仙台へ初めて行ったのは一昨年のTANKでの公演の時。以来毎年行っているけど、TANKの時と同じ所からシャトルバスに乗ったのは久しぶり。ピンク色に包まれていく雲の反対側にはまだブルーな空に十五夜がうっすら見えた。TANKの時よりももっと長くバスに乗って約45分、もう真っ暗で鬱蒼とした闇の中会場ターミナルへ着き、そこからさらに会場のアリーナへ、風が思ったよりも冷たい中歩く。自分は、いつも不便といいながらも、約10分間隔で来る電車に乗って最寄り駅から会場が見える、恵まれた環境で見ていることを再認識。
場内へ入ってびっくり。ステージが西側スタンド側に、つまり横長にセッティングされていた。席が埋まらない、という噂は聞いていたけどこういう形は正直ショックだった。でも、おかげで縦だったらステージからほど遠いスタンドだったのがすごく近く、代々木よりも神戸よりもステージ全体がちゃんと見えるし、剛くんが端から端まで歩いてくれた時は会場のみんなが近くに感じることができた。 構成、セットリストはほぼ同じ。オープニングでギター土屋公平、ドラム屋敷豪太にテンションが上がる!「堂本兄弟」生放送を控えているにもかかわらず大御所二人がサポートとして参加してくれたことが嬉しい。剛くんの音楽への愛情、人柄がそうさせているのだろうな、と思った。 私の席は端のスタンドの前の列だったけどアリーナ全体がノリにのって、剛くんに会いたい!というシンプルで、でも一番大事な理由で全国から馳せ参じたロイヤルなファンと、めったに会えない貴重なチャンスを待っていた地元近辺のファンとの(付加価値満載の奈良では味わえない)暖かくて濃密な空間、愛の循環がそこには、あった。 仙台TANKに参加した時「地方の熱狂、恐るべし。」とみなとみらいに2割強通っていた自分の慣れた心がカウンターパンチを食らい、初心に帰れたことを再度思い出した。
グッズが間に合って2週間で実現できたこと、スニーカーのこと。早く寝ようと11時に頃寝て1時半に一度眼が覚め、次に5時ころ目が覚めた時は布団を剥いで羽織っていたカーディガンをかけていた。その結果お腹を壊した。ラジオで男性用ブラに挑戦したのはマネージャーさん。その彼も1つでも実現していけるようにいっしょに頑張ってくれている。大人達に爪楊枝ではなく、竹串、でもなく、菜箸でつつく。(けがしないように) 時折、目を閉じて、ため息をつきながら、バーみたいな感じで話しているけど、みんながマスターと心を許して話してくれた剛くん。MCの中で特に心に残った言葉。
「WS等でボケたところだけOAされる。真面目に話しているところをカットされると拒絶されたような気がする。」
「ミュージシャンの方々が一緒にやらないか、と、いろいろな声をかけてくれるけど大人達の許可が下りないから実現できない。でも、僕はここで生きていく。」
「もし、僕が生きていくことについて真面目に話せれば堂本剛のままでよかったのだけど。」
そんな言葉の端々に私の中を、前日までDVDを見ていた、kinki kidsがかすめる。 目を閉じたとき、もちろん疲れや、体調もあっただろうけど、そこに苦悩を感じたのは私だけだろうか。そんな言葉にできない想いを乗せた「ソメイヨシノ」は奏でるピアノの音色までが剛くんの心の叫び、もしくは悲鳴に感じれ、最初の部分では涙を堪えているのではないか、と思ってしまった。
ファンクタイムは「世界の豪太」のドラムがびしびし伝わり、各ミュージシャンの素晴らしい演奏、竹ちゃんのラップあり、コーラス二人のセクシーなスキャット、踊りまくっていたらあっという間に終わってしまった感じ。 剛くんの最後の歌は「僕は、君は、時代はどこへ行くのだろうか」といった内容で彼がずっと戦い続けているのだろうって感じられた。 昨年、誕生日ライブレポでも書かせて頂いたことですが、ファンなら「だれでも行きたがる所、時」以外でも馳せ参じてほしいです。 恥ずかしながら私事ですが、現在失業中で経済的にもきついし、諸事情で一週間前の土曜の夜の時点で仙台行きはやはりあきらめなければ、と思っていたのですが、剛くんを取り巻く事情を考えるとどうしても微力ながらも参戦したくなりました。月曜になってから手配をしてチケットも(シャトルバスも含めて)クレジットカードで購入、これから支払です。15時過ぎに仙台へ着いて今日は昼御飯の支度ができるまでに途中で惣菜を買って帰宅で、観光のかの字もない1泊2日でした。 でも、これからも剛くんの頑張りで実現した今回の追加が無事、完遂できるように行ける限り行きたいと思っています。
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