++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
レポをしてくださる方の負担を軽減するためにレポのお手伝いをしてくださる方募集中です。mailtoこさかママ
レポの無断複写・無断転載を禁止します。

#605

bayFMをお聞きの皆さん、こんばんは。堂本剛です。堂本剛と Fashion& Music Book 始まりました。
先日、3月11日、がですね、東日本大震災から10年という月日が経ちました。2011年の、平成23年ですね、3月の11日に東日本大震災がありました。それからもう10年が経ちました。
あの日からほんとに、変わったものがたくさんありますし、あの時、10年後の日本で世界がこのような状況になるということは予想もできなかったなという風にも感じます。あの頃は、そうですね、自分は、日本の古き良き人の心の文化であったり、あるいはその人の心以外の文化であったり、あるいはその、昔のいにしえのテクノロジー、そういうようなものに非常に気持ちが高ぶっていた時でしたので、「縁を結いて」いう楽曲を制作し、リリースするという運びで動いていた、そんな時期でした。なので、自分とってはすごく、心の奥深くで衝撃的だった時ですし、自分が今できることとはなんなんだろうっていうことをものすごく考えました。
音楽でもそうですし、そしてお笑いイベントでもそうですが、東北地方に足を運ばさせて頂いて、皆さん少しでも勇気づけたり元気付けたりできたらいいなっていうふうに思いながら、自分が出来る限りのことをやらさせていただきました。それから月日がずっとたっていく中で、このコロナ時代に入るまでもそうですけれども、皆さんの生活というものが今どんな風になっているんだろうなとか、どんなお気持ちで過ごされているのかなとか、空を見上げながら、思いをつなげた夜も朝も昼もたくさんありました。こういう立場の中で、関わることが、相手にとってご迷惑に当たる場合もあるから、思いが強ければ強いほど色々と考え、踏みとどまってしまうものでもあるなという感じで過ごしてきました。で、やはりその、東北だけではなくてね、災害でふるさとの傷とともに、今も必死に愛を持って生きてらっしゃる方がたくさんこの日本にいますから、だから、自分の故郷ではないからとかそういう次元ではやっぱなくて、皆さんそうだと思いますけど、やっぱりこう、そこに対して自分ができること、で僕はやっぱり、音楽を作るっていうことが一番できることなので、その方々がそういう経験をされてる方々に届かなかったとしても、その方々にも向けて、曲は書いていますから、その思いの中で生きてらっしゃる方々は、たまたま僕の音楽を聴いてくださった時に、深くつながれるようにと思って音楽はずっと作ってます。
言葉ってすごく難しいから、自分が経験していないことを、経験されている方々に対してお伝えするってすごく難しいですよね、人は。でも本当に、そういう気持ちを自分が持っているということを、聞いてくださってる方には、お伝えできたらなと思って、今色々お話しさせて頂きました。
本当に、ここにだけ意識を持っていくとかじゃなくて、全体に意識を持って、その歴史や時間というものを包み込んでいく、そういう自分であれたらなと思いますし、また、本当にいろんな方々からお便りいただいて、このラジオは続いていますので、この10年経って、今思うこと、こんなふうに思うなーとか、皆さんのお気持ちを綴っていただけたら、このラジオを聴いてくださっている日本の方々に、海外の方々に、いろんな気持ちをお伝えすることもできると思いますので、皆さんもお伝えしていただける範囲で構いませんので、またお気持ち綴っていただき、ラジオまで送って頂けたらなというふうに思っております。皆さん、このコロナ時代という状況の中で、すべてが同じ気持ちではないですけれども同じ時代を生きています。ね、みんな一緒に乗り越えていきましょう。そしてポジティブに明るい光に向かって、きらめきに向かって皆で一緒に歩いていけたらなーっていう風に思います。また皆さん是非お気持ちを綴っていただきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
先ほど話にも出させていただきました、10年前は本当に自分の故郷を通して日本のことを考えたり、日本人とはということを考えて色々なことを考えて生活していました。そんな中でふとできた曲、「縁を結いて」という曲があります。これは自分の故郷の、自分の大好きな
神社さんの境内でパソコン開いて書かせていただいた曲です。そこで書く予定もなかったんですが、そういう風な運びに自然となって、舞い降りてきた感覚を受けた、そういう楽曲です。すごく不思議な体験をしましたけれども、初めて聞かれる方にとっても、何か今のこの時代だからこそ、この曲を通して感じていただく自分の声みたいなものもあるかもしれません。心を無にして聞いていただければなという風に思います。すべての方々へ愛をこめてですね、こちらの楽曲、「縁を結いて」聞いてください。

