堂本剛と「Fashion & Music Book」

#317
堂本剛とFashion&Music Book

bayfmをお聴きのみなさまこんばんは、堂本剛です。
堂本剛とFashion&Music Book 始まりました。


えー夏休みも終わって、学校始まんなぁ嫌やなぁみたいなそういう学生さんも多い時期。
やっぱりねぇ休み長いと働くとか学校行くとか、そんな気起こらへんよね当たり前やけどね。
それで政治が成り立って、世の中誰も文句言わへん。じゃ誰もがそうしちゃうよね。
まあこの日本の人たちが働き過ぎとよく言われるけれども。
もうちょっと緩くても、前からラジオでも言ってるけどもうちょっと緩くてもいいのになと思いますけどね、うん。


まああの今日がね焼肉の日っていうことらしいんですよ、829で。
だからまあちょっとほんと、鬱憤晴らすっていうか。
焼肉食べると何か知らんけど元気出るっていうか、やっぱそれはあるんじゃないかなと思うんですよ。

リハとかやってもうすごいクタクタで、8時間9時間やってますからね。
まぁこれは愚痴やと思って聞いて。

あのー朝やって、じゃちょっと30分休憩しますってなった時に、ご飯食べれるチャンスがやって来るねんけど、お昼ご飯とか。
そこで「ちょっといいですかね」ってスタッフさんがすごい喋りかけて来る訳。
「ここの前言ってた件なんですけど」ってそれ答えてると30分なんてあっという間に終わるんですよね。
それでまた歌やるんですよ。
ってやってたら終わらない限りご飯食べれないんですね。
だからずっと歌ってるかなぁ。

くったくたなんですけど、ちょっと焼肉行こかみたいな話になって、あー行く行くって焼肉行って。

もうねぇ30過ぎの人がねぇ、子どもがさ、眠たいんねんけどご飯食べたいねんけど眠たいってあるやん、よくおもしろビデオで。
あの状態なんですよね。

「剛くん、剛くん!」「ん?」「大丈夫?」「うん大丈夫」ってご飯食べてたりとかするっていうね。
そういうのメンバーの人何人か見てるんですけども。
「もうほら食べ、早く食べ」「これ食べたら精つくから早く食べ」「はい、いただきます」って言って。
「噛んで、ちゃんと噛んで」みたいな、そういうのよくあるんですけど。

それ食べた後に元気出るから、焼肉食べて元気出て、夜遅くに元気出て家帰ってどうしようかなってなるんですよ、結局のところ。
寝たいのになんかお肉食べてすごいパワーが漲っちゃったから、えーどうしたらいいの?って。

それでいい時はゲームくらいで終わるんですけど、悪い時はそのまま結局ねギター持ってね、なんか曲書けんちゃうかなってやって、何してんねやろなって思いますよね。
音楽やって疲れてパワー漲って、疲れたのにまた音楽やって疲れて寝るみたいな、何してんねやろって思う時ありますけど。

でも焼肉って未知なるエネルギーっていうかね、そういうものくれますから、みなさんもぜひ今日はみんなで行ったろけ〜いうて焼肉とかね食べはったらいいと思います。


ゆんさんがね
「地元離れて東京で一人暮らしを始めて10年が経ちました」と。

僕はもう20年以上経ったって感じなんですけど。

「先日実家から東京行きの新幹線に乗った」と。
「お母さんにメールを送ろうと思って『東京に帰るね。また名古屋へ帰ってきます』とメールを打っていました。
東京にも帰る、地元の名古屋にも帰る。私の帰る場所はどっちなんだろうってふと思いました。
剛くんにとって帰ると思う場所は東京ですか?奈良ですか?」ってことなんですけども。

まあ以前タイムマシーン彼方っていう曲書いて、でまあその自分が育った町と自分を育ててくれた町の違いがあるなあと話をしながらもその曲の解説をしたことありますけども。

あのー結局やっぱりこっちに本当の自分じゃない…っていうとちょっと語弊もありますけど。
結局はみんなが期待してくれる自分を何か自分の許せる範囲が、それこそキャパ越えしない範囲でやっていくっていうか応えていくみたいな。
そういう自分を作った場所ですよね。

奈良に関してはもうほんとに自分という…硬い言い方すれば魂とかね、自分という堂本剛という人間を作った育てた場所なんで、なんかやっぱりずっと軸にあるのは奈良で育った自分というのがあっで。
そこからいろんな人に出会ってまた新たな自分を描いていったり作っていったりするっていう感じだろうなって。そういう違いがやっぱりあって。
でも今の自分があるっていうのはやっぱりあの…どっちも必要だったし必要なんだっていうのはあるんですけど。

