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■平安時代の食文化〜その1〜
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@ほまれ<今回は、私の趣味のhp。源氏物語と古典こてんとい
う平安時代を追求しているマニアックサイト?の勉強用に調べた
もののメモ書きの中から、主に「食」についての部分を抜き出し
たものなので、「食」の他にちょっと古典やら歴史の話題も出て
しまう事をご了承下さいませぃ。
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◆まず初めに、平安という時代について。

延暦13年(794年)から約400年間続いた平安時代を頭に思
い描いた時に浮かんでくるのは、貴族文化ではないかと思います。
後世に残された源氏物語絵巻などから垣間見れる宮廷生活は、十二
単衣を着込んだ姫君が優雅に和歌を読んだりしながら暮らしている
という華やかで贅沢なイメージがあると思いますが、平安時代をも
うちょっと細かく、主に政治的な側面から見ると、この時代は3つ
の区分にわけて考える事ができます。
どのような区分かと言うと、

【1】律令制をとっていた平安初期〜延喜年間までの約200年
【2】藤原氏が勢力を振るっていた摂政関白期間が約100年
【3】院政に移り荘園武士が出現しはじめた平安後期の約100年

この3つの区分の中で、【2】の摂政関白期間が、いわゆる私達が
想像しやすい平安貴族の時代になり、平安王朝文学の代名詞である
「源氏物語」や随筆「枕草子」が成立したのもこの時期になります。

政治的に見ても区分わけできる平安時代ですから、当然、「食」に
ついても区分ごとに変化がみられるのではないか?と、想像するの
は自然の成りゆき。
で、この疑問についても、色々と調べてみたのでありまするるる。

◆平安初期の食文化

都が平安京へ移され、平安時代がスタートした訳ですが、食文化的
には、平安以前の奈良時代の流れを受け継いでいたようです。
平安初期は、大陸(唐)の文化を吸収し、模写したものを日本的な
形に消化している時期に該当し、この頃「年中行事」の基礎が誕生
したと考えられています。

が、しかし。ここで1つ問題が‥‥‥。

平安時代の食文化を垣間見れる資料といえば、醍醐天皇(だいごて
んのう)の命令により、藤原時平(ふじわらのときひら)達が20
年の歳月をかけて編纂した「延喜式/えんぎしき」という日本独自
の食の決まりを含めた法典か、貴族だけでなく武士や庶民の暮らし
ぶりまでを描いた世俗説話の「今昔物語/こんじゃくものがたり」。

しかし、この「延喜式/えんぎしき」が完成したのは、延長5年
(927年)になるので、【2】摂政関白期間に入る前後。
「今昔物語/こんじゃくものがたり」に至っては、も〜っと時代が
進んだ【3】の時代なのです。

これはすなわち、どうゆう事かと言うと、奈良時代の万葉集の成立
から、平安中期の「延喜式/えんぎしき」成立までの期間は、食文
化の資料が乏しい空白の期間になると言う事。
その時代ごとの生活を後世の私達が垣間見るために欠かせないのは、
その当時に書かれた書物なのに、私が読んだ資料などによれば、こ
の期間はぱっくり空白なのだそうです(^-^;;

もちろん。平安初期に書かれたと考えられている書物や歌はありま
す。
でも、書物として編纂されたものは、「日本霊異記/にほんれいい
き」などの仏教説話だし、歌は小野小町などの六歌仙の時代。
つまり、記録はあれども、日常の食べ物については出てこないと言
った方が早い気が。

1つ前の時代に生きた人々が詠んだ歌が収容されている万葉集には、
あれを食べた、これを食べたい、という食べ物に関する歌がけっこ
うあります。
1つの例として、調理法まで出てくる歌を紹介するとこんな具合。

▼万葉集16巻収容
「加島嶺の 机の島の しただみを い拾い持ち来て 
石持ちつつきやぶり 早川に洗いすすぎ 辛塩に ここと揉み
高杯に盛り  〜〜以下省略」

▼簡単な現代語訳
加島で、巻貝を拾ってきて、石でタタキ割り、川で洗って、辛塩で
よく揉み、足のついた高杯に盛り付けて‥‥‥。

ね。素朴だけれど、すごく具体的な食べ物歌でしょ。
これが六歌仙の歌になると、

▼小野小町
花の色はうつりにけりないたづらに
我が身世にふるながめせしまに

▼簡単な現代語訳
桜の花は色褪せて衰えてしまいました。
むなしく見る事も無く、長雨の降っていた間に。
この世に暮らすために、物思いにふけている間に。

と、情緒的なシリーズになってしまい実生活が見えてこないのです。

では。万葉歌人の時代にはOKだった食べ物系の歌が、平安時代の
歌に出てこなくなってしまった原因は、何でしょう?
答えは簡単で、ずばり食欲を卑しいものとした当時の仏教思想の影
響であると考えられます。

この仏教思想で食べ物と芸術が隔離されてしまった影響は、後に成
立する文学にも引き継がれたようで、源氏物語にしろ、枕草子にし
ろ、極端に食事に関する場面は出てきません。

そんなこんなの理由で、平安初期の食文化は、新たな調理法が確立
した!とか、こんな調味料が登場した!という確かな裏づけが取れ
ない状態。
なので、奈良時代の食文化から、日本独自の形式ばった食文化への
変換期だったと想像するよりしかたがなく、食文化の区切りで言え
ば、平安初期は奈良時代と一緒のグループ。
今現在、平安時代の食文化と言えば、平安中期〜平安末期の時代を
指す感じになっているようです。

以上で、「平安時代の食文化〜その1〜」はお終い。
次回は、平安の食といえば「延喜式/えんぎしき」の、平安貴族の
形式ばったお食事に話題をすすめていきます〜。

では。最後までおつき合い下さりありがとうございました。
ばいばいね〜ん(^-^)/~~~~~

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