■□■ 端午の節句 ■□■
端午の節句、鯉のぼり、由来、伝記、意味。
 端午の節句に飾るもの。と言えばパッと浮かぶのが鯉のぼり。
なぜ、鯉を食べるのではなく飾るのか。不思議に思った事はありませんか?
そんな事が気になるのは私だけかもしれないですが、気になり出したら止まらない(^-^;
だって、女の子の節句に雛人形を飾るのは、幸せな結婚を願って、と想像できますけれど、鯉のぼりという飾りは一体なんなのでしょう?
「鯉のあらい」などのように立派な調理法。しかも美味しい食べ方があるのに、ただ飾って眺めるだけというのがなんだかなぁ‥‥。納得できないのよね。
で。いきなり調べてみました(笑)

1.端午の節句と鯉のぼり。

 端午の節句を辞書でひくと、端午の節句とは五節句の一つ。五月五日の節句であり、もとは中国の行事である。と書いてありました。軒に菖蒲やヨモギを挿し、ちまき、柏餅を食べて邪気を払うのだそうです。鯉のぼりや甲冑(かっちゅう)、武士人形を飾るようになったのは近世以降の話であって、本来の端午の節句には鯉のぼりは登場してきません。ついでに、柏餅を食べるようになったのは江戸時代に入ってからになりますが、柏餅については、また後でお話します。
 そう。今は鯉のぼりの話し。どうして鯉のぼりを飾るようになったのか? それを考える前に、鯉という魚について少々調べてみました。
*五節句についてはお節料理を参照してね。そちらに簡単な説明があります。

2.鯉と呼ばれるようになった語源。

 そもそも『鯉』という字は、日本であみ出された漢字ではなく、中国から渡ってきた漢字なのだそうです。魚へんに、里と書いて「コイ」と読む訳ですが、これは「里」=「集落」と密接な関係にある魚という意味合いになります。つまり、大昔は水道が整備されていなかったので、人が生活している村の近所には飲み水に使用できる川が流れており、その里に近い場所に生息している魚、ということで『鯉』という字は作られたようです。
 「鯛」は海の王者だから「大位」=「タイ」。「鯉」は川の王者だから「小位」=「コイ」と呼ばれるというお話がありますが、もともとの発音は「コイ」ではなく「コヒ」。「タイ」は「タヒ」と発音されていたので、この話は、「イ」という発音になってから誰かが考えたお話のようです。
 もともと呼ばれていた「コヒ」という発音については諸説があり、鯉の姿と鯛を比較して、見た目が小さく平たいので小平(コヒラ)と呼び、ヒとラを略して「コヒ」と読んだだとか、鯉の味が良いので、一度食べたら忘れられなくなり、その魚に恋をしてしまうから「コヒ」だとか。私がざっと調べただけでもけっこう色々ありましたが、なぜ「コヒ」という発音になったのか、正確な所はわかっていないとのことでした。

3.結論。鯉のぼりの意味。

 鯉のぼりは、2で書いた発音の解説と深い関わりを持っているようです。『鯉』は「コヒ」と呼ばれていたと説明しましたが、肝心なのは「コ」と発音する部分。語源を調べていて「コヒ」の「コ」という発音は、心強い魚(魚=ヒと読む)という意味からきているエピソードを見つけました。鯉が強い心を持っているというのは、鯉をまな板の上に乗せた時に、バタバタ暴れない様子を見て、「お、この魚は根性がすわっておるわい」などと感じた人が多かった証拠なのかな。と、私の感想はともかく、この「鯉は根性がある」という部分が、端午の節句には「鯛」より「鯉」だ。という存在の意味合いに通じるものがある。
 それから忘れてはならないのが中国文化。端午の節句はもともと中国の行事だと1番で書きましたが、その中国には、登竜門を現す「鯉の滝のぼり」「六々変じて九々鱗になる」という故事があります。ちなみ六々とは鯉のこと。鯉は頭から尾までの間に、一条の鱗が三十六枚あるので、鯉は別名「六々魚」とも呼んだりします。九々鱗とは、龍のこと。なんでも伝説に寄れば龍の鱗は八十一枚あるそうな。
 この「鯉の滝登り」という故事は、「後漢書」党錮伝(とうこでん)で紹介されている「龍門へと続く黄河は、それはそれは恐ろしい程の激流で、魚が河を登ろうとしても途中で死んでしまうのだけれど、鯉だけは河登りを達成できて、最後には龍になる」という話からきている「立身出世のたとえ」です。だから中国では鯉は出世魚として重んじられてきたという歴史があり、「鯉」=「出世」というイメージは、しっかり日本へも伝わってきたのであります。
 以上の2つのエピソードをミックスし、端午の節句には、鯉を食べるのではなく、その家に産まれた男の子が心強く育ちますように。との願いを込めつつ「鯉の滝のぼり」をイメージし、将来出世しますように。と二重の願をかけて鯉のぼりを飾るようになったのでした。

もどる
すすむ
もどる
すすむ

作成:2001年4月
料理レシピ検索しゅふしゅふ〜ず


[
無断転載禁止]