まぁ20年住んでてもこっちには馴染めてはないですよね。
あのすごい不思議なんですけど、幽体離脱じゃないけど、抜けていった自分が奈良にはいたまんまっていうかな。
身体はこっちにいるねんけど魂がこっちにいない…ってふと寂しくなる時がよくあります。

だから奈良に戻る時とか西に戻れば戻るほど身体が魂の方に近づいて行くからすごいなんか熱くなってくるっていうか。
で魂と身体が一体化になった時っていうのが本当の自分に戻れてて、本当の自分に戻れたらパワーが漲るということではなくて、ものすごく力が抜けていて自然体っていうか。

あぁこんなふうにして毎日を生きたいよなって思いながら、いつもまた寂しい感じで僕は東京に帰るっていう。

でもなんか帰るっていうか戻るって感じなのかなって思いますけど。
東京に取りあえず戻って、奈良に帰って、また東京に戻ってみたいな。

戻るっていうのはなんか理由があるからっていう。
僕は何か忘れ物を取りに戻るっていう理由が1個あって戻るっていうことがあると思うねんけど、
帰るっていうのは不本意とかそういうことじゃなくって自分の意思で帰るっていう感じ。
なんかそういう違いはあるのかなって気はしますけれども。


まあ彼方かけようかなって思ったりしたんですが、えー夏っていうのもありますし、
ちょっとレゲエ調の『イラミイナカハ』儚い未来を逆から読んでイラミイナカハって曲書いたんですけど、
これもあの戻ることが未来なんじゃないのかなっていうのがテーマを掲げながら作りましたんでね、こちらちょっと聴いていただきたいと思います。

それじゃあ堂本剛で『イラミイナカハ』どうぞ。


♪『イラミイナカハ』


堂本剛とFashion&Music Book
ここでメールをご紹介します。


まずね、ぷっちさんからね。

「ライブ行きました、渋谷公会堂のね。ただただすごく楽しかったなぁという思いでいっぱいです」と。
「剛さん含めバンドのメンバーさんが豪華で演奏の音が厚く、それに負けない剛さんの声量がすごく、贅沢な時間を過ごさせていただきました。
歌詞がおもしろかったりちょっとHかったりして 曲がかっこよくて、FUNKって自由だなあと感じた」と。
「理由のわからない涙が溢れてしまっていた日常でしたが、くよくよした気持ちをパンと跳ね飛ばしてもらった気がします」と。

まああのこのメールを読んだのはね、FUNKっていいなあ自由だなあと感じましたと、ここを感じてもらったのがすごく嬉しかったなと。

ちょっと僕もね、世の中の動きがさ、すごく変なんですけれども、平和であればあるほど平和というものをダイレクトに歌いやすい…というのもなんですけど。
で、ちょっと平和じゃなくなってきたかもって思うと全く関係の無いことを歌ってみたりとか。

でもそれは僕の中では例えば仲間とか、愛する人とか。
えーっと例えば男女の営みの曲とか書きましたけど、命が誕生する以前の話とか、それをエロティックにドラマティックにロマンティックにファンキーに書いたりとかしましたけど
なんかそういう論点に変わっていったんですけどね。
TU FUNK『TU』ってアルバムを書いたときはそんな感じが僕の中にあって、でもすごく自由に書いたんで、まぁこの平和とか平和ではないとかいう中で曲を書くってすごくね考えてしまうところなんですけども。

でも僕がこれだけの人たちに囲まれながらこれだけ一度きりの人生を楽しく生きているんだっていうのを何か感じてもらうことが、
平和を意識することだったり、平和に繋がっていけばいいなということで、歌はダイレクトにそこは歌わないという多分状況が今の僕にはあるのかなという感じがするんですけどね。

でもこの自由を感じてもらえたっていうのがすごく嬉しいですね。


そしてですね、みちるさんも渋公の初日に来ていただいて

「約1年ぶりに生で聴く剛さんたちのFUNK、とっても楽しかったです。
アルバム何十回も聴きこんでライブに参加しましたが、ライブでは一味もふた味も違ってて、生でこんな上質な音楽が聴けるなんて幸せすぎると、何度も何度も思いました。
素晴らしい時間を本当にありがとうございました。
クリスタルの音の違いもおもしろかったです。
最初アンプから外した場合と乗せた場合での音の違いを聞かせてくれるのかと思ったんですが、ちょっと向きを変えるだけだったのでびっくりしました。
細かく音の調整するんだなと驚いてしまって、最初の音の違いは分かりませんでしたが、雷に打たれたクリスタルの方の違いは分かりました。
機材として本当にクリスタルが使えるんですね。ちょっと半信半疑だったんですが(すみません)、実感できてとても嬉しかったです。」
と書いてくれてます。

