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鎌倉散策  

少し旧聞になりましたが、初夏の一日、北鎌倉と鎌倉東北部を散策した時の模様を書き留めて見ました。鎌倉北部と東部の散策のコースとして参考にして下さい。
昼食時間をはさんで、のんびりと歩く日コースです。

円覚寺正続院  寿福寺  英勝寺  化粧坂‐源氏山公園  銭洗弁天  小町通り 


円覚寺

  北鎌倉駅を出るとすぐ、制服姿の修学旅行の少年少女達の間をぬうようにして緑濃い杉木立の中の円覚寺の総門をくぐった。
  13世紀に2度にわたる蒙古軍の来襲という国難を無事に切りぬけた、時の執権北条時宗は、文永、弘安の役の犠牲者となった両軍兵士の霊を弔おうと弘安5年(1282年)に円覚寺を創建した。熱心な禅宗の帰依者であった時宗は、宋から招聘した名僧無学疎元をその開山とした。円覚寺は臨済宗円覚寺派の総本山で、鎌倉五山の第2位である。鎌倉の寺院としては最大の規模をほこり、総面積
60.000平方メートルの境内には、多くの貴重な建造物がある。中でも舎利殿(しゃりでん)と洪鍾(おおかね)は国宝になっている。室町時代には円覚寺は日本の禅界の中心的勢力を形成した。

山門

  緑濃い杉木立のあいだの石段登ると山門がそびえていた。円覚興聖禅寺(えんがくこうしょうぜんじ)という伏見天皇の宸筆にもとづく額が掲げられた、壮大な二層の楼門である。山門は数度の火災の後、天明年間(1783年)に誠拙和尚が再建した。その向こうにはビャクシンが植えられている。山門の二階は宝物殿となっており、観世音菩薩・羅漢が安置されている。
山門は三解脱門の略で三門とも書く。涅槃(悟りまたは解脱)に到るために通過しなければならない三つの関門である、空、夢想、無願を象徴している。 

正続院

  日頃は勅旨門越しに、かなたに眺めているだけだが、この日は、滅多に公開されることのない正続院(しょうぞくいん)を見学する好機に恵まれることが出来た。
  案内の若い修業僧に導かれて、勅旨門から正続院に入った。正続院の正面にある舎利殿は、鎌倉時代に中国から伝えられた建築様式の一つである唐様式(からようしき)の禅宗建築である。神奈川県の建造物としては唯一の国宝になっている。
  釈迦の遺骨を安置する建物を舎利殿というが、源頼朝が宋の能仁寺(
のうじんじ)から請求した仏牙舎利を安置するために、弘安8年1285年)に北条貞時によって舎利殿が創建された。現在の建物は永禄6年(1563年)に焼失の後、室町初期の建物である、弘安7年(1284年)建築の鎌倉尼五山の一つ、太平寺の仏殿を移築したものである。
  大きな屋根は入母屋造りで、その下にある低い屋根をもこしという。屋根裏部分は、扇の骨を放射状に広げた、禅宗建築独特の扇垂木(おうぎたるき)になっている。柱に見られる上下を丸く細めた柔らかい線は粽(ちまき)という。窓は繊細でエキゾチックなアーチ式の曲線を描く火頭(火灯)である。屋根は現在は伝統的な檜の柿葺き(こけらぶき)に戻っているが、長らく萱葺きであった。禅宗建築は白木で、繊細で華麗な木組から出来ていて、整然とした印象をあたえる。

開山堂

  舎利殿の奥には、円覚寺の聖域ともいえる、円覚寺を開いた仏光国師(無学祖元)を祀る開山堂がある。毎年月10月3日は開山国師毎歳忌がいとなまれる。開山堂の行事は、照堂と呼ばれる舎利殿で行われる。

禅堂

  正続院の舎利殿のわきには禅堂があり、坐禅専門道場となっている。舎利殿の見学の後は、案内の僧に、修行についての質問をする事ができた。若い僧の答えは以下のようなものだった。

 ≪修行に入る者には、食器など僅かばかりの所持品の持参しか許されず、生活の場は禅道場の畳1畳のみという簡素さである。
 ≪座禅は1回が
30分位で17回が営まれる。食事は1日3回、水のような麦粥。夜寝るときは柏布団という1枚の布団に包まって休む。
 ≪掃除や身の回りを清める仕事は、4と9のつく日と定められている。
 ≪修行の中でも、冬は寒さ、夏は蚊の攻撃に耐えるのが特につらい。
 ≪電化製品は一切なく、洗濯は洗濯板を使う。
 ≪外界の情報から一切疎外されて無言で過ごし、唯一の会話は老師との公案(こうあん・禅問答)のみである。
 ≪儀式の時は、出頭靴(しゅっとうぐつ)という布製の履物をはく。色は赤と黒と
2色あり、ぱたぱたと音を立てて履く。
 ≪修行するには全国の寺からの紹介が必要。例外的に飛び込みの修行希望者の場合でも、ひとかたならぬ熱意が感じられる人には入門が許される。
 ≪食事は水のような粥であれば、ダイエットには最適かと思ってお尋ねすると、だれもが瘠せるというわけではなく、修行のストレスでぶくぶく太る人もあるときいて、意外だった。

