++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#423

bayfmをお聴きの皆さんこんばんは
堂本剛です。

堂本剛とFashion&MusicBook始まりました。

皆さんもえっとメール等で色々とご存知かと思いますけれども、
え、9月8日の午前2時24分なんですけれども、
ま、ケンシロウのことが大好きだったタイソンなんですけれどもね、
タイソンが天国へと昇りまして、
ま、ケンシロウが亡くなってから、え、すぐに旅立ってしまったりするかって
ちょっと思ってたんですよね。

っていうのは、とにかくお兄ちゃん子だったんで、
お兄ちゃんがいないと潰れてしまいそうな、
壊れてしまいそうなみたいな感覚、そういう印象を受けるくらい
お兄ちゃん子だったんで。
お兄ちゃんが、あのー、いなくなってから、え〜
ご遺体と対面して、それをなんかこう頑張って理解し、で、
火葬する前も、ま、一緒にタイソンも連れて行ってたので、
え、またそこで理解をし、そして、えー、ま、
姿形はなくなってしまったけれども、
灰になったケンシロウを理解し。

で、それから、もともとが甘えたさんだったんですけれども、
それからは凄くびっくりするくらい賢い子に。
もともと賢かったんですけど、凄く無邪気だった子なんですが、
凄くしっかり急にし始めまして、
それがまた何とも言えない、なんって言うんですかね、なんかこう
頼もしい感じもあったけど、なんか、ちょっと、こう、可哀相っていうか、
なんかそういう感じもあったりとかして。

それで、ま、もともと心臓が弱かったりとか、え〜、手術も大きい手術2回。
ケンシロウよりは少なかったですけれども手術をしたりとかしながら。

で、亡くなる5日前くらいですかね、
ちょっと呼吸に様子がおかしくなって、で、病院に連れて行き。
で、そしたら内臓のトラブルとかではないという、ま、診断が出て、
骨が少しこすれていて、神経痛みたいなっていて、
物凄く痛いかもしれないっていう。
だから鳴いてたのか〜、というようなことがあって、
まぁ、点滴したりとか、まぁ、
病院でね、内臓トラブルであれば病院かなと思ったんですけど、ま、
骨、神経ということだったので。
18年7ヶ月、9月11日まで、ケンシロウも4月11日でしたけれども、
その11日まで生きていたとしたら、8ヶ月になりますけど、ま、7ヶ月。
まぁ、その様子が急に変わった、
ご飯凄く食べてたんですよね、普通にね、お薬も飲んでたし、
だからまさかという感じではあったんですけれども。
急に身体を壊し、まぁ、無理やりという言葉は適切ではないですが、
先生とご相談して、え〜、退院させたんですよね。

で、退院させて、でも、まぁ、力が入らないようでなかなか立てなくて、
立ちたいけど立てないみたいな感じがあったんで、
この子はまだ生きようとしてるし、生きたいんだろうなっていう感覚を受け、
ただ9日、あるいは11日、もし腹を括らなければいけないならば、
それぐらい急に来てしまうかもしれないっていう予感はしていた、
これはやっぱり長年ずっと一緒にいる者同士の直感っていうか。
ただ、8日っていうこの早さで、え〜、亡くなるとは
ちょっと思わなかったな〜みたいな。
感覚的にはあったんですけど、でもまあ、内臓トラブルじゃないしなとか、
ただ1時間に1回、5分から10分、呼吸が速くなるみたいなのを繰り返したりとか、ま、ご飯を食べなかったりとか、色々したんですよね。
で、凄いしんどそうで、痛みに耐えてて、
ま、老犬なんでお薬も4分の1しか飲めなくて、
完全に痛みを取ってあげれなかったんですよね。
でも飲まないよりはマシだという判断があり、
ま、飲んでもらって、注射したりとか色んなことを
彼の痛みを取ってあげようと思ってやってたんですけどね。

それで、え〜っと、最期はうちのお母さんのこと凄く好きだったんでね、
最期は病院に向かう途中のタクシーのお母さんの胸の中で天に昇り、
それが、ま、午前の2時24分でしたね。

ま、本当にあっと言う間というか、本当にあっけなかったですね。
うん。ま、穏やかに呼吸していた時間もあったんで、
これからもう一踏ん張り、する可能性すら感じていたんですよね。
もうこれはちゃんと腹を括らないという段階よりかは、っていう感じで。
うん。
でもまあ、なんていうのかな、我慢強い子に変わってしまったというかね、
ケンシロウと別れてから凄い我慢強くなっちゃったんで、
色々我慢してたのかなぁなんて思ったりして。うん。

