堂本剛とFashion & Music Book
bayfmをお聴きの皆さん、こんばんは。堂本剛です。
さぁ、堂本剛とFashion & Music Book 始まりましたが。
え〜、とうこさんからいただきました。ね、メールいただきました。 「剛君のラジオ大好きです。」と1行目から始めていただいております。 ありがとうございます。
「2010年の4月ぐらいからほぼ毎週聞いていますよ。」と。 「ラジオは1週間の中で他のことを考えずに剛君の話だけを聴く癒しの時間です。
私は9月4日で15歳になってしまいました。」と。 10代の方が癒しと言ってくれている、この33歳のおっさんのこのテンションの話をね。
「どんどんおばさんになっていくと思うと恐ろしいです」というね(笑) この子は10代にしてそれを今危機感として持っていますね。
「15歳の今のうちにやっておいた方がいいよなんてことありますか?」と。
「私が剛君ぐらいの年齢になっても今みたいなカッコよくて可愛くて素敵な剛君でいてくださいね。愛しています。」というふうに言って下さっていますが。
え〜と、この子だからあと15年後?48。なかなか難しいね。 48、50でカッコよくては目指せたとしても、その可愛さっていうのはね、老けていくとなかなか至難の業ですよね。
何をもって可愛いかというところを考えていかなきゃいけないね。
いやでも、15歳の子がこんなこと言ってくれる人生になってるって、僕思ってないからね。 自分が30過ぎた時に。ん〜不思議なこともあるよね。
15歳ぐらいの時にまあ、やっておいたほうが‥、今の子たちは、すごく僕進化してると思うんでね。 あの、もちろん退化してる部分もあると思います。
それは教育の違いがすごく大きいと思いますが。
進化してる部分がすごくあって、やっぱりその何て言うんですかね、と言うのはテレビを見ても、雑誌、ラジオでも何でもそうですけれども、あまり自分というものを出さずして適切なコメントを言うっていう知恵っていうものがすごくあると思います。若い子たちは。
だから大人にこう言っとくと大丈夫とか、こういう風に言えばこの大人コントロールできるというような、ちょっとその知恵というものがすごく僕は成長してると思うんです。
本当にテレビ見ていても本当のコメントを言っている人が一切出てこない、っていうぐらいの時代がありましたよね。
今、ようやくですけれども、ようやくご飯を食べて「俺、あんまり美味しいと思わへん」というような空気感ってまた戻って来てますが、いっとき誰もが「美味しい」「美味しい」「すごい」「うまい」何なの?このグルメレポートみたいな。
それをだからグルメレポーターっていう仕事じゃない域に入っていたりとかですね。
音楽もそうですよ。ね、音楽売れなくなってきたっていう話もいろいろありますけれども、やっぱり誰もが知ってるような言葉を並べりゃいいというものではないと解釈の人も出て来ましたよね。
うん、そういう風に批判する人達も出て来たし。 「いや、それの方がいいんだ」と賛成する人も出て来た。
これはある種、その新時代なんですよ。
やっぱり日本人の言葉、日本語、現代語ではなくて誰もがわかる言葉、という風に教える教師側がわかりやすい誰もが解ける問題を出してもしゃーないですよね。
うん、だからこれはどういう事を言ってるんだろうという歌詞を書くべきだと僕は思っているんですけれども。
で、たくさんの人に「あぁ、いいよね、あの歌共感できるよね」って言う事だけを得るのであれば簡単な言葉の方がいいし、テーマは恋愛でいいと思います。誰もがホントに共感できるから。
でも、何かこう想像させることを楽しませたり、音を楽しむというものが音楽ですから、わかりやすいものではなくて音を楽しむものであり、楽しませるものであるから、ということであれば歌詞もメロディーというものも構成というものもやっぱり独創的なものになりすぎない独創的なものを目指す人、独創的なもので終わっていく人、といろいろありますけれども。
逆に言えば色々な曲を作れる人生でいいわけじゃないですか。 くそわかりやすいものも書けるし、すごく難解なものも書けるし、中間もわかってるし、みたいな。
あるいは提供曲してもらえるものも自分のものにできるしとか。 あるいは人が作ったものも人が歌ってきたものも自分歌に変えれるとか。っていうのがたぶん音を楽しむ、音を楽しませるっていうことだと思うんですよね。
