堂本剛とfashion&musicbook
bayFMのお聴きのみなさん、こんばんは。堂本剛です。 堂本剛とfashion&musicbook始まりました。 え~今日はですね、2015年1月の17日ございますけども、え~、 阪神淡路大震災から今日ですね、20年が経ちました、もう20年ですね~、ですから、 あの阪神の震災があって、え~、そのときに産まれたお子さんたちは成人を迎えると、うん、いう年になるわけですけど 僕は、え~、この阪神大震災って言葉を文字でこうして読んだりとかすると、高校の、その、入学の時のことをやっぱり思い出しだしたりとか、 なんか、いろいろ、その、高校の時を、まあ、思い出すというか、うん、あの当時はですね、 僕はお姉ちゃんとか、その、家族に電話して電話が繋がらなかったっていうのを凄く覚えていますけど、 奈良もやっぱり凄く揺れましたので、家の食器も全部棚から全部落ちて割れたなかで、 まあ、お姉ちゃんも凄い怖い思いをしたって、いうような話を後で聞いたんですけど。 凄くだから、あの~、テレビで見たのを覚えています、今でも。 テレビをつけたら、あの高速道路が倒れているって映像が飛んできて凄く強烈に覚えていますよね。 それを離れた場所で体感した人間と、近くで体感した人間とでは、色が全然違うじゃないですか、 これが震災だけに限らず、 ほんとに、いろんな人生を生きていますから、 いろんな人生ひとひとりの人生の色があるので、 その人の痛みとか喜びっていうものに寄り添うこと、寄り添おうということは出来るんですけど、 完全に、あの、くるいなく、数ミリもくるいなく、というか同じその色に自分の感情を調合していくことは、すごく大変なんですよね、 だから凄く、あの~厳しく聞こえるかもしれませんけど、その人の気持ちは、その人にしか、分からない部分が絶対的にあるんですね。 自分の気持ちは、自分にしか分からないって部分が絶対的にあるんです。 人にこれだけ伝えても理解してもらえないという、経験をみんな、していると思うんですけど、自分にしか分からない、そこと向き合うことは、とても大変なことだと思うんですね人間、どんな経験をしてても人生のなかには、 やはり悲しいこともあれば嬉しいこともあります。 それを人に同じ気持ちになってくれって、いうのは凄く難しいこと。 あの人と同じ気持ちになろうということは凄く難しいこと。 でも凄く簡単なことは同じような気持ちになろう、という、その気持ちは凄く簡単なことだと思うんですよね。 そんな思いで、いつもいろいろな人々の心の痛みっていうのを見るようにしているんですけども。
この阪神大震災が起こったそのとき、みなさんはいろいろな試練に立ち向かわれて、いろいろな経験を積まれたことで東日本大震災の際にいろいろなヒントであったり、 こういうときには、こうすれば、 こういうときには、こうしましょうって、いうようなことが、え~ 繋がっていったりしたんですよね。 そして実際、阪神、西の方からもいろいろな支援されたかたも沢山いらっしゃるでしょうしね、うん、 だから凄くこの阪神大震災、その他にも中越だったり、いろいろな地震がありますが、 で、そして土砂災害ありますし、いろんな天災というものがありますが、その天災というものは、 え~、我々、経験した人、未だに経験してない人が同じような気持ちになって、それを、みていくっていうことは、物凄く大事なことなんじゃないかな~と、凄く思います。 日本人(にっぽんじん)なら、特に!うん。 同じ、この繋がった大地のところで始まっていることですからね、うん、まあ、 ほんとに語りだせば切りがないので、言葉をなるべく少なくお話ししようと、思ったんですけど、いろいろ浮かんでくる感情も、いろいろありまして、 今、こうして僕が話していることも何いってんねんあいつって、いう思いにさせてしまうかもーしれないし、うん、 凄く難しいですけども、うん、でも、あの、 ただ、原稿をこういうことありました、こうですね、ああですね、ということを、ただ読んでいるだけで、なんか話したくないから自分の思っていることを喋りたいんですけど、 でもやっぱり、僕もそんな生意気なこと言われへんなあ~とか、 いろんな気持ちに、また、なってしまって、子どもっぽい言葉になってしまったことを、お許しください。 