まああのアンプに水晶ね、クリスタルを機材としてかましながら、ほんとにここに書いてくれてましたけどもほんとに微妙な作業ですから、いつも。

もうちょっと音が太くなりたいとか、もうちょっと音がきれいに細くなればいいのにな、もうちょっと上の部分が出てくればいいのにな
もうちょっと下のローが出てくればいいのにな、もうちょっと真ん中のミドル、このミドルのもうちょっと上、ミドルハイが出てくればいいのにな、みたいな感じで音作りをみんながやっているって状況で
なんで本当にね微調に微調を重ねてやっている。

でもすらっと読みましたけど、一番の驚きは石をほんのちょっと変えただけで機材の目盛いじっているのと一緒なくらい変わるってところがおもしろくてですね。
何億年前のもので今のものをいじれるわけですから、うーん時空間からすればおもしろい話なんですけどね。

まあこういうの、ほんとに波形とか見ると音も変わってるって立証されますけども。
そういうことをちょっとね、みなさんの前でチラッとやったんですけれども
お客さんにもね伝わるっていうか分かる人には分かるけど鈍感な人には分からないかもしれない。
でもあの確実に変わってるんだよって話なんですけれどもね。

まあでもそれは分かる分からないがいい悪いの話ではなくて、分かってもらえる人が一人でもいたらおもしろい実験でしたよってことでね。


えー、みやびさんがですね、お母さんとライブ来ていただいて

「母は剛くんのライブはファーストライブ以来13年ぶりです。40年舞台に立ち続けてるお母さんが剛くんのライブを楽しんでもらえるか正直不安でしたが
終わって一言、『これだけのメンバーさんを集められてライブができる剛くんは本当に幸せ者ねと言っていました。
他にも照明構成いたるところに剛くんの愛を感じてとても楽しかったです』と喜んでもらえました」と。
「私も母に喜んでもらえて本当に嬉しかったです」と。


まああのこのメールを選んだ理由も、年を重ねるとピントが広いっていうか。
若い頃ってね真ん中に立っている人だけを見がちだったりだとか、中心に目が行っちゃうんですけどね。
なんかこうこの中心にあるものはどんなふうにして成り立っているんだろう、何を背景にしているんだろうみたいなことを年を重ねるたびにそういう所にピントが合っていくじゃないですか、人間っていうのは。
だからあの、お母さまとかお父さまとか、おじいちゃまおばあちゃまみたいな年を重ねた方々に見てもらうのもすごく意味が僕にはあって、
で、その逆もあってお子さん、10歳にも満たない子が何も考えずに音だけを、身体に当たるなんか音符みたいなものだけ、振動にみたいなものだけを感じてただただ楽しくキャッキャッ言ってる。
そういうのもすごく僕にとっては財産っていうか宝物っていうか、そういうシーンはそういうシーンとエピソードはすごく財産でね。
これからもみなさんいろいろとお客さんっていうかお仲間連れてね、ご家族連れて来ていただけたらなあというふうに思うんですが。


もひとつですね、ちさとさん。

「渋公のライブ行きました」と。
僕のソロライブ見るのが初めてだったんですって、堂本剛のライブを。
「本当に素晴らしかったです。今年の夏はフェス含めて様々なライブを見る機会があったんですが、その中でも剛くんのライブは肉体性のとても強いものという印象を受けました。
音が体内に入り込んできて内側から掴まれて動かされる感覚に陶酔しながら聴いていましたよ。
アルバムも素晴らしいですがアルバムだけでは剛くんの進化は計れないなと感じました。
剛くんはライブという場所をどう捉えているのか、アルバムの延長なのかすっかり別物なのか、そのあたりの意識をお聞きできたら嬉しいです」と。


まあ音を伝えるって意味でも全く別の世界ですね。
マイクも違うし、録り方がまず違ってくるしね。音のその正解っていうのかな、業界の中でこれが正解であろうっていうのは大体範囲が決まってて、
まあその範囲の中でアルバムっていうのはある程度作られていくのかなっていう。
でもユーザーにも向けて作るって感じかな。

で、ライブはほんとにその範囲が広い。
ライブって生きてるって意味もあるし、いまこの瞬間っていうのがより強いかな。
レコーディングでもそれは強くやっている方ですけど。

でもこの体内に入り込んで揺さぶられている感じがするってここまで伝えられているんだったらいいことだなと、そういう思いでやってるし。
僕はよくねオーディエンスの人たちをパッと見たときに、見えないけれどもこの人たちがここに辿り着くまでにいろんな人たちの歴史があったんだよなってことをすごく思いながらオーディエンスの人見てるかな。

僕自身もそうやけど、僕のご先祖さま全部知らんから、どんな人がいたか。
僕の一番最初の始まりが分かれへんまま僕は生きているっていう…ちょっと失礼にも近いような感覚。
でも分からないけど分かろうとする努力というか愛情というか、そういう念というか想いを持って生きているんで、
いろんな人たちをばぁっと見た時に、この人たちがここに辿り着くまでにほんとにいろんな時間があったんだなっていう。
そこをすごく感じてライブやってるっていうのが一番大きいかな。