でも、その、ケンシロウがいなくなってから独りぼっちになってね、
その孤独とか不安とかっていうのも、
目も耳も随分衰えたので、なるべく不安を取ってあげるように
してたんですけどね。

それでもやっぱりこう見えない、聞こえないっていう不安って
大きいと思うんですけれども、そういうのを取り除きながら、
最後の、まぁ、日に、それこそ夜中の12時過ぎかな、
ま、無理してね、生きる必要はないよっていう言葉を伝えたのと、
タイソンが、あの、まだ生きたいと思っているんだったら、
まだまだ当たり前やれど、ずっと傍にいるから生きていいんだよと、
出来ることは精一杯するからねってことを伝えて。
ただ、皆のことを考えて、生きなければいけないとか、
そういうことではないからねっていう話とか、
自分で考えていいんだみたいな、そういう話をちゃんと言葉にして伝えて、
みたいなのが、それぐらいの時間だったんですけれど。

ほんと、2時過ぎくらいですかね、まぁ、20分過ぎくらいに急変してしまって、
って感じでしたね。
だから、思ってたより、あの、早かったんですけど、
ただ先生にご相談して、あの、退院させたことは良かったかなと思って。
先生もそうおっしゃってましたけどね、
病院じゃなくて良かったですねっていうようなことはおっしゃって下さいまして。

まぁ、本当に何でしょうね、さっきまで動いてたのにな〜って、
ケンシロウの時も思ったけど、うん。
そして身体は冷たくなっていくしね。うん。
で、まぁ、あっと言う間に灰になるんですよね〜。うん。
何とも言えない静寂がね。うん。
だからもう、全然寝れなくて。なんか。
空が明るんで来て、街は動いてるな〜、みたいな、
でも全然寝れへんな〜、みたいな。
めっちゃ静かやな〜、みたいな。
静寂が聞こえるみたいなね。
あの、ホントに不思議な感じっていうか。うん。

でも、大好きなケンシロウとね、逢えてるでしょうし、
久しぶりにね。うん。
だから良かったかなぁとか、
ま、痛みから解放されたでしょうから、良かったかなぁなんて思ってるんですけれども。

ま、皆さんもね、なんていうのかな、こういう自分自身の、
僕のプライベートの話なんですけどね、うん。
でも一応ご報告しといた方がいいな〜ということで、
メールでもお伝えしましたけれども。
あれから今、少し時間が経っているという状況ですが、
ケンシロウのこともそうなんですけが、
随分経ったとてですよね、やっぱりね。
今後僕が、まぁ、犬を飼うことはもうないかな〜、みたいな感じすらありますね。
うん。
ま、もし僕が結婚して、もし子どもが来て、で、
もしその子どもが「パパ犬飼いたい」みたいな話になったら…
ぐらいですかね。う〜ん。

あの、これから〜そうですね、ま、色々噛みしめて、振り返って、
くよくよして、またちょっと元気になって、みたいな
繰り返していくと思うんですけれども。うん。
ま、苦しい夜はお笑いでも観ようかなみたいな。うん。
お笑い観て、笑うて、みたいな。うん。
ま、でも、誰にも起こり得ることじゃないですか、
命とは何なのかを勉強する時、学ぶ時、体感する時っていうのはね。うん。
だからこの何とも言えないまだ消化しきれてない気持ちみたいなものをね、
また作品にかえてあげられたらいいな〜とかね、
色々してあげたいなと思ったりしております。
ま、ちょっと長くなりましたけれども、
ご報告ということで、皆さんにお伝えさせて頂きました。
それでは「瞬き-涙奏」聞いて下さい。

♪瞬き-涙奏


ここでみなさんにですね、ま、あの、
おじいちゃんとかおばあちゃんのエピソード、笑える話、
色々募集しました。
まぁ、沢山来たんですけれども、
その中でも、なんていうんですかね、
シュールなやつ、読まさせて頂きます。

え〜、まず、ゆかこまんさんですね。
私の亡きおじいちゃん。
いつもズボンのチャックが前回でした、と。
年に数回会う程度でしたが、100%の確率で開いていました。
淡路島という田舎に住んでいたので
誰もそんな事気にしないような開放的な環境ではありましたが、
私は幼いながらに、目のやり場に困っていたのを覚えています、と。
で、淡路島の人(笑)おこるんちゃうかなっていう、(笑)
淡路島はチャック開けてても大丈夫、みたいにちょっと聞こえてくるんですけど。
お母さんになぜか、こっそり聞くと
チャック壊れてるんやわ〜、と言われ、そのときはふぅん、と思っていたんですが、
今思うと、どのズボンもって、どういうことやねん!って思います。
頑固一徹なおじいちゃんでしたが、今思うと、ゆるいなぁって
クスリとしてしまう一面でした、という。うん。

