++堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオレポ++
毎週土曜日 22:00〜22:30 bayFMでオンエア中の
堂本剛と「Fashion & Music Book」ラジオ のレポです
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#277

bayFMをお聞きの皆さんこんばんは。堂本剛です。堂本剛とFashion&MusicBook始まりました。

今日はですね、いいつつの日ではないです。今日はですね、ボタンの日ということで。日本ボタン協会、全国ボタン工業連合会等がですね、1987年に制定して1870年、金地に桜と錨の模様の国産のボタンが海軍の制服に採用されたところからということです。

こういう歴史があって今日がボタンの日だという流れがいいですね。うん、今日はいいつつを買いましょうとかという日ではないです。ちなみにボタンという漢字なんですけど、金へんに口なんですが(釦)、日本にもともと釦という漢字がなくて服の口に金属製品を入れて紐の代わりをするという意味で考えられた当て字です。

だから漢字というものも、当て字というのもあるから、なんかもうごちゃごちゃしてきますよね。その当時は、その当て字にする前の知識があるので、当て字になったとしても、理解できると思うんですけれども、生まれた時にその当て字がある僕たちはそれが釦という漢字だと、当て字ではない漢字だと認識してしまうのがもったいないなというふうに思いますね。あ、こういうことなんだと。

で、ボタンの数にもいろんな意味があって。チャールズ皇太子は、イングランドの4つボタン、4つボタンのスーツを普段は着ておられるんですが、プリンスオブウェールズとしての公務の時には5つの袖ボタンのスーツを着ると。だからその数によって意味が変わってくるとか、その場所に対してとか、そういうことですよね。

だから数とか色とかそういうものには昔からすごく意味があるのでそういう意味の歴史みたいなものはもっともっともっともっと若い世代にも広がってゆくといいなと思いますけどね。

先日も10月31日、ハロウイン。本来はフランスなんですね、ハロウインて。フランスからアメリカの方に渡ってなんかああいう形に変わっていったみたいですね。なんかこの間やってましたけど。うん、で外国の人からみると仮装する日ではないというところですよね。うん、ああいう悪魔とか悪霊というか怖いオバケとかが出てくるから自分たちもそれに仮装していわゆるばれないようにするとかそんな雰囲気みたいですよ、最初が。

そこからアメリカに渡ってそういうファッションして夜道を歩いて、オバケだから仲間だという認識でいたずらをされない中お菓子をもらうために歩くみたいな感じになったっていう。ま、子どものイベントに変わっていったということなんでしょうけども。

それが日本に渡って仮装すると。いやもう意味不明やよね。
ウォーリーめっちゃいたもんね。ウォーリーはもうオバケじゃないし仮装なだけですからね。うん、あとはあけみちゃんね。うん、エレキテル連合のダメよーダメダメのあけみちゃん。
だからちょっとね(笑)なんかみんなどえらいことになってるなと、すごい人でしたね。映像とか見たら。うん。

でもハロウインの事業もかなり儲かるらしいと。やっぱいろんな企業が食いついてしまうんですね。
だとするならばですよ、日本の歴史を紐解いて昔日本はこの日にこうでしたよ。じゃあこの仮装しましょうぐらいのがよくないですか?まだ。うん、なんかね。急に街に侍が増えるみたいな。うん、侍デーみたいな。刀型チョコレート、ね、やりたかったらやったらいいですやん。例えば、パーティグッズ、織田信長、徳川家康みたいなの出してやったらいいじゃないですか。

うん、でもそういうことのほうが日本こんなおもろいことやってでというちょっとグローバルなことになるんですけどね。なんかハロウインに行っちゃうんだなっていう。まあそれはそれで楽しいとは思いますが、親子のコミュニケーションにもなっているようですし、うん。だから今年は、あけみちゃんも多かったですけどウォーリーとスーパーマリオが多かったみたいですね。

仮装関係ないっていうかそのハロウイン関係なくて仮装になっていることですけれどもね、
本当にこれから未来はどうなっていってしまうんだろう、いろんなこと通じて思いますけどね、こちらそんな想いを込めて書いた曲でございます。決してハロウィンは関係ないですけどね。イラミイナカハ聴いていただきましょう、どうぞ。