僕自身もいろいろな人生のなかで、いろいろ経験してきたなかで、一曲、書いた曲でもありましてね、 あの、これだけの日を跨いで来たのだからという曲を書いたんですけども、 あのニュースを見てて、いろんな報道が勝手に飛び込んで来る、 そんな生活を送っていて、いろいろ辛い思い経験されているかたが、ほんと沢山いるんだなあ~って、 いろいろ吸収している最中(さなか)に書いた曲です。 少しでも、光を与えるようなものであればいいなあ~っと、凄く思うんですが、 みなさんも、いろいろな思いが あると思いますが、 僕も人生のなかで、辛かったことをいろいろ思いながら書いた曲です。これだけの日を跨いで来たのだから
♪これだけの日を跨いで来たのだから
堂本剛とfashion&musicbook さっ、ここはですね~ リスナーの皆さんからいただいきましたメールをご紹介しますが、
年も開けましたので、年が開けてみなさんお正月こんなふうに過ごしていました、という、お便りをいただきました。
まずはですね、ほうしょさんです。
え~、『お正月はご家族とゆっくり過ごせましたか?』と 今年の正月はですね、あの~物凄くみんなが風邪を引いていて、でっ、ていうのは周りの人がですよ。僕じゃなくて、 で~家族もお姉ちゃんかな風邪をちょっとこじらせていて、 僕はお仕事なので風邪をうつせないっていうことで、ほんと短時間でお節を食べるということをやりましたけども、 え~このほうしょさんは『去年のですね3月からブラジルのサンパウロに住んでいて今年は両親と兄弟と一緒にお正月を過ごすことができなかった』と、『元日はアルゼンチンのウシュアイアという最南端都市に旅行でおりましたが、そこでは新年を迎えたというかんじが、あまりなくて少し寂しかったです。元日は私の誕生日でもあるんですが、そのことも、すっかり忘れてしまうぐらい普通に過ごした。 剛くんはお正月、毎年やっていることはありますか?』 僕はお仕事してますけど、真っ只中ですけど、 今も言ったように家族が集まって、お節を食べるというのをや っています。ここ何年か出来ておりますけど、 う~ん、だから、ほんとに、その年が開ける瞬間を家族と何年も過ごしてないので、えぇ、う~ん、なんとなく寂しいなと思いますね…それは。 あの~いつもね家族の話を凄くしちゃうんですけど、ここにもあるんですけど、 今年はあの羊年じゃないですか、僕、年男なんですけど、あの~羊がね、その群れをなすというところから、そういう習性から、があるところから、家族の安泰とか、その平和みたいなことを、あの~意味する傾向のある人が、まあ多いと、財テクの才能があるとかですね。穏やかで人情に厚いって、そういうのもあるようですけども、 まあ 、その家族っていうのは物凄くねキーワードなんですよ、僕のなかで。うん、 だから自分の夢だけのために動くことができない、うん、 例えば、僕が海外に住むってなったときに、お母さん、どんな気持ちになるかなとか、 でも今、海外に行って、いろんなもの吸収して、また戻ってくればって、そんなことは考えられないんですよね、うん、 一生に一度しかね、あの、この、お母さんと過ごす時間っているのは限られているしな、なんて思うと、そんなことはやめて、 お母さんと一緒にいて、家族と一緒にいて、親孝行と家族孝行するために生きていくっていうか、うん、 そっちのほうが、なんぼか重要っていうタイプなんですよ、 だから地位とか名誉みたいな言葉がありますけど、 更々、興味がなくて、たまたま、そこに、例えばあればラッキーですけど、 今、平和っていう言葉がありましたが、 大体、地位とか名誉って、平和を乱す時間がちょっとあるんですよね、 そこに、たどり着くためには、なにかを蹴落とし、なにかを犠牲にし、なにかをぶち壊し、みたいなこともある、ので、 なにかの上に立つとか、なにかの記録に残そうとするとですね、 そういうことにまあ、振り回されるんですね、 平和がいいんで、って、なってくると、人の感情を優先するんですよね、 なぜならば、人は我が儘だから、俺はこうしたい、私はこうしたい、私はこれがいいと思う、俺はこれがいいと思うと 、 それを全部聞き入れていると、自分の意見が最終的にない作品ができちゃうんですね。 