ズイヨーの変遷について

■「アルプスの少女ハイジ」を制作したのは「ズイヨー映像」であり、現在その権利を有するのは「瑞鷹株式会社」(ズイヨー)となっている。しかし一般的にはズイヨーについては謎が多い。社名が設立時から似たような名前でいろいろあったりするのや、表記が漢字名だったりカタカナ表記であったりする。またこの会社自体のホームページ等は未だに存在しないし、会社情報自体がそもそもあまり公表されていないみたいで、調べようにも資料がほとんど無いのも謎感に拍車を掛けているのだろう。

何度かズイヨーさん自体に問い合わせをしたく色々がんばってみた事もあるのだが、その度になにやら関係者と思しき方々が出てきては連絡を取らせないようにされた事も多くて個人的にはかなり閉鎖的なイメージがある。

個人的感想はさておき、ハイジの生みの親であるズイヨーさんについてはいずれどこかのサイトで書いて頂けると思い、コーナーとしての企画はそのまま温存しておいたのだが一向にドコも取り上げていないのでもったいないのでそろそろ公開しちゃいます。



ズイヨーの変遷を記す事で如何にしてハイジができていったのか? そして公式ページでは恐らく取り上げられる事はないだろうがなぜハイジは名作劇場シリーズとしての始祖として記録上に登場しないのか?日本アニメーションとの一件についての変遷について、が簡単ながら理解できるでしょう。そして制作サイドの変遷を客観的にファンには知ってほしいと思います。

注)記載している変遷において事実と異なる部分があるかもしれません。また欠けている部分等もあります。もし事実と反する部分についてお気づきの点が有りましたらお知らせ頂けると助かります。制作作品については全てを記載していません。またこの変遷はズイヨーさんや他の実在する企業、組織、個人についての批判、誹謗等の意図はまったくありません。




■ズイヨー誕生以前

1956年 テレビCM製作会社である株式会社TCJへ高橋茂人氏入社。
高橋氏、テレビCMにおけるアニメーション製作を行う。 カルピステレビCMを手掛ける。

テレビCMがアニメーションから実写主体に。それに伴いアニメーション制作スタッフ活用の為のアニメーション作品の制作が始まる。TCJ映画部の設立

TCJ映画部-鉄人28号の撮影関連下請けを開始。

高橋氏、プロダクションとしての業務を目指し企画部設立。アニメーションの企画、著作権契約、営業を目指すも理解が浸透せず。

高橋氏、児童向け作品「ムーミン」の映像化に興味を持ち、この方面のアニメーション化に興味を抱く。


1967年 ハイジの企画化始まる。
ハイジの映像化の企画を考え短時間のテスト版などを密かに作る。

         
      *テスト版では山小屋の隣にモミの木らしき木がまだ一本だけしかない


  TCJ映画部がエイケンとして分離。高橋氏制作上の理念の相違からTCJより退社。






■瑞鷹発足 瑞鷹エンタープライズ(株)時代

1969年

高橋氏、TCJ退社後に企画・営業プロダクション「瑞鷹エンタープライズ(株)」を設立する。メインはアニメーション作品の企画、営業。実制作は東京ムービー、虫プロに依頼。

   ●「瑞鷹エンタープライズ(株)」社 設立

ムーミン アニメーション化を企画。原作者と著作権交渉にて映像著化作権を得る。TCJ時代のCM制作時の信用を買われ、唯一カルピスがムーミンのスポンサーとして付く。

  1969年 ムーミン(東京ムービー/虫プロ)






■瑞鷹エンタープライズ→ズイヨー映像発足 ズイヨー映像によるアニメ制作

 

中島プロデューサー Aプロより 高畑氏、宮崎氏、小田部氏を招聘。
シナリオプロデューサとして松木功氏を招聘。

中高生時代に愛読していた「ハイジ」のアニメーション化を再度企画化。人物を中心とする物語な為「丁寧」「リアル」を可能な限り実現させる形で始動。 

森やすじ氏により企画段階でのハイジのパイロット版絵コンテ、作画作成。
高橋氏の命により主要作成スタッフでの海外現地ロケーション。


1971年 ハイジ制作開始。業界でも伝説となっている激烈なる制作地獄が始まるも、スタッフには奇妙な充足感が。

1973年11月5日 「株式会社 虫プロダクション」が負債を抱え倒産する。この倒産によりアニメーション製作依頼が事実上不可能となる。また虫プロ倒産は以後、色々なアニメーション製作会社の発足のきっかけとなる。