♪イラミイナカハ

堂本剛とFashion&MusicBook、ここでは皆さんからいただきましたメールをざっと読まさしていただきますが、

とうまママさんです。
「私は19歳、13歳、5歳の娘、そして4才の息子を持つママです。今日はそんな中で4歳になる息子の好きな人ランキングをお伝えします。

まずいちばん好きな人が剛くん、その後にゴセイジャー、アンパンマン、ミッキー、プーさん。だそうです。子どもに人気のヒーローたちを出し抜いてのダントツの一位になるなんてさすが剛くんですね。

我が家ではみんな剛くんの大ファンで今は19歳の娘と二人でコンサートに行っていますが、来年機会があれば下の子も連れてみんなで剛くんに会いに行きたいと願っています。家族代表として剛くん大好きです。いつまでも応援しています。」

こんなことある?って思って。ゴセイジャーってヒーローでしょ?なかなかの、なかなかのやっぱこどもからしたら人気なんで、それを出し抜いて一位にしてくれているというね、ありがたいですね。だからもうここのご家族はみんなで僕のことを応援してくれてるというね。

こんな風に35歳になったときにメール読むとか思ってないもん、やっぱり。これね、TVとかでも何度も言うんですけどね、30歳を過ぎて何か仕事してるというイメージがわかなかったんですよ、当時は。うん、やっぱりSMAPさんとかね、大先輩の活躍のおかげでやっぱりこうやって30歳を越えても何かすることがあるというのはほんとに大きいと思うんですよ、うん。

30歳を過ぎてこんなこともできるし、こんな功績も残せるんだという。それを世の中に示してもらったおかげでほんとにいろんなことできるようになっているんだなとつくづく感じます、うん。だから若い頃はほんと想像できなかったですよね。30歳越えた時にこういう仕事にもついたりもするかなとかなとかこんなこともするのかな、ぐらい考えてるような世の中っていうものがほんとにがらっと変わりましたし、アイドルとかね、ジャニーズっていう世界もずいぶん変わりましたよね。ほんとに不思議だなと思いますが。

こんな風にもっと不思議なのはほんとに年下の人たち、年下の世代の人たちに好きって言ってもらえる自分がいるっていうの、なおさら想像してませんでしたので、ほんとに生きててよかったなと。続けてきてよかったというふうに思います。これからもぜひ、ゴセイジャー以上にね応援してもらえたらなというふうに思います。


さあ、そしてね、BBさん
香港出身、シカゴ在住の方で、8月の渋谷公会堂のライブに50代のお母さんを連れていったという。なんでお母さんが僕のライブに行きたいと言ったかというと、振り返れば剛くんを好きになったおかげでね、自分が不思議だなと思うほど成長したと。

あの、ひらがなさえ読めなかったけれども剛くんのファンになって今は関西弁までだいたい分かると。そして剛くんの頑張ってる姿を見て力をもらい、努力しなきゃなと思って今日まで生きてきました。私は今アメリカのトップ大学の大学院に通っています。剛くんに出会わなければ今の私にはなれなかったでしょう。ほんとに剛くんに感謝の気持ちがいっぱいです。

そういう気持ちをお母さんに話したらお母さんがその人に会いたいということをおっしゃってそれでライブに来られたと。ライブ中に50代のお母さんも一緒にFUNKして踊った。お母さんは日本語全然わからないけど、音楽ってやっぱ言葉が通じなくても通じるものなんだなと。

お母さんは「剛の歌声はほんとに綺麗ですね」と褒めてくれましたよ。私にとって剛くんの音楽は世界で一番私に音を楽しむという気持ちを与えてくれます。それは音楽を文字通り感じる。ほんとに会えてよかったって言ってくれてます。

嬉しいですね。お母さんもそうやって会いたいって言って来てくれるってのもすごいですよね。この感覚、でもなかなかないんじゃないですか。こんなお母様の、「あなたをこんな風に変えた人ぜひ会いたい、ライブに行きたい」ってなかなか日本のお母さんなかなかそこまでね、行動に移せないんじゃないかなっていう、すごく嬉しいエピソード。


ゆうママさんがね、
「今回はご相談させてほしい。27で一児の母です。自分のお母様、お母さんが大好きで仕方がない。自分自身も母親という立場なのに旦那よりも母親が大好き。結婚出産を経てもなお、母と一緒に暮らせるものならば暮らしたいくらいそれだけ大好きです。

剛さんもお母さんも大好きだと思いますが、私はこのままでいいのでしょうか?何か剛さんなりの素敵なお言葉いただけたら」

ということで、お母さんが好きという感情は、それがお父さんであってもなんであってもいいと思いますよね、うん。だって産んでくれた人、家族なわけですから。僕なんかもほんとにお母さんのこと大好きです。