♪縁を結いて

堂本剛と Fashion & Music Book ここではですね、今日は「故郷を思い出す瞬間」ということで皆さんにお便り送っていただきました。
僕がどんな時に故郷を思い出しますかと、まあ満天の星空とか夜空ですかね。見上げた時に地元で見上げた、ふるさと思い出しますね。そしてあとは山々ですかね。盆地に囲まれたような場所を走っていたり、お仕事とかで車窓を覗きながら、なんか地元みたいやなあ、地元帰りたいなーと、地元の空気吸いたいなーと、そんなこと思ったりは、やっぱりしますね。あとは、やはり、神社さんお寺さんも多いエリアなので、そういう場所に行くと、思い出しますかね。いずれにしましても僕の中ではすごく、ふるさとが大きい存在ですので、皆さんもそうだと思うんですけどね、自分はそうじゃないなーって人ももちろんいらっしゃると思いますけれども、僕も年を重ねて重ねて、いけばいくほど、そうゆう強烈な気持ちにたどり着いたというのが正直なところでありますけれどもね。でもやはり故郷があったから今の自分があるというその感謝っていうものは、1日たりとも忘れることはなく生きているというのは僕にとってその故郷ですね。

そしてラジオネーム・みーさんからですけれども、
「土曜の夜に子供たちを寝かしつけた後の楽しみと癒しの時間として聞いています」
ということで、ありがとうございます。
「私は大阪出身で神奈川に在住しております。就職で関東に単身引越して、そのままこちらで結婚しました。若い頃は故郷に対して思うことより、今の生活に慣れることが精一杯で、あんまり思い出す瞬間はありませんでした。結婚する直前、実家でご飯を食べながら、母が『あと何回一緒にご飯食べることができるんだろうね』と言った時に、離れている寂しさ、これからも気軽にすぐに行ける距離ではない場所に住むこわさ、嫁ぎ先が遠方である申し訳なさなどが襲ってきたのか、ご飯を食べながら号泣した思い出があります。母は別に私を悲しませようとか思っていたのではなく何気なく思いを口にしたようで、号泣する私を見ながら『何泣いてんねん』と笑いながら抱きしめてくれました。その時の母の温もりは今でも覚えています。この寒い時期、晩御飯のメニューがハンバーグのとき、故郷を思い出す瞬間でもあります。子供たちがおり、我が家はハンバーグの頻度が高いので、思い出さない日もありますが、あの日のメニューだったハンバーグと寒い冬が重なる瞬間、故郷を思い出します」と。
お母さんもね、嬉しい気持ちと寂しい気持ちなんやろなーって、このお便りの中にはそういった心情がやっぱり染み込んでいますね。自分がこういう立場だったら、泣いている子供見て、笑って抱きしめることは無理やなーって思ったりね。
やっぱり僕もね、「あんたとの桜、何回見れるのかな」って言われた時に、もう、苦しかったですもんね。「ああ、なんかそんな気持ちでいるんや」って、すっごい苦しかったの覚えてるもんね。なんか、ね、やっぱ、こう…。切ないよね、そういうのってね。でもそういう感情を、若いうちに理解するっていうことはとても大切なことでもあるのかなあとか思うし、もちろん、いつそういう感情を経験するってのは人それぞれだと思うけれども、早く、その人の立場になって、自分が、その人の立場に立ってようやく気づくのではなくて、その人の立場に立つ前に、早い段階で、その気持ちに気づいてあげることができたら、その人を少しでも理解してあげる時間が増えるということだし、やさしい気持ちでお互い過ごせるのになと思ったりするから、もう一生懸命必死に若い頃から、お母さんとお父さんの気持ちとか、お姉ちゃんの気持ちとか、こんな風なのかなあんな風なのかなってことを一生懸命考えて生きてきてるけど、でも自分がやっぱり 本人じゃないから、すべてが同じ気持ちじゃないなあって、一瞬諦めてしまいそうになるけど、諦めるよりはその気持ちに立とうと思って、生き続けることのほうがいいなと思って、今もずっとそういう風にして生きてきてますけれどもね。こういう家族がくれた言葉っていうものは本当に、いつまでも大切なものだなと思います。皆さんも色々あると思いますけれども、そういうお言葉はね、本当に大切にして生きてくださいね。