で、CDとかレコーディングする時もマイクに向かって声は投げてるけど、マイクの向こうにどれだけの人がいるのかなって想像しながら歌ってるかな、うん、あくまでも想像。
でもライブは目の前に人がいるってことがちょっと一つ違う、レコーディングとは。
でも会場の壁を飛び越えたり天井を飛び越えていくと、チケット外れて来れなかった人たちもいるみたいなこととかも含めて歌ってるから、ライブは。
その人に届かなくてもね、その人が気付いてなくてもね、なんか届いたような気がした、みたいなところに辿り着けたらいいなみたいな感じでやってますけど。
あとはもう僕の仲間と音楽鳴らせる幸せ、楽しい、あーほんとに生きてて良かったっていうその幸せなものを放出してるイメージがありますけども。


えー最後に、ちろさんですが、

「8月13日の渋谷に参加しました。演奏が身体中に染み渡る感じと、剛さんのそれに負けない生の迫力ある歌声。本当にとても素晴らしいステージでした。
そしてどれも大好きな曲ばかりでした。特に感動したのが『Heart Disc』です。
私の主人は7年前に亡くなりましたが、剛さんの歌う“小さくなった君を包むと奇跡を信じていたいね”ではあの当時を思い出し、
“君を愛する胸は灰になっても消えたりはしない”の歌詩は主人からの言葉のように聞こえて涙が溢れました。
またこの日はケンちゃんのお話もしてくれたし、この曲で剛さんはネックレスのクリスタルを握り締めてケンちゃんを思いながら歌っていたように感じましたがどうだったでしょうか?」

まああの愛犬のケンシロウが亡くなって、病院にずっと通っている時に書いていたところもありましたので、歌詩を。
でまあ“君を愛する胸は灰になっても消えたりはしない”って歌詩は後でなんかこう付け足していったところもあるんですよね。

なんかこの歌歌うたびに彼を思い出せるように、まぁずっと思い出していますけども。
彼に届くようにっていうのかな、その歌を歌えば彼と本当に繋がれるっていう、なんかそんなものを残したいと思ってこの歌詩を作ったりはしてましたからね。

でケンシロウが生前着けていたクリスタルを、今日も着けていますけども、クリスタルのネックレスを首から下げて握り締めながら歌いました。

やっぱりね亡くなった魂に対してね、もちろんとても悲しいし、昨日なんかも夜もふっと思い出したりして、そんな毎日なんですけど、そこでなんか思ってたりよりはそれに縛られることもなく…うん。
自分もなんかそういうものを受け止めることに対して成長しているのかなというか、いろいろ考えるところはありました。

でもほんとね、毎日思い出しますよそれは。やっぱり大切な人、大切な命というのは自分のそばから消えてしまった時っていうのはそりゃ誰だって悲しいよねっていう。
まあいろいろなところで思い出されたりもされると思いますけどね、必ずねそばにいてくれてると僕は思いますしね、毎日のように思い出してあげて欲しいなと思いますよ。
逆やったらちょっと寂しいやん。「あー意外と俺のこと忘れてても大丈夫なんやこいつ」みたいな。「まあいいっかそれはそれで」って思えるんかも知れへんねんけど、
でも「あーまた思い出してくれて嬉しいな」って。
でもその思い出す時にくよくよしたり泣いるだけやと相手に辛い気持ちを与えちゃうから、会いたいよって思ってもなんか…会いたいから追いかけていくとかそういうことじゃなくてさ、
会いたいって思いながら今の一生を一生懸命あなたの分まで生きていきますね。今自分が見てる景色をあなたにちゃんと届いているよねって思いながらいろんな人と対話したり、いろんな景色といろんな場面と対話していくのが大切なことなんじゃないかなと思いながら、
僕はいろいろなお別れと共にいつも生きてる次第なんですけどね。


えーまだまだみなさんから様々なメールお待ちしております。


(あて先紹介)


えーっとですね、また小喜利の私、大喜利イベントですけれども、「第24回堂本剛独演会 小喜利の私」こちらまた京都の祇園の歌舞練場さんでさせていただく。
そして浅草の公会堂さんでもさせていただくこととなりましたので、こちら詳しい日程などはですねネットなどで、いろいろそういうところで調べていただければなあと思っております。


それでは今夜はですね『Heart Disc』を聴きながらお別れしたいと思います。

堂本剛とFashion&Music Book、お相手は堂本剛でした。
それではみなさん、またお会いしましょう。
おやすみなさい。


♪『Heart Disc』

記入者:あやめ 2015年08月29日(土) No.325 (ラジオ)

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