そんなときもありましたね。 それを後悔と取るか、 まあ、こういう作品ができたんで良かったかと捉えるかは、 僕の人徳、次第というか、僕の人のレベル次第なんでしょうけども、 でもこの海外でお正月を過ごすのと、日本でお正月を過ごすとはね、 随分と、やっぱり気分も違うでしょうね、 体感するものも違うと思いますが、 でもそれは、あの、滅多にね日本にいる子からしたら、経験できないお正月を経験されたということで、うん、 少し羨ましいなっと、いう気もしますが、 でもちょっと寂しかったということなので、うん、 でもなんかあの~この日だから、こうしなくちゃいけないって、もちろん分かるんですけど、一日一日が自分にとって、大切な日だと思いますので、って、いうふうに、ゆるく考え出すと、そんなに寂しい思いに、そんなになる必要もないかなっと、 まあ、みんなが、そうしているから、そうしなければ、いけないという流れもありますから、 なんか、自分がこんなふうに人生、生きていきたいなっていうことを真っ直ぐ生きていけばいいし、 これを幸せと感じるか感じないかは、その人次第ですし、 少し寂しく感じられたと思いますけど、 ウシュアイアですか ウシュアイアって、初めて言いましたけど人生で、うん、 そんな貴重なウシュアイアを言わしていただいてね、 ありがとうございます。
そしてさやちゃんがね、『いつも楽しく聴かしていただいております。』と、『今年は年男ですね、私も今年24歳なので年女です。私が剛さんのファンになったのは、ちょうど、12年前の12歳のときでした、大好きな剛さんと干支が同じだということが分かり、凄く嬉しかった12年前のことを昨日のように覚えています。そこで、この12年間で剛さんにとって大切な思い出となっていること、 ご自身のなかで変わったこと、変わらないことはありますか?』
まあ、僕はですね~あの~自分っというものを…う~ん…生きることを選んだというか…まっ、こういう仕事なんで、理想とかイメージっていうものがありますから、それを優先しなきゃいけないっていうのかな…うん、いや、 自分をさらけ出して自分こういう人間なんですって、生きるのって凄く勇気いると思うんですよ~って、みんなに言われるんですけど、 考えてみたら確かに、そうかなって思って、 なんかその取り繕って、こういうふうな人間ですって、装って生きることのほうが、なんぼか楽なのかも、っていう、うん、 それは、なんでかっていうと、 本当の自分で生きていくと、 なんていうのかな…嫌われることも増えるし、 あの~いろいろ、やっぱ、始まるんですよね、 でも、万人の人の理想とイメージを生きれば、 例えば仕事も増えるし、みたいなことになっていったり、 人気も出てって、みたいになるんだろうな~って、で、 そういうふうに生きている人と、お仕事しなきゃいけないときとかは、 何となく寄り添いますけど、合わせますけど、 でも、もう、そういうのも合わせなくなってきてるっていうか。 どんな現場に行っても何してても僕はこういうふうな人間ですって、いうような、うん、 みなさんのなんか、そのイメージとかのなかにある堂本剛っていうよりかは、 奈良で産まれた堂本剛という人間が、ただ、そのまま生きているっていうような感じがするなぁ~っていう、 そこが大きく変わったかなあ~っていう それと同時にふるさとのことを凄く勉強したくなって、急に勉強し始めましたけども、勉強すると、日本の勉強になったし、いろいろな勉強になったなぁっていう、 ほんとにふるさと、ありがとう、なんて思いながら今日(こんにち)も過ごしています。 昨日も書道していました、家で、一人で。はい、あの、 それはあの~あれなんです、 僕の誕生日に、え~、硯を彫ったんですが、 あのその硯はえ~、東日本大震災の津波で流された石をですね、 あの、岩手ほうから、あの~硯工場その流された石を僕の友達が拾ってきた、その石を使って僕の誕生日に彫った硯があるんですね、 で、まあ、それをいつも使うんですけども、それを使っていろんな文字を書いて、あの、 時間を過ごしていました。 