そして16歳の青リンゴさんですが、
「私は16年間の間、小1の時の半年間を除いてずっと千葉に住んでいます。本来千葉ことを書かなければいけないのでしょうが、小1の時に半年だけ住んでいた大阪について書きたいなと思います。私が大阪を思い出すのは、ソフトクリームとわらび餅を食べる時です。大阪で住んでいたマンションの前には毎日『ソフトクリーム』『わらび餅』とアナウンスをしながら通り過ぎる販売車が来ていました。住んでいた半年間の間では母に止められていて、ソフトクリームもわらび餅も食べられなかったのが大阪での心残りのひとつです。千葉に戻って以来大阪へは行けていないので、今度行った時にはソフトクリームかわらび餅を食べたいです。」
ああ、なんか良い思い出ですね。その当時は「食べたらあかんよ」とか、なんか色々理由があったんでしょうね。止められてて。でもすごく、あの、なんていうのかな、感性が素敵だなと思ったけど、本当に、千葉の方がずっと住んでるから、千葉こと書かなきゃいけないと思うんだけれども、その半年間の間だけ経験した大阪の話を書きますって、なんか詩的というか詩人っていうか、クリエイターって言うか、なんかすごいなと思って。すごくほっこりして、いいお便りだったなーって思います。今はこういう状況だからなかなか遠方に行くっていうことはできないかもしれないけど、ぜひ大阪へ行った時にはね、ソフトクリームかわらび餅食べてください。それかもう、ソフトクリームとわらび餅を買ってソフトクリームの上にわらび餅を乗せて「ソフトクリームわらび餅」を作って食べてほしいなという風にも思っております。ていうか僕が今食べたいなと思っています。

中国のウェイウェイさんです。30歳の方ですが、最近冬に夜空を見上げ満天の星を見てふっと故郷を思い出しました。私にとっての故郷はおばあちゃんと一緒に星空を見た時の故郷です。私は子供の時おばあちゃんと一緒に田舎で過ごしてきたので、その時の星空を思い出しました。一番光っている星があるので、その星がおばあちゃんかなと勝手に思っています。30年経った今頃になっても一度子供の時に戻りたいなという風に思いました。
やっぱり「空」って、あの、その国特有の空っていうものはもちろんあるんですよね、気温とかによってね、もちろんあると思うんですけれども、「空」って同じといえば同じじゃないですか。で、星座は特に、この国でも見れるしあの国でも見えるし、というもので、星座っていうのはなんかそういう、どことも繋がってるっていう印象を与えてくれるもので、だから海外で、なんかこう星空見た時とかも、奈良思い出してたもんな。奈良でこの星見たなーとか、この星座見たなーとか、今思い出すだけでまたちょっとキュンキュンしてしゃーないんですけど。なんかそうやなあ、星空って、すごいロマンあるよね。自分は宇宙に行ったことないけど、これから本当に宇宙に行く時代、簡単に宇宙に行く時代みたいなものも出来てくるのかな? わからないけど、ね、そんな未来が、あっという間に来そうな気もするし、すごく不思議な感覚で今を生きておりますけれども。でも皆さんのこういう、あの人間らしい、人らしいお便りを読ませていただくと、まあちょっと安心てかほっこりするね。こういう、大変な今だからこそ、こういう昔話に、また戻ることで、ネガティブになるんじゃなくって、またそこに戻ることでポジティブな気持ちっていうものも、なんか置いてきてるのもあったりする気がするな。それをまた取りに行ったりしながら、未来につなげていくっていうことも、やっぱあるよなって。戻ることで未来を見ることってやっぱりすごくできるんだなっていうふうにも、なんか思いました。

皆さんに今日ですね、さまざまなメール頂きましたんで、またたくさんの気づきいただきました。ありがとうございました。そして東日本大震災から10年経った今、そしてこのコロナ時代に入っている今、東日本の方で生活されている方々の中で自分はこんな風な気持ちで今過ごしているとか、あるいはこんな気持ちを日本のあるいは世界の皆さんに知ってもらいたいとか、そういうお気持ちがありましたらぜひ、綴って送っていただけたらいいなという風にも思っております。やっぱりこう、その場にいないことで気づけない痛み悲しみもあると思います。この気持ちをみなさんと共有できたらなぁ、こんな風な思いが伝わればいいなということがありましたら是非、送っていただければなという風に思います。もちろんさまざまお便り募集しておりますので、本当にご自身の想い、何でも構いませんので綴っていただければなという風に思っております。

