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■揚げ物の定義〜中華編〜
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@ほまれ<今回は、しゅふしゅふ〜ずの特集用のネタを収集した
時の覚え書きなので、内容はちょ〜っとどころかかなりまじめ(笑)
興味がない人は、眠くなること間違いなしかも(^-^;;;
この手の話が好きな人には、ためになる?かもしれないです。
では、さっそく中華編のスタート♪
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揚げ物について調べてみた。
色々読んだ中に、朝倉書店『コムギ粉の文化史』という本がある。
その中で、揚げ物の定義を発見したので、抜粋してまとめ、私なり
の注釈をつけた▼

【中華】

・チンザア-----した味を付けてそのまま揚げる。
・ガヌザア-----片栗粉、こむぎ粉、パン粉などをまぶして揚げる。
・ロアヌザア---衣をつけて揚げる。
・スウザアー---衣に木の実などを混ぜて揚げる。

----『コムギ粉の文化史』の抜粋ここまで。


今回、中華の揚げ物文化を調べようとして、はた、と困ってしまい
ました。
そもそも「中華料理」というジャンル自体が、体系的に見ると1本
化されていないようなのです。
調べた所からざっくり話すと、中国という国(地域)は、統治して
いた王朝が変わると共に、民族自体も変わってしまう、という歴史
があり、王朝が変われば料理体系もその都度変わってしまう、とい
う特徴があるようです。
つまり、前王朝の食文化を引き継いで発展させて、という手順にな
っていない。
このような歴史の中で、前王朝の文化を引き継ぎ発展させたのは、
『明』を滅ぼして誕生した『清』だけのもよう。
なので、今から書く今回調べた内容は、古い順からの単なる羅列で
あって、油料理の発展体系ではないので、そこの所をご注意下さい。

先ず始めに中華料理の前提。
今回は、中国史上に登場する王朝で食べられていた食材、料理法、
も全部含めて「中華料理」と定義します。必ずしも、現在、日本で
食べられている中華料理店の料理とは一致していません。又、中国
料理と呼ばずに、中華料理、と書いた事にも意味はありません。

中華料理で、「料理法」の基礎が登場したのは、唐の時代だと考え
られているようです。その理由は、味噌、醤油などの主要な発酵調
味料の作成法が完成したのが「唐」の時代になるからです。
しかし、「料理」ではなく、油、という視点から見た場合、前回の
洋食編のバター部分で書いたように、もうちょっと時代をさかのぼ
る事ができます。

1.バターの前に胡麻油?

中国の漸江省にある遺跡では、黒胡麻の種子が大量に出土したとい
う記録がありました。年代を分析した結果、この胡麻の化石は、紀
元前3000年頃のもののようです。紀元前3000年、となると、
まだ黄河文明が発祥する前の段階になるので、中国では文明以前か
ら胡麻を食べていた、叉は儀式か何かに使っていた事が想像できま
すが、今回、私が調べた中では、胡麻を油などに加工してして食べ
たのはいつの時代etcの記述が見当たらなかったので、詳細は不明
です。
ただし、日本で胡麻が栽培された頃の記録「東大寺正倉院文書」8
世紀頃、によると、胡麻を栽培して作った油は、照明の用途目的だ
ったようなので、中国で作られた胡麻油も、始めは照明用の油だっ
たのではないかな?と、想像できます。
ちなみに日本で食料としての胡麻の記録は、平安時代の「延喜式」
などに出てきますが、これは食用胡麻油ではなく、胡麻加工品(饅
頭のようなものなど)になります。

2.バター。

3世紀〜6世紀頃にかけて、中国では醍醐、酥(ソ)、酪(ラク)、
乳腐、という乳製品を食べていたようです。この4種類の乳製品の
うち、バターに当たるのは「酪」になります。
この酪を始めとする乳加工品の食習慣は、随の時代に日本へも紹介
されたのですが、日本へ渡った時代の辺から、中国では乳製品の食
習慣が次第に消えてしまったようです。
ついでに、日本でもこの食習慣は長く続かなかったもよう。仏教思
想の肉食禁止と中国での食習慣消滅に追随する形で乳製品の食習慣
はなくなり、日本でこの食習慣が復活したのは、江戸時代に入って
からになります。

3.揚げ物。

油(バター)の食習慣がなくなってしまった中国の油は、どうなっ
たのか?と、思ったのですが、残念。詳しい資料が手に入らず、よ
くわかりませんでした。
ただ、時代が少し飛んでしまいますが、日本の精進揚げのルーツに
なったと思われる料理『禅林揚げ』が、中国から日本へ紹介された
のは、『宋』(960〜)の時代になるので、宋では、揚げ物料理が食
べられていたと考えられます。
ちなみに、宋では、今日で言う中華料理の代名詞。「炒めもの料理」
は、まだほとんど成立していません。

4.では炒めものはいつから?

現在の中華料理のイメージ。油ぎった炒めもの、が書物に出てくる
のは、北宋(1000〜)の書物になりますが、この頃の炒め料理は、
調理の下処理的な意味合いになります。
現在の炒めもの料理と、ほぼ同じ意味合いで「炒めもの」が記録さ
れたのは宋の次の時代の『元』になってから。
フビライ時代に書かれたとされる料理本『居家必用事類全集』に、
「四川風鶏炒肉」という料理があるので、今で言う『炒めもの料理』
の成立はこの頃ではないかと考えられているようです。

以上。揚げ物〜中華編〜でした。
日本語になっている資料が思うように手に入らず、今回はまいって
しまいました(^-^;;
だって、中国語は読めませ〜ん(涙)
とっちらかった内容になってしまいましたが、許されて。

では、次回しゅふメモで、又お会いしませう。
次は、日本の平安時代の食べ物あたりを調べる予定です。

最後までおつき合い下さりありがとうございました。
ばいばいね〜ん(^-^)/~~~~~

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