)を崩していた。
「お母様っ!」
 ステラの声が響く。翼を斬られたのだと気づいたとき、あたしは目の前の銀の王を凝視した。一瞬でその姿がぼやけ、声が背後から響く。
みな、動くな。残った一方の翼も斬られたくなければ」
 あたしの腕を掴む銀の王いつのまに、入れ替わったのか。
 生気が抜けていく。翼を斬られた、ただそれだけで。
「創造主の手にしている剣で斬られた気分は如何かな」
 答えることもしたくないほど、疲労が全身を包み出す。
「その背の翼をもとに再び金色の王を作るそれが創造主の決定だ」
 けれど、と耳元に囁くような声が聴こえる。それはきっと、ステラたちにも届くのに。
「全てを捨て、この星ごと葬るのであれば罪には問わぬと」
 罪
「お前も初めは、葬り去るために生んだのだろう?」
「さぁて…どうだったかな…」
 
 何が罪だと云うのか。
 生み出したときに、あたしは何を思っていたのだろう。
 消すために、…そのために生んだのだろうか。
 くすくすと、あたしは微笑った。どうやら創造主は、とても忘れっぽいらしい。そしてこの旧友は…それを知らぬのだ。
「手をお放し…混沌に飲み込まれるよ…?」
 抜け出す生気は消え去らずに周囲に止まっている。その意味を彼は知らず、またその理由に気づいてすらもいない。
血の流れより赤き者(シャブラニグドゥ)
 あたしの声に、赤い瞳がひざまづき。
夜よりもなお暗き者(ダーク・スター)
 ステラはゆっくりと歩き、鎌を掲げ。
深き海の蒼穹の王(カオティック・ブルー)
 カオティックブルーは瞬時に移動して。
死を包む者(デス・フォッグ)
 デス・フォッグは人の姿を取る。
 彼ら四人があたしを囲み、漏れる生気を包み込んでいる。
 銀の王よ。あたしはお前を嫌いじゃない。でももう、お前を助けることは出来ない。
『混沌解放』
 あたしたちの声が重なる。そう、あたしを混沌へと戻すために。
 
 大いなる爆発(ビッグ・バン)
 
 創造主にしか起こせないそれを、あたしは起こした。
 
 あたしのこどもたちと共に。
「…こんなの…嫌です…」
 うん…あたしだって、不本意だよ。泣いているお前を、撫でることすらも出来ないのだから。
「覚悟はしていましたが…ね」
 ああ、お前は最初に生み出したし、誰よりも聡かった。辛い思いをさせただろうな。
「永遠に来ないと…夢を見ていました」
 竪琴の音が響く。優しすぎる娘の声とともに。
「でも今は…自由、です」
 自由、だ。
 そう、ここに創造主の手は及ばない。だって、ここは…。
「お母様…ずっと…一緒に?」
 ああ、そうだみな、共に…永遠に。
 
 姿を無くし、形を無くし…ただ、名と意識だけの存在ではあるけれど、あたしはここにいる。
 そう金色の混沌の王(たゆたうもの)の名のままに
 END