だから、何か、何がいいたいかというと、何か、10代、今生きてる人が、飲み込まれているその空気感ってあると思うんですよ。
それをすごく客観視しながら、飲み込まれて欲しいなと思いますね。
それはその時代にしかないものなんで、空気感なんで。批判する、反発するっていう必要性は絶対僕はないと思います。
今の若い人の感覚って言うのはそれはそれで僕面白いと思うんですよね。
その年その年にある空気というのがあると思いますけれども、今の僕、そうですね、若い世代の人達が持っている空気感と言うのは将来危険なものになるとは僕は思いますよね、正直。
それはもしかしたらこの国だったり故郷というものを大きく大きく揺るがす空気感だと僕はちょっと思います。
だからその、もう少し心の知恵っていうんですかね、そういったものを何かつけてもらえるようなことを大人たちは商品として出していくべきだと思うんですよね。
でもその大人が心を使わず、頭を使って、知恵を使って商品開発して、利益を儲けようと、するような空気がすごく多い今だから、だから心が育たない。 だからそういった若い世代の人達が育っていくのは僕ら大人の仕業でもあると思って僕は生きています。
だから、そこをね、何か気付ける人っていうのは少なからずいると思うんですよね。
で、このハガキ頂いた、というかメール頂いたというのもありますんで、何かこう今の空気感に飲まれ過ぎずに客観的に何か生きるっていうことをするとやっぱり15歳にしか見えないことっていっぱいあるんですよね。 まあ、ベタに言うと、ホント勉強しといたほうがいいよとは思いますよ。 めっちゃ勉強しといて損はないですから。
ホントに、これは友達をも救い、家族をも救いって、自分をも救うっていう。 うん、勉強ってホントすごい大事だと思います。
でも、心の勉強っていうのもやっぱ大事なんで。その辺はうまくこう見定めながら。
僕のこのラジオにちょっとしたヒントもあるかもしれないから、何かこう何となくこう聴いてもらってね、「ああ、30代の人ってこういう考えで生きてんのか。」っていうのを目の当たりにするラジオでもあると思うんですよね。
だからそういう風にも聴いていただければいいなあと。客観視に繋がるコメントヒントって何かあるような気もしますしね。
でもホントその10代の人から教わることっていうのも我々もあるし。 だから逆にあなたしか知らない空気感というのかな、何かそういったものもまたねメールで頂けるとすごく嬉しいなと思う。
何か自分は今こんなことに不安があるとか、 大人をこんな風に見てる、 自分の国、故郷というものをこういう風に見てる、 ここを期待している、こんなことは一切期待していない、 そんなことを何か10代の人から僕はいただけるようなラジオになってもいいなと思うしね。うん。
さあ、ということでございまして、 今日はね、「SUNK you」という曲をかけますけれども。
まあ、この曲もホントに「shamanippon歌おう、踊ろう」みたいな歌詞しか出てきませんが。
何かホントにさっき知恵って話してましたけれども、さっき心の知恵を付けて欲しいってshamanっていう言葉もその「心」っていう、「想い」っていうキーワードから僕はshaman っていう言葉を引っ張ってきたんですけれども。
本来ならばね、神のお告げを言う人という何かありますけれども、そういうわけではなくて、誰もがshaman っていうか、誰もが心っていうものを使うことができて、生きることができると、そういうような日本、そういう日本が昔にあったと僕は思うんだという想いも込めてね、
こちら「SUNK you」を聴いていただきながら今日はスタートしたいと思います。それではどうぞ。
♪SUNK you
さぁ、堂本剛とFashion & Music Book ここではリスナーの皆さんにいただきましたメールをご紹介しますが。
今日はひよさんなんですけれども 「先日は東京に遊びに来ていたのでラジオを聴くことができました。」と1行目から。
そして「すごくまじめに話をしていて、このラジオが全国で聴けないのが悲しくなりました。」と。
確かにそうですね。真面目な話が多いですからね。
さっきもちょっといろいろ話をさせてもらいましたけれども。 こういう話をしてるという印象はホント少ないでしょうね。世間の人からすると。
でもこれがラジオの僕はいい影響力だと思うんですよ。一人の心の中にホント奥深く入っていくものだと。 一対一の感覚になりますよね。