どのズボンもっていうのは、確かに、どないやねんですよね。
あれ、でも、壊れれるのかなぁ。っていうね。
疑問点が有りますよね〜。
トイレした後に上げ忘れてるっていうことだと思う、
100%の確率っていうてるからね。
いつもってことですからね。
Everyday everytime ってことですもんね。 うん。
まぁ、誰もそんな事気にしない開放的な環境、
淡路島、みんな、どうぞ、来てください
ね、そんなキャッチコピーないですからね。
ん〜〜。
んふふ(笑)おじいちゃんの思い出、チャックっていうのはね、
ま、よくあることですけど
100%っていうのがね、なかなかだなぁって思ったんですよね。
あの時あいてたよね〜のおじいちゃんじゃなくて、
どの時もあいてるんですからね。
これはすごいなぁっという。

え〜、そしてこうさんですけども、
うちのおばあちゃんが意識がもうろうとなって運ばれたときの事のことお、
ここどこだかわかりますか?自分の名前は言えますか?っていう
看護師さんの問いかけに、
わからないと答えていたのに、
好きな食べ物は?という質問にだけ、
じゃがりこ!とはっきりと答えました。
緊迫した(笑)雰囲気の中、
看護師さんも家族も思わず(笑)
笑ってしまいました。
確かにおばあちゃんは、じゃがりこをストックするほど(笑)
好きですが、
意識もうろうとした中でも、じゃがりこと言ってしまうなんて、
よっぽど好きなんだなぁと思いました。
それからは意識もはっきりし、退院しました。
それからは、おばあちゃんの家に行くときは
じゃがりこを思って行くようにしています。

なんともまぁ、ほほえましい。面白い話ですよね。
この状況を体感するって、相当ですよね。
うん。
看護師さんもこれ、もう、無理やったでしょうね。
わからない、っていうて、意識もうろうとして、
好きな食べ物はなんですかって聞かれて
じゃがりこって言われたら、
これは笑ってまうな。ま、大爆笑でしょうね。
それだけは、言うんかい!の話ですからねぇ。
いや〜、これ、おばあちゃんすごいですよね。うん。
チョイスがいいですよ、また、じゃがりこって。
ストックするほどやねんもんな。ってことですよね。

そして、マリーさんですけれども。
私のおじいちゃんおばあちゃんは、
毎日のように言い争いのケンカをしている、と。
ケンカしない日はないくらいですが、
どんなにギャーギャー言い合っても、
夜になると必ず二人一緒にお風呂に入って
おばあちゃんがおじいちゃんの背中を流していました。
私は、え〜、祖父母の家に泊まりに行ったときに
その光景を目の当たりにし、ものすごく驚きましたが
どんなにケンカをしても夜には一緒にお風呂に入って
水に流せる二人は、ほんとに素敵な夫婦だなと思いました。
夫婦の奥深さを教えてもらいました。
え〜、自分にも今、夫がいますが、もう一緒にお風呂に入る気にもならないので
本当におじいちゃん、おばあちゃんはすごい夫婦だなと
実感しています。

ま、入る気にもならないんですね。
うん。切ないですねぇ。こういうの聞くと。
こういうの聞くと、結婚って、なんなんやろなぁって、うん。
やっぱこう、結婚してもなぁ、いつまでも、
理想ですよ、理想はやっぱりお風呂入るとか
いつも一緒にいるとかしてみたいもんですけどね〜。うん。
こういう話良く聞くからね。うん。
結婚しても、みたいなね。
そーとーいいよね、でも。
言い合って、ケンカしてんのに、絶対お風呂一緒に入るって。うん。
なかなかないよね。
それこそ、おじいちゃんおばあちゃんになったときに、
ないよね。そういう話きくこと。うん。
すごいな〜って思いますよ。うん。
ま、なにか、あの〜、目にうつるすべての景色とかそういものだけではなくて
ま、心にうつるなにかみたいなものを、ん〜〜、
ちゃんと、こう、ピックアップするのがうまいのかな、お二人は。
だから、ま、そういうこと言い合ったけどさ、みたいな。うん。
でも、僕らが今一緒にいるっていうことは、とても幸せな事だね〜
じゃないけど、そういうところに、なにかこう立ち戻ることが
出来るんでしょうね。うん。
ま、僕も結婚してね、いつかこうやって、おじいちゃんになったときにね、
こんな感じしてみたいですけどね。
お互いの体を、なかなか老けたな、とか言いながら。うん。
あの頃はもうちょっと筋肉隆々やったのになぁ、みたいな話とか。うん。
ちょっと笑いながらそんなん言えてもいいんですけどね。
ま、こうやって色々なね、おじいちゃんおばあちゃんの話をすると
おじいちゃんおばあちゃんがいたことによって
お父さん、お母さんがいたりしながら
自分がいるんなぁってことですよね。
ま、そのおじいちゃんおばあちゃんに
お父さんお母さんがいて
おじいちゃんおばあちゃんがいてっていうふうにね、つながっていくわけで
やっぱりこう、うちの母なんかも色々話しますけどもね、うん。
ま、なんかこう、自分が、離れなければいけない時に、みたいな感覚の話をすることも
ほんと増えてきて、ま、そのたんびに、
自分も年を重ねたんだなぁっとかね、
この人のために、あとできることはなんなんだろうなぁとか
ま、そんなことを考えたり、
よくしますね〜。うん。ま、みなさんもね、
どうぞおじいちゃんおばあちゃん、そして
お父さん、お母さん
え〜。御兄弟、ま、一番は、もしかしたら自分。
うん、自分にもね、やっぱりありがとうっていうことを言ってあげたらいいかなと
思いますよ、愛してるよとかね。うん。ま、そういうことを自分に伝えてあげながら
そしてそんな自分で周りの人々を愛してあげて
ありがとうと感謝をするってすごくいいことなんじゃないかなって
思ったりします。