あの、正直素直に言うとお母さんがこの世からいなくなったときに自分はどうやって行きてゆくんだろうって部分があります。これは生活面ではなくて、精神面です。やっぱり自分を産んでくれた人、小さな頃ってお母さんは死なないって思ってたような部分あるでしょ。でも歳を重ねると、ああ、消えてゆくんだよなということにやっぱぶち当たるんですよね。そういう覚悟みたいなものを準備してはいます、もちろん。

で、やっぱりおかあさんがおじいちゃんおばあちゃん亡くなってずいぶん経ってから、桜見ながら、「なんか泣いてはんのやろな」みたいな背中見て、ソメイヨシノっていう曲作って、ああ、僕も親がこの世からいなくなった時に子どもがもしできていれば同じような姿を見せるんだろうなっていうふうなことを思ってソメイヨシノ書いたんですよね。

でその後に何気なく奈良に行って神社さん行って天河さん、天河弁財天さん行ってそこでお母さん神さん見て「きれいやなぁ」って言って泣いてはるそのなんかこう一筋の涙のような曲が書けたらいいなって、縁を結いてという曲を書きました、うん。

やっぱりね、なんて言うのかな、好きなことはしゃあないよね。好きでいいと思うよ。で、僕なんかはどうしてもここまでいろいろ考えてしまうのは、僕ずいぶん後に生まれているので、お母さんももう70代を越えていますからね。だから体のことも心配するしいろんなことあってほんとにいろんなこと心配しています、うん。ものすごく心配している。

で、できるかぎりお母さんと一緒にね、いろんな時間作れたらななんて思ったりする、うん。これはでも自然と沸き上がってきてしまうんですよね。うん、そう思えない人もいると思いますよ。親に対して。ええねんそんなの、別に、って思う人もいると思います。でも僕はそう思う人なので、そう思って生きてゆきたいなと思っています。

で、自分の子どもにもそう思ってもらえっるような親になりたいなって思う。自分は結婚してないけれども、もし子どもが出来たとしたらね。その時にまた思うんです。ああ、お母さんこんなこと言ってたなって。お母さんが言ってたこれってこういうことかって。

今お母さんもよく言いますから。おばあちゃんもよくこう言ってたけどそういうことなんだなって。その時はわかってあげられへんかったなあって、うん。まあでもね、きっとおばあちゃんも、そこはもうわかってくれてるよと。そんな思わんでいいよと。いうような話したりも普通にもうしてます。なんかそういうような話をするような間柄なので、いわゆるお母さんお母さんお母さんお母さんていう感覚じゃないんですよね。うん、やがて別れなければいけないんで。

でもそこでね、自分はその不安、恐怖、葛藤を克服したかったのかふと疑問に思ったことがありまして、最近、知ってる方がどんどん亡くなっていったりすることも多いんですよ。監督さんだったりとか、あとはずっと歴代僕がいろいろやってきた番組の警備、警護の担当してくれてた方とか。お若くして亡くなられたりとか。

亡くなられる前まで何も言わなかった。ほんとに一握りの人にしか言ってなくて「おう、元気になったらまた戻ってくる」とかって言いながらほんとその収録の最後の日とかもふっと来てくださって、あれ、体大丈夫かなっていうくらいの容姿で、ほんと大丈夫かなって、でもなんかうまく言葉が見つからなくてま、手握って「ちょっと頑張りや」ってことしか言えなかった。でもその後日、一ヶ月くらいしないくらいで、「お亡くなりました」ていう連絡が入って。すごく悲しんで、で、お世話になってたスタッフとかとちょっと電話連絡したりとかして「聞いた?今?」って「うん、残念だね」なんて言って話したりとか、まそういう時間すごく多いんでね。

人は死ぬとどこに行くんだろうっというね。仏教で言えばまあ極楽浄土。うん、天国だったり地獄というものがあるけど、まあ遠い場所に行く感じですよね。仏教の世界って。

でも神道を調べると、ご遺体を尊重し、いろいろな手順というのは似ているんですけれども、最終的な捉え方がですね、あなたがそう思えばそこにある世界にいるというような感覚らしいです。

だから人が消えていったとしても決して悲しむことではない。その人が生きたということをとても尊敬の念を込めて手を合わせる、で、ほんとだからこの隣にその人がいると思えばいますよねっていう、あなた次第ですよ。なんかそういうような考え方があるっていうのを調べたんですよ。