スピーカーから聴こえてくる、大体ラジオ聴く時には皆で「聴こうぜ」って30人ぐらいで聴くってなかなかないじゃないですか。
まぁ、オリンピックとか、まあ、わかんないですけど競馬とかちょっとやったことないんでわからないですけれども。
何か大勢で聴くっていう瞬間はあるにせよ、テレビってこう大衆向けに作られたものだと思うんですよね。
でもラジオっていうものは昔はそうだったんだけれども今何かこうマンツーマンな空気感っていうものを産みやすいものではあると思います。 そういう線を描いてると思うんですね。
だからたまたま聴いた人が僕の話に耳を傾けてくれるっていう率は高いはずですよね。 テレビの流し見ではなくて。
そういう何かラジオにある可能性っていうか、光っていうかそういうものは何か僕はやっぱり好きだなってところでやらさせて頂きたいなってずっと思って生活してたんですけれども。
こう何年もいろいろラジオさせてもらってる中でこういう何ていうのかな、コメント?をいただいたりすると今も言いましたけれども、ラジオやってていいなとは思いますね。
「今回メールが読まれた方達は若い子でしたけれども自分の人生を真剣に生きてるなと感じました。」と。
その時僕が相談に乗っていた方が若い方でその方のメールの文章にそういう風に感じたと。「人生の先輩として人生に悩んでいる若い子達にアドバイスしてる剛君に何か感動しました。」と。
「自分の人生とちゃんと向きあって常に真剣に生きているからできることですよね。今の剛君は自分の未来をどんな風に描いていますか?」と。
「私は自分の未来が想像できません。この先どうなりたいとか、何をしたいとかそういう希望が持てません。というか努力をしたくないんだ」と。
「何をするのも面倒臭いなと思ってしまいます。今が楽しければいいや、と楽な道ばかり進んでいます。いつもいなくなってしまいたいと思っていても自分で全てを終わりにしてしまうほど人生に絶望しているわけでもないし、実際そんなことする勇気もありません」と。
「ただなんとなく毎日をやりすごしています。剛君から見るとこんな私は腹立たしく思うかもしれませんがこれが私です。」と。
「今まで剛くんからたくさんの言の葉を受け取ってきたのにその時は、色々考えたりするけど、結局その時だけなんですよね。いろんなことに甘えているんですよね。とラジオを聴いて何となく剛君に自分のことを伝えたくなってメールしました。ごめんなさい。」という風に言って下さっています。
本当にね、僕自身が生み出しているというか自分から発している物体とかメッセージは、音楽にせよ、言葉にせよ、笑いにせよ、何でもそうですけれども、そのホント一瞬でも光を与えるっていう仕事から、本気で救うっていうものにどんどん変わってきたんですよね。
ホントにその人に光をあてる気持ちで、どんなにその人が暗闇であろうが。 だから、あの〜、人間どうしても、その光が、暗闇の中に光が差すと、「あ、光ってる」って思いますよね。
虫が光に吸い込まれるように生き物っていうものは光に進んでいく習性があるんです。
山道、夜道を歩いていることを想像してください。 月が山の間を抜けて浮かびました。 見ますよね。 月明かりを辿って道を歩きますよね。 そうすると何キロか歩いていくと湖に出て、その水面に月が映り、そこに生物が何か生きているような気配もありながら、それをまた辿っていくと、家が見えてきて。 そうすると家の中にほんの少しの明かりがついていると。 そこ入っていくじゃないですか。「すみません」って。そこで出会っていく。
この道中の中でも、水が出てくると人間また安心するんですよね。 光と水。その水の集まる所には生き物が絶対いますから。
また人間ではない生き物を見て、恐怖を覚えるけれどもそれが出て来た物が例えば馬であったりとか鹿であったりすると、まあ攻撃的ではないと、だから安心する。
でもこれが熊とか蛇とかになるとちょっと怖くなる。
でも最終的に人が住んでるってわかるものに出会うとものすごく安心する。
その人がいい人であれば本当にラッキー。ってことだと思うんですね。
だからいわゆる、その、最終的な光、というか明かりのようなものですよね。 僕がたぶん作りたいものって。
だからその月の光とかっていう、その神々しいものをあてるっていう感覚はもちろんあるんですけど、たぶん本当に与えたいものって、ともし火のような明りって言うんですかね。
だから暗闇の中に、ポッとさく光ですね。
照らすってことでなくポッとさく光っていうものを見せたい。