え〜、さいごにみさとさん。

介護の仕事を始めてもうすぐ6年がたつ。
上司が合わないと、長年一緒にいた仲間が次々と辞め、
スタッフの関係が悪くなり、認知症の方と接する介護に疲れてしまい、
仕事がいやになってしまっているが、
ある入居者のおばあちゃんに
「ここまで生きて来られたのはあなたのお陰です」
と言っていただいて、介護をはじめようと思ったきかっけ、
震災の時からで人を助けられる人間になりたいと思って
介護の仕事を始めたんだなと、そう思ってくれる人がいたんだなと気付かされ、
教えてもらいました。
その言葉を残し、おばあちゃんは数時間後に天国へ旅立ちました。
初診の気持ちを取り戻してねと教えてもらったように感じています。
みさとさんから頂きました。

ほんとに、こういうのってあるよねっていう。なんでしょうね、
タイソンも亡くなる数時間前、ちょっと声を上げて鳴いたんですよね。
それが一瞬お別れに感じたんですよね。

でもなんか、その時に一瞬で腹括ったんですよ、本当は。
あ、逝ってしまうのかもしれないっていう。
でも呼吸を続けたんで、あ、また痛かっただけなのかなって。
でもちょっと違う声だったんですよねーって感じがあって、うん。
そしたら数時間後でしたね、ホントに。

でも、その鳴き声の中にね、色んな感情が詰まってただろうなと、
詰まってるんだろうなと、それを全身で理解しながら、うん、
生きていかなければいけないな〜みたいな、そんなことを
ケンシロウの時も思ったし、タイソンの時も思ってね。うん。

まあ、ケンシロウもね、「北斗の拳」からとり、タイソンも、
「ろくでなしBLUES」からとり、前田太尊という主人公からとって、
二人とも強い男っいうね。
まぁ、当時その2つのアニメ凄い読んでたんでね。うん。
なんかこう、もう一度、そうですね、北斗の拳読み返して、
ろくでなしブルース読み返そうかな。

大体、タイソンっていうとマイク・タイソンからとったの?って言われるんですけど、いや前田太尊ですみたいな。前田太尊が、マイク・タイソンから来てる中の
前田太尊のタイソンをとったんですけどね。
でも、名の通り二人とも、力強く長生きしましたからね。うん。

みなさんも先程もお伝えしたから、繰り返してばっかりになりますけれども、
まぁ、自分自身を一番、まず「ありがとう」と伝えることは
結構忙しいと出来てない人も多いと思うんですよね。うん。
なんか自分に対してそれをすることって、とても、
自分大好きみたいに聞こえるけれども、
そういうわけではなくてね、自分に対してありがとうが言えないのは、
やっぱり可哀相かな、自分がって。

だから、みんなそれぞれの人生、十人十色生きていくわけですけど、
その人生の中で、色んなことあるけど、
でもやっぱりありがとうってこと、
伝えてあげないといけないなとか、そんなことを
彼の、そして彼らの死をもって、また改めて学んだなっていう感じですかね。
皆さんも是非、そうされてくださいね。

ということでございまして、今日は「縁を結いて」を聴きながらお別れです。

またお会いしましょう、おやすみなさい。

♪縁を結いて
2017/09/16 by ままこ [435]

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* 09/16 #423

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