  26歳だという修行僧は、大変気軽に私達の質問に答え、柏布団に包まって寝る実演までしてくれた。彼があまりにも真剣に応えるので、質問をする側の私達も次第に熱気を帯びて来た。修行僧によれば、常に、雑談(喋ること)を許されない修行生活を送っているので、今日のように口を開いたのは本当に久し振りで、今彼自身喋ることに興奮して来たということだった。 
 単なる文化や技術面の説明ばかりでなく、伝統継承の気概に満にち溢れた頼もしい青年達から、日本古来の優れた文化の現場に生活する人の、生の案内をしてもらうことは、史跡見学に勝るとも劣らない貴重な経験であった。

洪鐘

   正続院に続いて、円覚寺の儀式が行われる方丈を見学の後、120あまりの階段を登って洪鐘(おおかね)を見学した。正安3年(1301年)北条貞時が国家の安泰を祈って寄進したもので、高さ259センチメートル、直径142センチメートルの梵鍾(ぼんしょう)は神奈川県では最大の大きさで、県内では唯一の国宝となっている。
  洪鐘右手の茶店は見晴らしが大変良いので、一息つきたいところだった。店内には鎌倉で野生化している台湾シマリスが人なつっこく飛び跳ねていた。

石段を降りて山門に向かう途中の法堂(はっとう)跡に、黄色い牡丹や石楠花(しゃくなげ)が色鮮やかに咲いていた。

   横須賀線で鎌倉駅に移動して駅の近くで、昼食をとった。  

寿福寺

  鎌倉駅から扇が谷方面にしばらく行くと、人家が途絶えたあたりの左手に寿福寺があった。初夏のまぶしい日差しに照らされて、少し汗ばみながら歩いてくると、緑したたる参道の奥の静寂にみちた山門の佇まいは、ほっと心静まるものがあった。先程の円覚寺の壮大さとは打って変わった、古都鎌倉らしいひっそりとした山門越しには、4本のビャクシンが見えていた。
  
1200年頼朝の死の翌年、妻の北条政子は栄西を招いて寿福寺を創建した。鎌倉五山の第3位で五山の中では最も古い寺である。中国からお茶を持ち帰った栄西がこの寺で「喫茶養生記」を執筆し、今もこの寺に所蔵されていることでも知られている。
  寺の参拝は出来ないので、山門左手の小道を回って寿福寺の背後の墓地に向かった。墓地の奥には、崖をくりぬいたやぐらとよばれるほこらのがいくつもあった。二基の五輪の塔が並んだやぐらは、北条政子と息子源実朝の墓だといわれている。往時は装飾を施した華美なものであったらしいが、現在ではただの洞窟にしか見えない。この墓地内には高浜虚子、大佛次郎、睦宗則の墓もある。
  このあたりの地質は火砕岩で、保水性がよく加工し易いので、かまくら石として石材に利用されている、くりぬきやすい特殊な地質なので、このようなやぐらが多く作られたという。
  この墓所は源義朝の屋敷跡で、後には、
1082年後三年の役で八幡太郎義家が山上に源氏の白旗をたてて戦勝を祈願したという故事がある源氏山もある。寿福寺こそは、真の意味での源氏の発祥の地と言える場所だ。

英勝寺

  1636年家康の側室お勝の方が太田道灌の屋敷跡に英勝寺を創建した。 代々水戸藩の息女が住職を勤めたので、水戸御殿とも呼ばれた、鎌倉では唯一の尼寺である。拝観は出来ないので、外から眺めるだけで、扇が谷と呼ばれる静かな一帯を歩いていった。道端には、シャガ、卯の花、山藤をはじめ色とりどりの初夏の野草が咲き乱れていて、旅人の心を和ませる。

化粧坂

  葛原岡を右手に左に折れて化粧坂(けわいざか)にさしかかると、リュックを背に地図片手の小学生の一団が、はじけるように元気に坂を降りて来るのに出会った。この坂は鎌倉七切り通しの一つで、新田義貞が鎌倉攻めの時の激戦地として知られている。決して長い坂道ではないが、つづら折りで高低差がある、崖のような切り通しを登るのは骨が折れた。
  化粧坂(けわいざか)という名前は、その昔討ち取って化粧させた平家の武将の首実検をした場所だったことから由来しているとか、さまざまな説があるが、坂の途中はほの暗くて、薄気味悪い由来もなるほどなと思わせるものがある。

  やがて坂を上り詰めると、頼朝の坐像がある源氏山公園にたどり着いた。源氏山は春は桜、秋はもみじの名所になっている。

銭洗弁天

  源氏山公園で一息ついてから、坂道を下っていくと、銭洗弁天(ぜにあらいべんてん)入り口の洞窟に到着した。洞内には鎌倉五名水の一つに数えられている湧水があって、ご神体をまつる洞窟の水でお金を洗って使うと、何倍にも増えて戻って来るという伝説が有名だ。
  先日、在日外交官に鎌倉で最も好きなスポットをアンケートしたところ、銭洗弁天が
1位だったという。大変人気のある観光名所で、とりわけ巳の日(3のつく日)は遠方からも信者が集まり混雑するので、週末や巳の日は避けたほうがいい。また週末は乗用車は佐助トンネルの手前で通行止めになるので、鎌倉駅の裏側でタクシーに乗ったほうが良い。

    それから駅までの道すがらは、いかにも鎌倉らしい高級懐石料亭や伝統工芸品店の前を通って、午後3時頃鎌倉駅前に着いた。駅前左手の小町通りでおみやげを買った。

 


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