でも、そういう時に、「あ、あそこに人がいるかも」と思って家の中に入って行こうとしてノックする人と、それでも怖いから通り過ぎる人いると思うんですよ。
で、通り過ぎるとどうなりますか?ってなった時にまた月明かりに戻っていきますよね。暗闇にも戻っていくし。
たぶん僕はそんな感じで存在してるだけなんだと思うんですよ。
月の明かりのようにそんなに親切ではないと思うんです。
月の明かりというのは本当に常に照らしてくれてるし、太陽の光も常に照らしてくれます、僕達を。
でもいわゆる僕っていうのは、そこにいるんですよね。 だからみんなからたまたま巡り会ってもらうようなともし火、明かり、光であって常に皆がどこに移動しても照らしててあげるよっていうようなことではないんだと最近感じてます。
だからそれはいわゆる何をいいたいかというと、僕の曲を聴いていただいても、僕のライブ見ていただいても、こういうラジオのコメント聴いていただいても、とにかく最後は自分の足で出かけたい所に出かけてほしい。だと思うんですよね。
ずっとそこに座る、居座る、ではなくて。 これは僕のファンを離れてくださいという話をしているわけではなくて。
自分の人生、何かこう道に迷った時に、ポッとさくともし火に寄って来てもらえればよくて、そこでもしかしたら家の中で話をすれば何かその人を救うヒントがあるかもしれない。
家の中に入って焚き木をしているそのともし火に手をあてて少し暖をとる、「ああ体が温まりました、ありがとうございます」ってよく絵本でも何でもありますけれども。
そんなものだと思います。 で、温まったりすると元気が出てきます、人間ね。 で、元気が出れば、じゃあちょっともう少し歩いてみます。 まぁ、なんかあったら、また戻ってくれば、みたいな。
いつもその心の中にはその暖を取った時の焚き木のともし火であったり、ランプのともし火であったりというなにかこう温もりとして残ってる。
でもその人の人生、その人の道というものがあるからその人はまた旅に出る、 で、何かあった時に思い出す、 で、何かあった時にまたそこに戻る。 何かそんなことで良くないですか?って。 そういう関係で良くないですか?と。
だから本当ファンの人達と何ていうのかな、昔は本当にその月の光、太陽の光というものになろうというか、そういうような想いが強かったんだと思うんですけども。
何かこう本気で救うっていうか、その人が選んでその光に入ってくるっていうのかな、何かそういうよな流れの関係性がいいなっていう風に思ったんだと思います。
だから求めるようで求めない関係がいいってずって言ってましたけれども、 僕はただただそこにいますよ。 で、皆さんがそこに来る。 で、皆さんがまたそこから出かけはる。 で、また帰ってきはる。 っていうような何かそんなんでよくないですかね。
これは僕の仲間ミュージシャンとかも、何でも映像だなんだいろんな人達、友達、皆そうですけど。ホントそんな感じなんですよね。だからすごくいいお付き合いができますよね、仲間と。
だからファンの人達ともすごくいいお付き合いができる為には何かそういうような感覚かな。
だからこの、ひよちゃんもね、「ごめんなさい」と最後に書いてるけど、謝ることではないよね。
だって面倒臭いものは面倒臭いよね。正直、嫌いなものは嫌いだよね。 それは素直やからいいよね。
でもそういう自分が違うと、嫌だと思うなら自分の力で変えればいい。 変えれないならそれまで。変えれない。
でもこれが例えば恋をするとか何か違う新境地に入った時に人は変わろうとするからそういう所に自分を持って行く、恋じゃなくても変わろうとする自分ていうものは作れるから。
ただ、ホントに自分が嫌だなと思ったら、そういった自分にさようならバイバイと手を振るべきですよね。
でも僕はどんな人生でもどんな人でも今っていうものをその人なりに一生懸命生きているから、僕はいいと思いますよ。
すごく最後ざっくりまとめちゃったけど、すごくいいと思いますよ。
だから「ごめんなさい」ということでもなくて、僕のラジオでよければ、音楽でよければ、触れてもらえたらすごく嬉しいなと思います。
そして、いつかひよさんの心の中に、少しでも1秒でも1分でも多く残るようなそんなともし火、光でありたいなと思うし、そんな時がくればいいなという風な思いも込めてこちら「きみがいま」という曲を聴いていただきましょう。どうぞ。
♪きみがいま
堂本剛とFashion & Music Book
今夜の放送いかがだったでしょうか?