   ●「株式会社 虫プロダクション」倒産

1973年

虫プロ倒産を機に瑞鷹エンタープライズの製作部門をアニメ制作子会社として発足、社名をズイヨー映像とする。 プロダクションとしての多様性を重視する為、作成の主要スタッフは正社員、その他のスタッフは企画毎に外部スタッフを契約して雇う構成へ。

   ●「瑞鷹エンタープライズ(株)」社-製作部門を子会社化。
     社名「ズイヨー映像株式会社」
        
(代表取締役社長:本橋 浩一氏)とする。


  1973年 1月7日「山ねずみロッキーチャック」放映開始
        12月30日終了

  1974年 1月6日 「アルプスの少女ハイジ」放映開始〜 
        12月29日終了

  1974年 4月3日 「ちいさなバイキングビッケ」放映開始〜

 






■内部紛争による「ズイヨー映像」分裂崩壊

  ズイヨー映像の経営に陰りが忍び寄る。

  1975年 1月5日「フランダースの犬」放映開始〜 
        12月28日終了

  1975年 4月1日「みつばちマーヤの冒険」放映開始〜 
  1976年 4月20日終了

  1975年      「ちいさなバイキングビッケ」放送中
 
1975年

ズイヨー映像内での内部紛争勃発。労使関係のもつれからくる紛争が発生する。「小さなバイキングビッケ」に至っては制作費が尽きるありさまにまで悪化。

瑞鷹エンタープライズ(株)の子会社である「ズイヨー映像株式会社」の社長を含めたほぼ全ての社員、スタッフが会社から決別。退社しズイヨー映像社長を新社長に立ててそっくりそのまま組織上「日本アニメーション」として分離する

   1975年6月3日 「日本アニメーション株式会社」
                
(代表取締役社長:本橋 浩一氏)発足

   ●製作スタッフが居なくなってしまった為、「ズイヨー映像株式会社」は
    事実上消滅、解散となる。「瑞鷹エンタープライズ(株)」は残る
  

制作完了し放映済みの作品群の利権、著作権権利については親会社である「瑞鷹エンタープライズ(株)」側にある為、実際の制作スタッフ側の権利として認められず日本アニメーション株式会社への移管は認められなかった。

作成中で放映続行中の「フランダースの犬」、「みつばちマーヤの冒険」などの作品については制作を日本アニメーションが継続し 著作権についても日本アニメーションが有するものとなった。

(ただし小さなバイキングビッケについては1〜52話までの権利は瑞鷹エンタープライズ(株)に移管(現・瑞鷹株式会社) 53話以後は日本アニメーションが有する形が現在も続いている)

実際にどうかはわからないが、映像素材、初期設定資料などはハイジを含め日本アニメーション側に今も現存するものも多いらしい





■悲しい論争_「瑞鷹エンタープライズ」

1979年 「ズイヨー映像株式会社」解散後、残った「瑞鷹エンタープライズ(株)」が劇場版としてテレビ版を再編集した作品を企画するも実際の制作スタッフからの批判を受け論争を生む。

高畑氏、宮崎氏が中心となり当時の製作スタッフによる連名の反対声明が出され記者会見が開かれる。しかし1979年3月7日、映画は公開される。再編集したものを新作映画のように宣伝し公開する方法は多いに論議を生んだ。

 1979年 アルプスの少女ハイジ(劇場版)
 
 

「瑞鷹エンタープライズ(株)」にはハイジのセル画はたったの一枚もなかった為、映画に関しては宣伝につかう印刷物などはすべて新しく書き直された。この当時の映画宣伝などに使われた印刷物や書籍の絵がオリジナルと画風がかなり違うのはこの為。

 


  1983年 7月1日「セレンディピティ物語 ピュア島の仲間たち」
         放映開始〜 12月23日終了

瑞鷹エンタープライズ(株)」としてのアニメーション制作活動は目立った制作は無くなる。







■現在

????年 「瑞鷹エンタープライズ(株)」はその後社名変更し現「瑞鷹株式会社」となる。(カタカナ表記のズイヨーについてはよくわかりませんでした)

ちなみに同名の社名を持つ酒造会社とは無関係です。
2000年

キッズステーションと共同にて「ポピーザぱフォーマー」という3DCG作品製作。


参考資料) アニメージュ文庫 森やすじ著「もぐらの歌」、若草書房 叶精二著「日本のアニメーションを築いた人々」 Wikipedia(瑞鷹、日本アニメーション、高畑勲、宮崎駿)、京都精華大学紀要26号 小野 耕世著「高橋茂人、日本におけるテレビCMとTVアニメの創世記を語る」
その他新聞資料等。