だから遠いところに行っちゃった、もう会えないと思うか、ここに居てくれてる、そしてその人を感じる、それでにこっと笑える、強くもなれる。そういうふうな凛とした自分でいるのかとか。うん、だから決して悲しむことではないですよというような感覚なんだろうなと思ってそれを調べたんですけれども。

国によってはだってお墓がめちゃめちゃカラフルな国とかもありますよね。うん、消えてゆくっていうことは素晴らしいことなんだという。もっとハッピーに祝おうよというような感じの国もあるんですよ。だからほんとに死というものだったり、お別れというものも、人によって、国によって、変わってゆくべきだと僕は思うんですよ。

この国がそうだからなんていうことは考えなくていいと思うんですよ。自分はこういうふうに思うんだでいいと思うなって、なんかいろんなエピソード調べて思いました。

だから自分にとっての母親はこうなんだでいいと思います。恋人、家族はこうなんだでいいんじゃないかなというふうに思います。なんかこうやっぱりいろんな縁があって今にたどり着いているだろうからうん、ぜひ皆さん今ラジオ聞いて胸が苦しくなった人もいると思うんですけど、でもそこを胸が苦しくならないはずがないことなんでね、これは。僕も35歳になり、36になるこの今さなか、いろんなことをやっぱり考えて生きてます。

うん、ほんとにいろいろな思いを込めて、作った、でもその割には、ふっと湧き上がるようにできた、なんかそういう曲なんですけれどもこちら縁を結いてを聴いていただきましょう。

♪縁を結いて(地震速報が重なって入っています)

堂本剛とFashion&MusicBook、今夜の放送いかがだったでしょうか。

こちら最後、ちろさん
「先日のラジオでFUNKY PANTIESを聴きました。剛くんのロイエーな歌詩と男前な歌声であの後パンティがしゃべるのかと思うと続きが気になります。」

というね。まあ、あのファンキーパンティをデザインして、通販でCDをくるんで出すということをやりましたけれども、うん、これもね、お母さん、僕はやりたいこともやってますよというね、意味も込めてこういうもの出してみたりとか(笑)、うん。

いろんな歌、歌ってみたりしてます、うん。だからほんといろんなところで歌、歌いますけれどもね、うん。自分で作る歌、提供してもらう歌、いろいろありますけど、うん、まあお母さんに一杯一杯聴いてもらおうと思って。今日もなんかライブのDVD見てるって言ってましたわ。今日電話したら、うん。「剛からもらったやつ見てるって」言って。

だってね、自分が生んだ子が55000人とか何万人何千人とかの前で何かをやってるって自分でも想像できひんからね、今。やっぱり嬉しいことなんやろなって思ったりするよね。TVなんとなくつけたら出てきたりさ、うん、そこでお母さんの親のことちょっと言うてくれてたらそれは嬉しいよなとか思ったりさ、うん。だからわざと言ってるわけじゃなくてもうそういう年齢に立ってしまったなと、うん。ほんとにね、いろいろ親から学ぶことは多いね。

そんな中FUNKY PANTYって曲も書いて出すで俺っていうね。
さあ、今日はいろいろな胸の詰まるようなお話もさせていただきました。
面白い話なんでもいいです。

メールの方は
tsuyoshi@bayfm.co.jp

FAXの方は
043-351-8011

はがきの方は
〒261-7127 bayfm

までどうぞよろしくお願い申し上げます。

さ、それではですね、通販限定で予約受付いたしました、パンティが出したいんだどしてもというね、とんでもないタイトルですけれども。明日23日が商品の到着予定となっております。ご予約いただいた皆さんには到着までぜひ楽しみに待っていていただきたい。

この中にもバンドメンバーの結婚とかいろいろな祝を込めて作った曲もありますので、いろいろな曲込めておりますし、やはりすべてはね、パンティを履いていただいて、僕ももうプライベートで使用しております。なかなか普通に履き心地がいいです。ぜひ皆さん履き心地も含め、またメール・メッセージいただきたいと思います。

それでは今夜はですね、そちら、今さんざん話に出ておりましたFUNKY PANTIESこちらを聴きながらお別れします。堂本剛とFashion&MusicBook、お相手は堂本剛でした。それでは皆さんまたお会いしましょう、おやすみなさい。

♪FUNKY PANTIES
2014/11/22 by こさかママ [284]

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