メールの方は tsuyoshi@bayfm.co.jp です。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

最後にマイコロさんから頂きましたおたより読まさせてください。
「剛君こんばんは。いつも医療者に目と耳を傾けてくださってありがとうございます。剛くんが寄り添ってくれていること、いつも心の支えにして毎日頑張れています。仕事帰りにはいつも空を見上げてから帰ることが習慣になりました。剛くんが今できること自分も周りもたいせつにしようと発信してくれることで、それを聞いている方々の意識が変わるし、それによって救われている命が必ずあると思います。
 私は保険所に勤務しており、今まさに医療が逼迫している影響で受診できない入院できない方とお話する機会もあります。コロナが流行しだしてから、できないことを何度も強く要求されることが、すごく心が疲れます。だけど、そんな時には「I'm you You're me」をいつも聞くことで寄り添うことの大切さこの仕事を志した頃の初心を思い返すことができています。正しい知識を身につけて今起きている現状を冷静に見つめ、コロナ禍で不安を抱えておられる方の、肩の荷を少しでも一緒に背負っていけるよう、おひとりおひとりとの関わりを丁寧に、大切にし、わたくし自身成長していきたいと思います。
 いつも本当にありがとうございます。まだ先は長いですが、少しでもどなたかのお力になれるように、日々頑張っていきたいと思います。」
お気持ち綴って頂いております。この方がまっすぐなんだなーって感じられたのが、「でき
ないことを何度も強く要求されることにすごく心が疲れます」というフレーズを綴ってらっしゃるところが、印象的でした。言葉を考えすぎることもないと思うし、やっぱりみんな、頑張ってるんですよね。そんな中でこの態度はこうでああでっていうことではもうないんです、今の時代ね。人間だから、同じこと強く何度も要求された時に、それに受け答えできないなっていう自分の悔しさとか、それに対して「いや、無理なんです」って言っても、「え、なんで」って、ずっとそりゃ聞かれ続けたら誰だって疲れますよね。僕が今言いたかったのは、このマイコロさんの、こういう時間を過ごしているんだっていうことを伝えてくれることが、また僕が今後頑張れるひとつの理由になっていますよっていうことをお伝えしたかったんです。
とにかくマイコロさんもね、お体ご自愛しながら、マイコロさんを必要としてる人たちがやっぱりたくさんいるんでね。それをプレッシャーに感じすぎずにね、自分が、このつながる一人一人のために頑張って生きていくぞって自分として生きていこうと優しく強く生きていくぞっていうふうに、それをモットーに生活して、ちょっと疲れたなと思ったら「I'm you You're me」聞いてもらってもいいし、しょうもないFUNK聞いてもらってもいいですしね、なんかいろいろ肩の力を抜きながら、「がんばってください」って頑張ってる人にのがすごく嫌いなので、マイコロさんらしく自分らしくその瞬間瞬間を強く優しく生きて欲しいなって、僕もそうしてますよって、そういうメッセージ送りたいと思います。とにもかくにも本当に、お体ご自愛しながら、ぜひ、こんな時間を過ごす事ってなかなかないことだし、今後あってほしくないなとも思うけれども、でもこういう状況の中でこういう思いと思いがつながったということもありますからね、このご縁も大切にしたいなと思います。何度も繰り返しになりますが、マイコロさんも本当にお体ご自愛ください。僕も自分自身も身体気をつけながら優しく強く自分らしく生きたいと思っております。
それではですね、このコロナ時代、皆さんほんとに繰り返しになりますが、いろいろなお気持ちに立ってらっしゃると思います。そして東北の東日本大震災から10年が経っております。この日本ではですね、そしていま世界では、たくさんの人々が悲しみ痛みと共に生きてらっしゃいます。そのみなさんの、すべての時間を変えられることはできないかもしれませんが、そのすべての皆さんの思いに寄り添う気持ちを真っ直ぐに、この曲お届けしたいと思っております。今夜は「I'm you You're me」を聴きながらお別れです。

堂本剛と Fashion & Music Book、お相手は堂本剛でした。
それでは皆さんまたお会いしましょう。おやすみなさい。

♪I'm you You're me

2021/03/13 by discus [630]

No. PASS
<<2021年03月>>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

* 03/13 #605

記事検索

OR AND
スペースで区切って複数指定可能
レポ投稿
PASS
++HOME++

[Admin] [TOP]
shiromuku(fs6)DIARY version 2.06