なんかその、もの一つ一つに思い入れとか、いろんな意味がやっぱりあるんだなあ~と、ゆうことも、 この歳になってくると、いろいろ思ってくるというか、 あとは断捨離もしましたよ、あの、年開ける前と年開けてから、うん、 もうこれ、もう要らん、って言って捨てたり、全部しました。捨てるたんびにありがとうって言って全部捨てました。 なんかね今まで気に入って飾っていたものとか、飾っていたのにしまっていたものとか、いろんなものがあって、ありがとうって言って、全部さようならって言って、また会いましょうって言って、 どんどん捨てていって、うん、凄くお部屋もスッキリ綺麗になりましたけどね。うん、 奈良の、まあ、 その僕のふるさとを思いながら書いたですね、タイムマシーンって曲がありまして、まあこの、え~、 この曲を書いたのも平城京とか、いろいろ、その昔ここに都があったんだな~と、思いながら空を見上げているとですね、うん、 なんか、いろいろ、その僕が住んだことのないような奈良の都があった、 そんな時代までをも、なんかこう、体感出きるような気がしてくるというか、 ほんとにね、いろんな想いを、この曲に馳せて書きました。うん、
まあ、あの~、さやちゃんもですね 、え~、そうですね、 さやちゃんにずっと応援してもらえるような僕で居ようと、これからも思いますので、 さやちゃんもね、え~、 是非是非、このラジオと共に堂本剛のことをよろしくお願いします。うん、 さやちゃんもさやちゃんの、いきたい人生、生きてくださいね、うん、 これはマイナスの発言じゃないですけど、 いつか僕のことがそんなに興味がないなぁって思ったら、 それはそれですから、うん、 さやちゃんの人生ですから、うん、 これはマイナスな発言じゃないですからね、 それが人生ですからね、 まあ、そのときはなんか、あ~、あの人好きやったな~って思ってくれればいいし、 そうならなければいいなぁ~って思いながら僕は過ごしますけど、それは人生、さやちゃんのものなので僕がどうこう出来るわけでもありませんからね、 いろいろな人それぞれ、人生がいろいろあるなぁ~と、 ふるさと、いろんな人にはふるさとってあるなぁと、 いろんな想いで書いた曲がありますのでタイムマシーンを聴いてください、どうぞ
♪彼方(タイムマシーン)
堂本剛とfashion&musicbook、 今夜の放送はいかがだったでしょうか? 今日はですね、阪神大震災の20年経ちましたというお話をさせていただきながら、え~、 そしてみなさんがね、お正月こんなふうに過ごしましたって、お話いろいろ聞かしていただきましたけども、 今年は羊年、え~、僕が年男、12年前と今の僕と、なにが変わったんだろうみたいなことを少し考えながらお話させていただきました。 まあ、みなさんもね、いろいろな人生が人それぞれありますから、人生いろいろというね島倉千代子さんの名曲もありますけども、 ほんと人生いろいろだなぁ~と、うん、いっつも思いますね~うん、でも、 人は生きると書いて人生。ま、 自分だけの人生ですから、自分だけの人生なんだけど誰かの人生でもあるんですけど、 でも、自分の人生ですからね、 ぜひ自分を強く、そして、優しくね、生きたい人はいきましょうっというかんじで。
このラジオはですね、どんなメールでも構いませんのでさまざまなメール募集しておりますので 〔宛先〕 よろしくお願い申し上げます。
様々な予定が決まりましたら、また、みなさんに、ご報告させていただきたいと思います。 さっ、それではですね、みなさんの人生が今よりも少しずつ少しずつ良いご縁に結ばれますようにということ想いを込めまして、 こちら、今日は縁を結いて、聴きながらお別れしましょう。
堂本剛とfashion&musicbookお相手は堂本剛でした。みなさんまたおあいしましょう。おやすみなさい。
♪縁を結いて
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2015/01/17
by ☆ike☆ [292]
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