皆さんから真面目なメールもしょうもないメールも何でもいいです、送ってください。
メールの方は tsuyoshi@bayfm.co.jp
FAXの方は043-351-8011
はがきの方は〒261―7127 bayfmまで
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
さあ、そして私堂本剛の近況、
「大阪の陣。平成24年 第24回 堂本剛独演会 『小喜利の私』」が終了しました。
「どんだけやんねん!」っていうスケジュールでしたけれども、おっちゃんが「これやってくれ」ということでね。「わかりましたよ」と。
そしてこれから迫っております、待っておりますのが東北三小喜利というのが。
これは私が「東北に次何か笑いというものをね、こいつホンにしょーもないなという空気感を伝えに行きたい」ということで、ずっと言っていたらですね、東北三小喜利というものも実現するということになっております。
そしてこれまたびっくりしたんですけれども、「もうちょっとやってくれへんか」と。
あの、なんでしょうね。あの、試食コーナーみたいな感じですかね。 一つ食べたらおいしかったからもう二個ぐらい食べたいみたいな感じをおっちゃんが思ってるんでしょうかね。
あの、大阪のね、松竹座特別公演っていうね、すごいもんが入ってきました。 「第24回 堂本剛独演会 『小喜利の私』 三日間だけよ」っていうね。
んふふ(笑)ホントにふざけててごめんなさい。
本当にね、「タイトルなんかないか」って言われて、うん、『「三日間だけよ」でいいんじゃない』って言ったら、本気でプリントされてますね。
「三日間だけよ」の「よ」は、夜にするとかいろいろ思ってたんですけれども。「いや、2回公演やってもらったりせんと困るし」とかいろいろな話になって平仮名になりましたっていう。
雑でしょ、その感じが。
11月の7日が18時半で 11月の8日だけが14時半と18時半ですね。 で、11月の9日が14時っていう・・。
これまたややこしいねんっていうね。 何か上手いこと、上手いこと揃えたらいいんちゃうん?思いながら。
これまた詳しい詳細はメールとかあのHPとか様々に載ると思いますけれども。 お伝えしますんでね、ぜひ皆さんチェックしていただければなと思いますが。
まぁ(笑)いろいろなことが決まっていってね、まぁ、自分がやりたいことではありますからね。お笑いっていうものはすごく好きで、ホントにいろいろね、この世界、そのトークっていう部分でもお笑いいっぱいみて勉強しましたからね。
さぁ、ということでございましてですね。
今日は、未来、どんな風に考えてますか?とか、そんな話も多かったと思うんですけれども。
今日はですね、「未来への忘れ物」という曲を聴きながらお別れしたいと思います。
と、いうことでございまして 堂本剛とFashion & Music Book お相手は堂本剛でした。
それでは皆さんまた来週お会いしましょう。おやすみなさい。
♪未来への忘れ物
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2012/10/13
by らいあん [172]
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