●シトロエンな訳●
 どうせ、聞いたって大しておもしろい話ではないと思うけど、読んでるあんたも暇やね。

 私が人一倍シトロエンにこだわる訳ってのは、単にお洒落だからとかおフランス製だからとか言ったもんなんかぢゃぁない。三つ子の魂百までも、なんである。

 話は遡ること27年前、父親の仕事の都合で、戦争まっただ中のカンボジアに私はいた。日によってはフランス兵が「レフト、ライト」と戦車の大砲の音と共に、家の前を行進していたり、下手に夜外出すれば、ベトコンやゲリラに後ろから機関銃の銃口を向けられ「チョップ!(stopの意)」と止められたりするような物騒な時代である。

 そんな物騒だったカンボジアにも平和なひとときだってあった。暑い国で、電気もよく止まる。そんな毎日の中で、時々訪れるアイスクリーム屋サン。ピンチーリンと呼んでいた。手のひらにコインを握って、広い道を渡っていくと、そこにある車は70年代の名車たちだった。車の運転のできた母は、日本からサニーを持っていっていたが、私の記憶にはサニーの重いステアリングと趣味の悪いレースのヘッドレストカバーしか残ってない。

 やはり、単純な子供の記憶にも、シトロエンの形はそれはそれは印象的なものであった。大きくてカッコよくって、それはそれは立派な車に見えた。後で聞けば、ルノーもビートルも走っていたというが、こちらもとんと記憶にない。

 そんな車たちを眺め過ごしたのはたった8ヶ月間。私が3歳から4歳になって間もなくベトナム戦争は佳境に入り、日本人に対して政府から避難命令が出た。とるものもとりあえず、大事なものも何もかもその地に置き去りにしたまま、カンボジアを離れなければならなかった。今思えばあの憧れの車たちも戦火に飲まれたのだろう...

 そして月日は流れに流れた。長い時間が流れるなか、いつしかその車の記憶も底の方に埋もれてしまっていた。免許を取り、車好きのMATSUに出会い、デルタに出会い、自動車博物館とか写真とかを見ているうちに、「はっ!!」と気づいた何か...それがシトロエンなのである。私の記憶にはかすかな憧れの車の雰囲気しか残っていなかったが、間違いないことはすぐに確信できた。道行くシトロエンに再び心を惹かれていた。以来、ここに至るまで私はシトロエンにこだわり続けていたのである。

 ちなみに当時はシトロエンに乗る機会などなく、ただ眺めていただけなので、乗り心地がどうだからとか、走りがこうだからとか言う理由でのこだわりではない。単純にフォルムに憧れていただけではある。

 そのシトロエンをゲットするに当たって何故ZXかって?ほっといてちょうだい、いいじゃない。だってデルタだけで整備が手一杯だからハイドロ沼には落ちれないってのが理由でBXも諦めたんだもの〜。フォルムで許せるのはZXまでなのよっ!!70年代の名残を残している顔をもっていると私が許すのはね。。。。いつかきっと。。。。

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